第26話 談笑記念日
満天の星空、静けさに響く虫の音、月明かりに照らされた2人分の影。
こんな雰囲気を味わったのは生まれて初めてかもしれない。 いわゆる、ムード満点って状況。
そこでオレは、信じられない一言を耳にする。
「ありがと……」
数時間前――
ジョセフィーンを連れて宿に戻ると、受付前にてアリィがお出迎え。
部屋から出るなと言い聞かせておいたのに、よほど待ち侘びていたらしく。
そこで再会の抱擁を見守った後、2人を飲食街に連れ出したオレは、その夕食の席で例の魔術師の正体を問い質した。
それまで口籠っていたジョセフィーンは俯き加減のまま、上目遣いでチラッと1度オレを見て。
静かに、しかし淡々と語り出した。
「あの男とは知り合いだ。 傭兵団を結成する前……更に言えばこの国を訪れる前、1人旅をしていた私に街で声を掛けて来たのが奴だ。 旅に同行したいと唐突に迫られ、当たり前だが拒否した。 その場は追い払ったのだが……」
そこまで言って、一呼吸置いて、飲み物に手を運ぶ。
本当なら思い出したくもない事を、強がって話そうとしている。 そんな感じに見えた。
「別の場所で待ち伏せされていた……そこで突然、奴はボソボソと何か呟き出した。 その時は気付かなかったが、それが何やら誘惑効果のある催眠術だったらしい……」
「どうなったんだ……!?」
つい身を乗り出し、話の続きを急かすオレ。
「不覚にも惑わされた……が、当時は奴の腕がまだ未熟だったのか、何とか自力でその術を打ち破り、気力を消耗していた私はとにかく逃げた。」
正直、ホッとした。
その後の事は覚えていない、なんて言われたらどうしようかと。
「そして昨日……偶然なのか、私を探し回っていたのか、この街で再会した。」
――探し回っていたとしたら?
もしそうなら、路上にヤツを置き去りにして来たオレの判断は迂闊だったかもしれない。
そこまで執念深い野郎なら、出る所へ出てきちんと裁きを受けるべきだ。 強制心身操作罪とか何かで。
「会うや否や術をかけられた私は、遠退く意識の中で必死の葛藤を繰り返した……やっとの事で意識を自分のモノにしたのは夜になってからだ……」
「その間は……!? その間の事は覚えてないの!?」
そう、まずそこが重要だ。
アリィが代わりに聞いてくれたので、オレは黙って耳を傾ける。
「……薄っすらとしか覚えていない。 それで、意識を取り戻した時……街のホテルに連れ込まれそうになったが……フラ付く足取りで何とか逃げ切った………」
「じゃあ昨日……どうして帰って来なかったの!? ねぇジョセ!」
感情的に、荒々しく問うアリィ。
それに対し、余りにも 「らしくない」 面持ちで答えるジョセフィーン。
「……宿まで戻る気力が足りず……路地裏で朝を迎えた。 夜が明けてから宿に戻ろうと思っていたが………そこでまたヤツに出会ってしまった……。 衰弱し切っていた私は……」
「もういい!! 分かった!!」
バンッ! と、そこで激しくテーブルを叩く。
中身の入ったスープ皿が揺れ、空のグラスはガチャンと倒れて。
店内の注目を浴びる中、席を立ったオレは2人に 「帰るぞ」 とだけ言い残し、支払いを済ませ足早に店を出た。
「ちょっと待ってよレグザ! 最後までちゃんと聞いてあげなよ!」
「……」
程無く店を出て来た2人の内、アリィがオレに突っ掛かる。
「ねぇってば! 最初に聞いたのはレグザでしょ! どうしてあんな態度取るの!?」
別に怒っていた訳じゃない。 あの態度じゃそう思われても仕方ないが。
もうこれ以上、聞く必要は無いと思った。 それが本音。
「……もう充分だろ」
「え!?」
「あんな辛そうな顔……お前は見てられるのか?」
その言葉の意味は、アリィの心に深く刻まれたらしく。
トボトボと歩くジョセフィーンを2人で挟むようにして、宿までの帰路を静かに辿った。
そして今――
もう真夜中だというのに、何故かオレは宿の外に居る。
どうにも寝付けずベッドの中でゴソゴソしていたオレは、思わぬ来客の誘いで表に連れ出された。
宿の入口脇に位置する庭の様な手入れされた場所で、夜空を見上げる優美な横顔に聞き返す。
「今……何て言った……?」
「聞こえただろう…! 2度も言わせるな…!」
彼女の口から出た信じられない言葉。
この静けさで聞き取れない訳は無かったが、もう1度聞いてみたくもあり。
「いや、寝惚けてて……よく聞き取れなかったような……」
「……探し歩いてくれたんだろう……助かった……感謝している」
そう、分かっている。
今まで素直に言えなかった感謝の言葉だ。 確かに受け取った。
「まぁ気にすんなって……でも、また貸しが増えたぞ? どうするよ?」
「フッ……いつか纏めて返してやると言った筈だ……」
相変わらずの切り返し方。
やはり、ジョセフィーンはこうでないと。
「それと……もう1つ」
「ん?」
「何もされていない……絶対だ」
「え? 何がだ?」
彼女が何の事を言っているのか分からなかったオレは、超が付く程の鈍感野郎かもしれない。
言うなれば、それはオレ自身が1番気になっていた事なのだから。
「あの男には……その……腰は触られたが……む、胸にも! 唇にも! 断じて触れさせてなどいない!!」
なんて物凄い発言。
だがしかし、それを聞いて胸を撫で下ろしたのは事実。
とにかく変に喜ばず、必死に冷静を装って吐き出したオレの台詞は…
「わ、分かった……でも声がデカいって……何もそんな大声で叫ばなくても……」
「あ……」
そこでアハハと笑ったオレを、照れを交えてポカンと殴ったジョセフィーン。
これ以上無い程ロマンティックだった場のムードは、一転して和やかな雰囲気となりその場を包んだ。
ジョセフィーンと初めて談笑したこの夜は、オレにとっての記念日的なモノとなった。