第61話 長過ぎる日の終わり
神秘的ではあったが、それは同時に瞬間的でもあった。
鋭くも目映い光はフッと消え、元の姿に戻ったワンダが落下すると同時に、ヤツの手から零れ落ちた大刀もザクッと地面に突き刺さる。
直後ガクッと膝を付き、しかし即座に立て直したヤツは、何とも不気味な呻き声を漏らしながら、まるで泥酔者の様にフラフラとよろめき歩く。
「…コーディ!」
ヤツが離れた隙に、落ちたきり動かないワンダを回収しつつ、コーディの元へ。
――よし、生きてる…!
彼が助かった要因は、衣服の下に装着していた薄手の鎧にあった。
それは以前、何処かの店で見た覚えがあり、確か魔物から採った素材で出来た、耐久性と弾力性に富んだ高価な鎧だ。
どうやらそれが、背骨への衝撃を最小限に留めてくれたらしい。
無事を確認したところで、ワンダを脇に置き、砂に埋もれたコーディを掘り起こす。
だが直後、背後からの視線を感じ、咄嗟に振り返る。
「!!」
そこには、脇腹を押さえて両膝を付き、苦渋の表情を浮かべるヤツの姿。
傷口からは大量の出血が窺え、明らかに弱っている様子だが、驚いた理由はもっと他にある。
何と、あの “化け物形態” から “黒色人形態” に戻っているのだ。
その口元から牙は消え、体もすっかり縮まり…と言っても2メートル超だが、無骨な腕や脚の突起物も何処へやら。
「ぬぅ…くっ、幼竜を手懐けておったか…しかし、まさか光竜族が…地上に存在したとは」
外見から予想は出来たが、やはりあの鬱陶しい言語力も復活している。
「これ程…の深手を、負わされるとは…ぐっ…聞けヴェルナス…」
「あぁ?」
「お前の、肉体は…今がピーク。 …近い内、お前は必ず…己の、体の異変に気付く」
何となく意味は分かるが、言葉の1つ1つから苦痛が滲み出ており、説得力は余り無い。
「1つ、忠告しておく…その正体を、知った時…人間共は必ず、お前を虐げ…迫害する」
「……」
だから何だ、とか。 知るか、とか。 そんな事はどうでも良い、とか。
クールな言い回しを幾つか準備していたのだが、いざ言葉に出そうとして、何故か舌が回らなかった。
「やがてお前は…居場所を失くし、人間の…愚かさ、醜さ…を知る」
「……」
「よいか、ヴェルナス…お前の生きる、場所は…私の元に、こそ在る…」
言い返せない自分に苛立ちを覚えつつ、その理由はちゃんと理解していた。
「よーく分かった、もう黙れ」
「なに…?」
「別に信じてない訳じゃない。 お前の言う右手の紋章とやらも、あぁ確かにあるさ。 でも…」
素直に耳を傾け、自然に受け答えし、普通に会話を続ける自分。
もはや “ヴェルナス” と呼ばれる事に慣れてしまい、それに何の違和感も覚えず、否定もしない自分。
ヤツの切実な願いと最終目的も知った事で、全てを信じ、受け入れようとしている自分。
そして、完全に開き直った自分。
「血が繋がっていようと、親父だろうと、お前が魔王だって事に変わりは無い。 違うか?」
「何が…言いたい」
「だから、ここでお前を始末し、その後オレも消えれば世界は安泰…つまりそうゆう事だろ?」
「フッ、くははは…私に、止めを…刺すつもりか?」
「おうよ!」
元々オレは天涯孤独の身。
長い旅を続けて来た理由は、親父とお袋の仇を討つ為。
だから自分の正体が何であれ、目的と責任さえ果たせれば、もうこの世に未練は―――きっと無い。
「やはりお前は、我が息子…くっくっく、面白い奴よ…」
「笑うな気色悪い!」
拾った大剣を構え、脇腹の傷口へ狙いを定める。
ヤツの見せた余裕が単なる強がりだと、そう自分に言い聞かせて。
