第64話 不穏と平穏
「じゃ、なるべく早く戻る。 こっちは任せた」
「どうせ退屈だろうがな。 ま、暇潰しに兵士の訓練でもつけといてやるさ」
「魔物、キッと多イ、気ヲ付けテ!」
「いってらっしゃーい」
ふと――
そんな遣り取りを思い出す。 それは出発直前の事。
王に頼まれた宮廷警護(実際は皇子の護衛だが)の任を引き受けてくれた3人との別れ。
マコとチックは気持ち良く送り出してくれたのだが、どうもホヴィンの顔には不満の色が見られた。
決して言葉には出さなかったが、本心では一緒に来たかったらしい。 だが志願するより早くセフィとコーディに先を越され、人数配分的に已む無く…といった所か。
城門前で3人に見送られ、西門から町を出て、現在も西へ西へと進む馬車。
カルバナは流石首都だけあって、あのノルディーよりも広く、華やかな町が魅力的ではあったが、結局のところ観光の機会は出発直前の買い物のみとなった。
「しかし揺れるな」
走る馬車の中、誰にと言う訳でもなくそんな声を漏らす。
両側の景色は常に森。 太陽が傾き、その姿を隠した事もあって酷く薄暗い。
緩やかな斜面に差し掛かった辺りから車内の揺れが激しさを増し、一定リズムで体に響く振動は足場の悪さを物語る。
馬を操るのはコーディ。 彼に背後から指示を出しつつ、常に周囲の警戒も怠らないミランダさん。
そうした重要な役割を担う2人と、只々揺れに身を任せて運ばれる3人。
またしても馬車酔いの症状が出始めたアリィに膝を貸すオレだが、実はここ数時間程セフィとの会話が無い。
「なぁセフィ。 あの薬、傷痕とかも消えるのか?」
「…綺麗さっぱりな」
「へーやっぱ凄い代物だな、奇跡の妙薬って」
数時間ぶりの会話、そこで終了。
何となく気まずい理由は計らずとも明白。 それはアリィの位置と体勢にある。
以前と全く同じ状況なのだが、オレとアリィの密着感がセフィは気に食わないらしい。
「ミランダさん、この先もっと揺れるかな?」
「ええ。 山脈地帯に入ると道無き道を進む事になるので」
それを聞き、膝の上に視線を落とすと、密かに決意する。
到着までアリィは戦力として数えられない。 道中の戦闘は全て “剣のみ” で切り抜けようと。
因みに、ここまでで既に5度も魔物に遭遇しているのだ。
主に昆虫系と、オオカミ(バーウルフィ)の群れ。 どれも雑魚ばかりだが、このペースで出現されると結構な時間ロス。
朝の内に出発したものの、既に夕暮れが近い。 しかも複数の山越えがメインだというのに、まだ1つ目にも達していない。
道を阻むのはカスタ山脈とアッカバド山脈。
ローベルグ国内を南北に走る2大山脈の名称らしいが、問題はそれらがいずれも西部に点在する事。
つまり無法地帯へ向かう道程で避けては通れない場所、と出発直後にミランダさんが言っていた。
「10時の方向に敵を確認! 今度はデュアントです!」
「ワスプルも来た、前方やや右」
唐突に発せられた警告。 ミランダさんに続きコーディからも。
すぐさま停まった馬車から3人が飛び出し、アリィの頭を退かしたオレも少々遅れて外へ。
しかし――
相変わらずと言うべきか、オレの出番は皆無。
「はやっ」
言いつつ抜こうとした剣を戻し、素早く車内に退散する。
立ち塞がった2種類・計5匹の魔物を、3人はあっという間に片付けてしまっていたのだ。
「お前はアリィのお守りをしてればいい」
「……」
後から乗り込んで来たセフィに冷たく言われ、返す言葉も見つからず。
「出発」
コーディの合図で、馬車は何事も無かったように再び走り出す。
実は出発以来、これの繰り返しだった。
手の早いセフィとコーディは勿論、ミランダさんも相当な速度重視系だったのだ。
軽量武器ではあるが全身鎧という重装備。 にも拘らず、彼女の巧みな足運びと華麗な突きは、見事という他無かった。
前回まではアリィも元気で、オレも素早く飛び出していたのだが、それでも展開は今と同じ。
向かい来る敵に対しては “待ち” 一辺倒のオレに対し、3人は猛然と突進し、疾風の如き一撃必殺を魅せてくれる。
それは速さ勝負でもしているのかと思う程で、彼等が居る限り、オレとアリィには永久的に出番が来ない。
つまりオレは、見事 “鈍足組” の仲間入りを果たした訳だ。
「ワス…プルに…デュアント、ね…よし覚えた」
しかし魔物の名称というのは、戦士であれば大体は把握しているものらしい。
名前を言われてもピンと来ないオレは、実物を見る事で認識し、少しでも頭に詰め込もうと努力していた。
ここで学んだのは、“デュアント” が巨大アリの事で、“ワスプル” が巨大スズメバチを指すという事。
当初は過酷な旅になると聞かされていたが、この分だとお気楽な勉強の旅になりそうだ。
まぁ結局のところ。
余程の強敵が現れない限り、アリィどころかオレも戦力として数えられない。
