第55話 真実との対峙
魔物が存在するこの世界において。
トラやライオン、クマといった肉食獣は所詮、只の “動物” でしかない。
野獣・猛獣・巨獣という言葉は一般的に、強大な “魔物” に対して使われるものだ。
滅多に出会えない獣人系の魔物に対しては、異形の極みという意味を込めて “化け物” なんて言葉を使いたくなる。
だが、今オレは非常に困っている。
更なる未知の異形生物を前に、どんな言葉で罵るべきなのか全く思い付かないからだ。
「アリィ…あれ、何だと思う?」
「…獣人、だと思う。 ほら、洞窟とかでやっつけた」
緩やかな階段を駆け上がった先、玉座の前。
そこでオレ達が見たものは、軽く2メートルを超す巨体に、全身が漆黒の肌で覆われた人型の生物。
獣人だと認識しつつもアリィに確認した理由は、どちらかと言えば人に近い外見と、妙に細く引き締まった体つきが気になった為。
「レグザ…どうす」
「こらぁ!! その人を放せ化け物!!」
恐怖も、迷いも無しに、高々と声を張り上げる。
相手は玉座の前に立ち、ある人間の首根っこを掴み上げていて。
片手で悠々と持ち上げられているのは、黄色を基調とした派手なガウンを羽織った、白く長い髭を蓄えた老人。
一目見て分かった。 それがこの国の王であろうと。
こちらを振り向いたヤツは、カッと目を見開きオレを睨み付ける。
「来たか」
ゾクッとした。
それは紛れも無く、夢の中で聞いたあの声だったのだ。
更に、敵の風貌に加え、その異様な雰囲気にも圧倒された。
これまでに出会った動物進化型の獣人と違い、肌が黒いという点を除けば、その顔立ちは普通の人間と何ら変わりない。
しかし気迫というか、オーラというか、何か禍々しい威圧感の様なものが全身から発せられている。
「感じるぞ。 やっと会えたな我が息…」
「あああっ!!! 喋んなキモい!! その人を放せ!!」
「案ずるな、これはお前をおびき出す為。 もはや他の人間になど用は無い」
言って、掲げていた腕をブンッと振る。
そのまま脇に投げ捨てられた国王は、ギャフッと痛々しい声を上げて地面に叩き付けられた。
「おい看守さん…! 引き付けとくから、その隙に国王さんを逃がせ…!」
チラッと後ろを振り向き、そんな指示を出しておく。
恐怖に慄きつつも、各々に役目を果たそうと決心したのか、2人の看守は首を縦に振る。
「アリィ、援護任せた」
「う、うん…」
戦意を奮い立たせ、背中に手を掛ける。
――あ…。
そこで丸腰なのを思い出し、泳がせた右手をそれらしく構えグッと拳を握る。
癖や思い込みというのは恐ろしく、決して重みを感じずとも、つい普段通りの行動を取ってしまうものらしい。
――ふぅ、言い訳…乙。
「ほぉ、私と闘うつもりか…面白い」
言って、不敵な笑みを浮かべる化け物。
オレとしては、もう相手の正体を確信に近い域で理解しているつもりだ。
つまりヤツが魔王で、オレを “息子” だなんて呼ぼうとしたイカれ野郎でもあるが、後者に関しては丸っきり信じていない。
ギンと睨み付けた直後、猛然と敵に駆け寄る。
用いる武器は己の肉体のみ。 どう考えても無謀だが、この場は格闘術で挑むしかない。
「はぁーーーっ!!」
衝突の瞬間。
充分な間合いに達し、撃ち出した拳の一撃。
しかし敵は決して構えず、身動き一つもせず、その引き締まった肉体に打撃を受け入れた。
「くっ…!」
勢い良く弾かれた拳。 当然、敵は無傷。
それはまるで、分厚いゴムの塊を殴った様な感触だった。
「初式火弾魔法!」
オレの攻撃に続くように、背後からアリィの魔法も放たれた。