「今日の所は…退く、が…次こそ必ず、連れ帰る…邪魔者は、問答無用で…消す」
「逃がすか!!」
言葉と共に駆け抜け、剣を振り上げた瞬間。
真上に勢い良く飛び跳ね、上空に逃れたヤツの背中から、肌と同色の巨大な翼がバサリと生えた。
「!!」
「待っておれヴェルナス! 次会う時の、お前の姿…楽しみにしておるぞ!」
「お、おい待て! 逃げんな!!」
「くははははははははは!!!」
高々と張り上げた笑い声は、聳え立つ王宮に反響して不気味に響く。
「こらああああああ卑怯者ぉーーーーーーーー!!!!」
そんな叫びも虚しく、悠々と夜空を舞うヤツの姿は闇に紛れ、程無く視界から消えてしまった。
残された静寂。
成す術も無く見送ったオレは、押し寄せる虚しさと1人戦う。
暫し立ち尽くした後、チッと舌打ちを漏らし、続けて溜め息をまた1つ。
行き場を失い、手持ち無沙汰となった剣の重みを思い出し、それを素早く背に納める。
そうして、小さなワンダの体を両手でソッと抱え上げ、コーディの元へ歩み寄ろうとした、その時。
「レグザ!!」
彼方から、静寂を破る足音と、甲高い呼び声。
耳に届きはしても、応える気力がどうも沸かず、滑稽な笑みだけ返しておく。
「ワンダ…! どしたの!? 何があったの!?」
言いつつ駆け寄るアリィに、一先ず無言でワンダを手渡す。
「え…寝てる? その人は…大丈夫なの!? レグザはケガ無い!? 」
「んと…」
「あ、剣から煙が…って燃えてる! その人の剣だよね!? アイツは何処!? どうなったの!?」
答える間も与えない、怒涛の質問攻め。
気持ちは分かるが、今のオレにとっては煩わしい事この上なく、溜まった疲労とストレスを増幅させるのに一役買っていた。
「どっちも無事…敵も。 で、逃げた…詳細は後で話す。 …マコ達は?」
「もう王子様は見つけたし、すぐ来るよ。 凄い声が聞こえたから…心配で、私だけ先に戻って来たの」
「結局、居場所は?」
「えと…本人の寝室なんだけど、クローゼットの裏に隠し部屋があって…何でも、昨日お父さ…王様と喧嘩したらしくて、拗ねて隠れてたみたい」
「…平和なこって」
どうやらオレ達は、反抗期の皇子に振り回されたらしい。
だが仮に、皇子を探しに忍び込まなければ、或いは囚われの身となっていなければ、魔王とは遭遇しなかったのだろうか。
不満と疑問が錯綜し、もはや衰弱し切った頭を切り替えて。
未だ意識の戻らないコーディを手早く、しかし慎重に背負い上げる。
「ぅー…運ぶわ、医者んとこ。 ぁー…そこの剣2本」
「あ、うん拾っとく…これ熱いかな? 水の魔法で冷やしちゃ…」
「や・め・ろ。 柄は熱くない」
必要最小限の遣り取りを済ませた後、オレはアリィを伴い、一先ず城門の方へ向かった。
近付くにつれ騒がしさを増し、辿り着けば人と騒音で溢れ返っていた城門前。
押し寄せる野次馬を規制する兵士達の脇を掻い潜ると、透かさず歩み寄って来たのは1人の兵士。
全く見覚えの無い人物だったが、大まかな事情やオレ達の存在は、既に関係者の全員が認識済みらしく、安心してコーディを託しておいた。
そこへ透かさず声を掛けて来たのが、玉座の間へ踏み込んだ際、魔王に首を鷲掴みにされていた例のお偉い人。
すぐさま息子の無事を報告すると、まるで子供の様に飛び跳ねたり、涙ぐんだりと、有り得ない程の喜び様を見せてくれて。
直後、野次馬に向けて自ら声を張り上げ、事件の概要と結末を報告し、見事に騒動を鎮めてしまうという粋な一面も見せてくれたマドラス国王。
一連の流れを呆然と見届けていたオレとアリィは、その後、国王から正式に王宮へ招待された。