悲しい現実に肩を落とすオレと、完全にダウンしているアリィ。 そして有事以外には決して口を開かない剣豪衆。
そんな5人を乗せ、いよいよ馬車は1つ目の難所、カスタ山脈の険しい山々に挑もうとしていた。
丁度その頃――
レグザ達の現在地よりも遥か北。
ローベルグに隣接する大国テムドアの王都ぺトラーマに、ある1人の男が到着していた。
「陛下! アバナ国の大使スワラフ様がお見えです!」
「これは珍しい…して用件は?」
「なんでも、陛下にお伝えしたい急ぎの用があると…」
「ふむ。 では今すぐ通せ」
テムドアの国王クダンは、友好大使として名高く、幾度か面識もあるスワラフを丁重に出迎えた。
テムドア王国は、ローベルグと並ぶ広大な領土を有する強国である。
そのローベルグとも以前は敵対していた因縁の仲であり、ほんの十数年前までは、南北に隔てた国境沿いで争いも絶えなかった。
しかし近年、魔物の著しい増加を理由に、両国の王は和平協定を結んだ。 以来、テムドアとローベルグの間で一切の争いは起こっていない。
そんなテムドアではあるが、現在のローベルグとは異なる点がある。
国内の魔物殲滅を計る現国王の強い意思の元、テムドアには当時の軍隊が今もそのままの形で存在しているのだ。
「久しいの、スワラフ殿」
「…はい」
「して、急ぎの用とは?」
「実は…」
玉座の間に通されたスワラフは、自国アバナの使者として、隣国の王クダンにある重大な事実を告げた。
「な…それは真か!?」
「確かナ情報に御座いまス」
「くっ、しかし何という暴挙…マドラスめ」
「これを受け、我がアバナは直ちに全軍を挙げ、テムドアの支援…国境の死守…場合によっテは敵領土への進軍も已むを得まい…と」
「さ、左様か! それは有難し! よし、我がテムドアも全軍を挙げ向かわせよう!」
クダン王は、使者スワラフの言葉を信じ、すぐさま南の国境へ向け出兵を命じた。
以前会った時の大使と、口調も雰囲気もどこか違っている事に何の疑いも持たず――
時を同じくして――
テムドアの西に隣接するアバナ王国、その首都シュリカにも1人の男が到着していた。
「何!? あのマーガス将軍が?」
「はい。 クダン王からの使者として参られたようです」
「ふむ…しかし将軍自らが出向くとは一体…」
「お通ししますか?」
「うむ、余程の用であろう」
アバナの国王デイルークは、勇将として他国にまで名を馳せるマーガスを、快く城内に招き入れた。
アバナ王国は、テムドアの隣国であると同時に、ローベルグとも東西で隣接する国である。
テムドアやローベルグ程の大国ではないが、代々から他国とは衝突を避け、常に友好を保つ中立国として栄えてきた。
それでも国の防衛を目的とした軍隊は以前から存在し、テムドアとは対照的に、国内に蔓延る魔物から各地の町や村落を守る為に活用されている。
昔から今も変わらず、アバナの王は争いを好まず、平和を愛し、民を想う名君ばかりであった。
「諸侯がマーガス将軍であられるか。 数々の武勲、余の耳にも届い…」
「国王陛下」
「ん?」
「急ぎお伝えしたイ事が…」
厳粛なる会見の場でマーガスは、形式的な挨拶も省き、早々に用件を切り出した。
その用件というのが、温厚且つ冷静なデイルーク王をも震撼させる、正に衝撃的な内容であった。
「し、信じられん…まさかそんな」
「確かな筋より得タ、確かな情報に御座イます」
「ううむ…テムドアのみならず、我が国にまで…」
デイルーク王にとって、それは俄には信じ難い内容であった。
しかし相手が相手だけに、その言葉を安易に聞き流す事など出来よう筈が無い。
「従ってアバナ国にも迅速な対応を願イたい…と、それが我が王のお言葉でス。 因みに我々テムドア軍は、後手に回らぬよう既に進軍を開始しテおります」
「なっ…なんと! し、しかしこの時世に戦など…しかも和平を結んだ国と…」
「陛下!!」
「む!?」
「これは双方にとっテ祖国の危機! 直ちにご決断ヲ! 民に危害が及んデからでは遅イのです!」
マーガスの無礼とも取れる進言は、デイルーク王の心を激しく揺さぶった。
加えて進軍の最中、その指揮官が報告の為にわざわざ足を運んでくれたという事実。
「あい分かった! 我がアバナも早急に軍を送り、テムドアに助勢致そう! 」
デイルーク王は、使者マーガスの言葉を信じ、各地に配備してある全兵に向け招集命令を下した。
外交問題には常に慎重な判断を下す王も、民や祖国の危機とあっては、出陣という決断を下す他無かったのだ。
そうして――
テムドア軍は南へ。 アバナ軍は東へ。
双方共、ローベルグとを隔てる国境を目指し、遂に進軍を開始した。
使者の言葉は真実か。 偽りの使者ではあるまいか。 何者かの陰謀ではなかろうか。
そういった当然の疑いなど、露ほども抱かぬままに。