まさか自分に当たる事は無いと分かりつつも、反射的に脇へ身を逸らし、着弾の瞬間を見届ける事に。
ボボボボボッ、と命中した小型の火弾群。
それは敵の顔面、もしくは首周りに一発も外す事なく直撃した。
やはりオレが避ける必要は無かったらしい。
アリィの狙いは実に正確で、一直線に向かった味方の真後ろから放ったにも関わらず、ヒットしたのはオレの身長分より上の範囲のみ。
ヤツは避けようともせず全てを食らったが、その理由は実に簡単な事だった。
「ふむ…熱量は充分…並みの魔物なら黒焦げよの」
あろう事か、魔法が全く効いていないのだ。
以前倒した獣人や大グマの時と違い、直撃した筈が何故か引火する事も無く、命中箇所から微かな白煙が立つのみ。
しかも、表情一つ変えずその威力を分析するという冷静っぷり。
「おらぁ!」
考えるよりも、まず動いた。
煙によって僅かでも敵の視界が塞がっている内に、強烈な回し蹴りを繰り出す。
しかし、ダメージは寧ろ自分にあった。
分厚い胸板へ確実にヒットさせた蹴りだが、衝撃による痛みと痺れを足に残したのみ。
反動によって崩れたバランスを軸足で支え、次なる攻撃体勢へと即座に移行する。 それはつまり、拳の弾幕準備。
「うーらららららぁ!!」
バム、バム、バム。
酷く情けない音。 手応えの欠片も伝わってこない感触。 つまり、無謀な挑戦。
渾身の力を込め、全身各所へ無数に撃ち込んだは良いが、その威力は全て筋肉に吸収されてしまったのだ。
しかも敵は反撃の素振りも見せず、その場から一歩も動こうとしない。
「レグザ離れて!!」
「お、おう!」
アリィの合図で咄嗟に身を引く。
直後オレが目の当たりにしたのは、アリィの両手から無数に飛び散った魔力の粒。
「二式焼夷魔法!」
放たれた次なる魔法。
その弾道は目に見えず、拡散した魔力の断片が淡い赤色を発して消えゆくのみ。
だが突如、何も無かった床に発生した炎が、敵とオレの中間地点から徐々にその規模を拡大させる。
「ちょ…熱っ!」
「レグザこっち、早く!」
「わわわわわ」
見る見る内に範囲を広げる猛烈な火柱。
敵の姿も炎に覆い隠され、迫る高熱から逃げる様にアリィの元へ。
「ふぅ…オレまで焼く気かと」
「ごめん! まだ慣れてないの、ごめんね!」
「いい、気にすんな」
今も尚、両手を前方に突き出したまま構えを解かないアリィ。
発生地点があと少し近ければオレまで焼かれていたが、別に怒る気は無い。
覚えたての魔法であろうし、お馴染みの火弾と違い、発動中も集中力を欠いてはならないモノだと瞬時に理解した為。
今や3~4メートルの高さに達した火柱。
姿は見えないが、あの炎に包まれては如何なる生物も黒焦げになる筈。 例えそれが、強靭な肉体を持った化け物であろうと。
だが次の瞬間。
そんなオレの予想、いや希望は脆くも崩れ去った。
「あ…うそ」
「マジかよ…」
燃え盛る炎の中央部に見えた黒い人影。
それはゆっくりと、しかし確実にオレ達の方へ迫り来る。 間も無く全貌を現した敵、その表皮に焼けた形跡は全く見られない。
「ま、魔法が…効かない…!?」
愕然とするアリィは力が抜けたように両手を下ろし、その構えを解いた。
すると、上方へ真っ直ぐ伸びていた火柱が突如バラつき始め、わらわらと横方向に燃え広がる。
やはり発動時、または発動後もコントロール出来るのは場所と範囲のみで、火力に関して術者は一切関与出来ない魔法らしい。
「そう、私に魔法は効かない」
目の前にまで歩み寄り、ヤツは確かにそう言い切った。