個人的に、2度と城内へ足を踏み入れたくなかったオレは頑なに拒んだが、数の力と強引さに、疲れ切った体で抵抗出来る訳も無く。
…というのは建前で、実際は後から駆け付けたマコが、国王の発した「豪華ディナーを用意させよう」という口説き文句に目を輝かせ、アリィも異常に乗り気だった事から、2人に押し切られたと言った方が正しい。
結果、診療所送りとなった4人を除くオレ・アリィ・マコの3人はこの夜、王宮総出の手厚い歓迎を受ける事となった。
少々豪勢なだけの会食を想像していたオレは、盛大な宴の会場と化した大食堂に招かれ、その別世界の如き様相に度肝を抜かれた。
流石に一般兵は居なかったものの、十数名の大臣らしき人々と、ある階級以上の騎士と思しき人々の姿もあって、終いには踊り子なんて馬鹿げた連中も呼ぶ始末。
宴も中盤に差し掛かった頃、オレは漸く気付いた。
その宴の名目が 「勇者歓迎パーティー」 であった事に。
宴席において、事の経緯を話す義務が生じると予想したオレは、事前に詳細をアリィに伝えておいた。
彼女には全てを包み隠さず打ち明けようと思っていたが、国王の前で口を滑らす危険性を考慮し、「魔王とオレが最後に交した遣り取り」 だけは黙っておいた。
最終的に、国王には 「ワンダの存在・活躍」 と 「魔王の息子がレグザ説」 を隠し、それ以外は出来る限りこちら側に都合良く説明しておいた、という訳だ。
全面的に押し付けた筈のアリィがマコ共々食事に夢中で、結局のところ、殆どオレが話す事になったのは大いなる不満だが。
その後、各自に個室を用意されたオレ達は、已む無く王宮での一泊を受け入れた。
余談だが、“已む無く”というのはオレに限った事であり、アリィとマコは…もはや言うまでも無い。
宴の際、マコに勧められた酒のせいで、結局オレは誰と何を話したのか余り記憶に残らなかった。
だが就寝の為、自室に籠もろうとしたオレを、部屋の前で待ち伏せていたアリィとの会話は、何故か鮮明に覚えている。
「あーーやっちまったぁ…」
「何? 飲み過ぎた事?」
「じゃなくて…いや、それもだけど…無法地帯、だっけ…? 立ち入り許可貰うの忘れてたぁ」
「あぁ、そんなの明日言えば良いよ。 それよりワンダって、やっぱり竜の子供だったんだね」
「ん~らしい、お陰で助かったぁ」
そんな、酔いも覚めない内の間抜けな会話とか。
「そういえば…アイアイパチーン、って何だ?」
「あれはイーファに泊まった時、3人でやったゲームの掛け声。 1人が審判役でね、パチーンの時は早く目を閉じた方の勝ちで、ギョローンなら早く見開いた方の勝ち」
「……」
「ふふ、役に立ったでしょ?」
「まぁ…うん、でも…それ、楽しいか?」
「何なら今度、一緒にやる?」
「…遠慮しとく」
そんな、どうでも良い会話に続いて。
「じゃあ、あの閃光弾みたいな袋は?」
「ん、あれは光闇粉ってアイテム。 イーファの道具屋で買っといたの」
「へぇ…」
「こっちも役に立ったでしょ?」
「あー…被害者側の意見として、品質は保障する」
そんな、今後の戦闘で役立ちそうな会話もあったり。
その後も色々と話したが、恋愛アプローチ等の、苦手な部類の内容は余り覚えていない。
記憶に残る出来事と会話を総合的に見て、1つ言える事は―――
――女子の遊びに、便利アイテム…どちらも侮れない。
この晩、巨大且つ派手過ぎるベッドで眠りに就いたのは、実に夜半過ぎの事。
無論、眠気と葛藤しながらもアリィはきちんと部屋まで送り届けた。 断じて、自室に招き入れる等の愚行は犯していない。
そうして、余りにも長かった1日は、覚め掛けの酔いと共に幕を閉じた。