迂闊に攻撃を仕掛けるべきではないと判断したが、隙を窺いつつ、アリィを庇う様に身構える。
「お前…何者だ!!」
「やはり知らぬか…しかしヴェルナス、お前の本能は既に私の正体を嗅ぎ取っている筈だが?」
「し、知らねぇよ! ってかヴェル…って誰だよ! オレはレグザだ!」
薄々感付いてはいたが咄嗟に聞いてしまい、しかも自ら名乗る羽目に。
このまま会話を続ければヤツの正体も明らかになるが、ここにはアリィが居る。 妙な誤解を招き、仲間から疑惑の目を向けられる様な展開は極力避けたい。
つまり注意すべきは、この先ヤツが口走るであろう戯言。
「ヴェルナス。 それがお前の本当の名だ」
「へっ、バカバカしい…」
「ふむ…つまりお前は今、完全に人間として生きているのだな?」
「はぁ!? 頭おかしいんじゃね? どう見ても人間だろバカ野郎!」
決して相手のペースに乗せられてはいけない。
ヤツにどんな目的があるのか知らないが、巧みな話術を用いてオレを惑わそうとしているに違いない。
「まぁ…20年余りも人間の世界で暮らせば仕方あるまい」
「おいこら、魔物の分際で気取ってんじゃねぇよ! 目的は何だ!」
「…お前を故郷へ連れ帰り、魔族として、私の後継者として一から鍛え直す」
「だからオレは人間だっつってんだろ!」
「外見上はな。 だがそれは、お前の体に流れる血の半分が人間のものであるが故」
――アホらし…。
もはや鼻で笑うしかない。
コーディから聞いた話にも “後継者” や “混血児” という言葉は出てきたが、常識的に考えて無理が有り過ぎる。
まずキュスリー村が襲撃に遭ったのも、手の甲に浮かぶ模様についても、夢に出てきた声との一致も、全ては偶然に過ぎない。
確信など無いが、もしそうでなければ自分の正体、更には存在価値までも否定する事になってしまうのだ。
「レグザ、あの人…じゃなくて獣人、知ってるの…?」
「知ってる訳ねぇだろ、あんな化け物」
「じゃあ…ヴェルナス……って」
「アリィ! あんなヤツの言葉に耳を貸すな!」
脇のアリィに怒鳴り付け、また視線を敵の方へ移す。
オレはこの時、胸の奥底から込み上げる苛立ちにも似た感情に、自分でもちゃんと気付いていた。
「ヴェルナス。 改めて言う、私と共に来い」
「……」
「まだ信じていないようだが、お前は魔族であり、この私の息子だ」
「あぁ?」
うっかり言わせてしまい、ドキッと胸を鳴らす。
耳を貸すなとアリィに言いながら、まさかのタイミングで飛び出したその衝撃発言に、つい耳を傾けてしまう自分が居て。
「右手の甲に、赤子の頃より刻まれし紋章がある筈」
「…っ!!」
「それこそが私達を繋ぐ確かな証拠、つまり血の証という訳だ。 …分かったら大人しく来い、お前に危害を加えるつもりは無い」
ヤツの発言後、暫し沈黙の時間が訪れた。
何か罵る言葉でも返すつもりが、オレは何も言い返せなかったのだ。
まず相手がこの “模様” の存在を知っていた事に驚き、そして魔王と名乗るより先にソレを明かされてしまうという予想外の事態。
「レグザ…」
そんなアリィの声も耳に入らず。
オレは無意識に、左手で右手の甲をギュッと押さえていた。
どう否定すればいいのか。 何を信じればいいのか。 一体、何が真実だというのか。
だが直後、最も自然な答えを導き出した。
全ての情報は結び付き、完全なる結論が出てしまい、そこで一切の思考が停止する。
この時オレは、決して逃れられない運命があるという事を、正に身を以て知るのだった。
長らくお待たせして本当に申し訳ありませんでした。
スローですが更新は続きますので、以後よろしくお願い致します。