11-3 運営の影
「……どういうことだ」
その夜、真っ暗な部屋で寝台に横たわりながらも、俺は眠れなかった。ランとマルグレーテは、いつものように裸で俺に抱き着いたまま、すうすうかわいい寝息を立てている。
ふたりの恋愛フラグが進んだのは、さっきの風呂ではっきりとわかった。そちらは当面それでいい。だがここのところ、いろいろな謎が俺の前に立ち塞がってきている。卒業を前にした今こそ、それを整理しておかないとならない。
「まず、学園強襲イベントが早まった理由だ」
闇に溶ける天井を睨みながら、俺は思い返した。
一週間以上イベントが早まったのは、やはりこの「現実」が原作ゲームの世界線から徐々にずれてきているからだろう。
なにしろ、初期村で死んでいたはずの俺が生き残った。本来ブレイズのパーティーに入るはずだったランもマルグレーテも、俺にべったりだ。
それに底辺Zクラス絡みのイベントなんか、ゲームには無かった。それが、遠泳大会ではZがまさかの優勝。卒業試験合格パーティーがZから出たのも、十数年ぶり。しかも俺のチームと「ラオウ」組、ふた組も輩出したからな。
ならばこそ、ゲームの世界線が新たな方向に分岐し続けているのだろう。幻に終わったR18版への分岐ですら、今では見えつつある。
「つまり今後も、ゲームのメジャーイベントクラスで、時期や内容の変更がありうるってことか……」
それはちょっと辛い。なにせ俺はモブ。有利な点としてはゲーマーとしての記憶と、バグ技を知っていること程度だ。だがイベントやクエストの時期や内容が変わっていくのだとしたら、この利点を完璧には生かせなくなる。今後、厳しいクエストが待っているだろうということだ。
「モーブ……」
寝ぼけたマルグレーテが胸に頬をすりつけて来たので、頭を撫でてやった。
「う……んっ」
無意識に、俺の胸の先を吸い始めた。ときどきこれやるから、俺もう慣れてるわ。なんというか、子供をあやす母親になった気すらする。
マルグレーテ、本当に唇着けるの好きだわ。さっきも風呂で俺の舌、赤ちゃんのように吸ってたし。なんだっけ、心理学者のフロイトが言ってたよな。えーと……口唇期か。その頃、母親に甘えたい欲求が満たされなかったんだな。今でも執着する心が、どこかに残っているのだろう。
「えーと、なんだっけ……」
俺は、思考を戻した。そうそう。イベント変異の件だった。それに関しては、中ボスオーガが、俺を見て「もうひとつの可能性。こっちを先に潰せばよかった」とかほざいてた。「もうひとつ」ってのは、ブレイズ、つまり勇者以外の、もうひとつの脅威という意味だろう。つまり、魔王側は、勇者ではない俺という存在を感知しているということだ。
「なぜか俺を脅威に思ってるわけか」
とはいえ俺はそもそも魔王を倒すとか、そんな気はさらさらない。俺やラン、マルグレーテやリーナさん、それに学園の知り合いをほっといてくれるなら、どうでもいい。魔王なんか、勝手にブレイズに滅ぼされろよ――としか思ってない。こっちにやり合う戦意がないのに勝手に仮想敵国のような扱いをされるのは正直、迷惑だ。
「なんとかこの誤解、解けないものだろうか……」
魔王に使者を送るとか……。無理か。
まあいい。戦闘なしの中ボス遭遇イベントでもあれば、言ってみるだけならできるかも。そのときどう伝言を頼むか、心構えだけは今のうちにしておこう。
「……ああ、くすぐったい」
そろそろ胸吸うのやめてくれんかね。むずむずするんだわ。
「モーブ……」
今度はランだ。背中を撫でてやった。
「……好き」
むにゃむにゃやると、また夢の世界に落ちていく。かわいいなあ、ランもマルグレーテも。俺、ふたりのこと守ってやらんとな。
「卒業試験だって、なんか裏がありそうだしな」
原作ゲームにない、あの謎ダンジョン。あれについては、何度も考えてみている。なんかあれ、ピンポイントで俺をターゲットにした「罠」な気がするんだわ。
だって考えてもみろよ。「高難易度表示」「厳しい時間制限」「ゼロか百、どちらかしかないクリア判定基準」――。こんなん、普通の学園生が選ぶはずはない。卒業試験は体操競技と同じ。ポイントをちまちま稼ぐのが重要なのに、こいつはゼロか百。しかも百が極めて難しいときた。
だが、俺にとってはどうだ。無力なモブの俺には、「モンスター不在」条件は、極めて魅力的。「俺が選びたくなる」ように設計されている。つまり一般の学園生は絶対に選択せず、俺だけが引き寄せられるよう、狙って仕掛けられたも同然だ。おまけにダンジョン地図まで最初から完成していたし。「これを選べ」と言わんがばかりだ。
それで俺が実際に挑戦したら、最後の最後、いないはずのモンスターが出た。しかも中ボス。俺達を部屋に閉じ込め、逃げられないようにして。まさに抹殺の構えだ。これがねずみ捕りの仕掛けじゃないとしたら、なんなのか。
俺以外の学園生が仮にこのダンジョンを選んでいても、最初の部屋、つまり罠の部屋は、俺のとき同様、開かず、最後に回すしかない。最後に辿り着くには厳しい時間条件のクリアが必要で、ほとんどは途中離脱するはず。だから「中ボスがいる」情報は、学園に伝わらない。つまり俺の元にも届かない。要するに「万が一他のチームが俺より先に挑戦しても、ボス罠の件は、俺にバレない」設計だ。
それにそのボスがさあ……。
「アドミニストレータって、名乗ったしな」
アドミニストレーターとは、英語で「管理者」の意だ。あのときは考える時間もなかったし、咄嗟に「ダンジョンの管理者」だと思ったが、この罠の件とかいろいろ考え合わせると、違う意味がありそうではある。
まして野郎は、「これよりイレギュラーを排除する」と宣言してから戦いに挑んできた。イレギュラー、つまり「予想外の存在」の排除。要するにダンジョンに侵入した俺達のことだ――と、戦闘時は思った。だがこれも、このダンジョン自体が罠だと仮定すると、別の解釈はありうる。
「この『現実』で、最大のイレギュラー要因。それは俺だ」
なんたって、初期イベで死すべき即死モブが生き残って、ゲームの筋書き勝手にゴリゴリ書き換え、世界線を分岐させ続けている。俺を排除し、元の世界に戻そうとしているのではないか。そのために罠を張ったとしたら……。
そのような動機を持つ者がいるなら、それは誰だろうか。
「アドミニストレータってのは、運営か……」
何度考えを回しても、その可能性が頭をぐるぐるする。なにせ、そう仮定すれば、全てのピースがぴったり嵌る。死というシナリオから逸脱して逃走し、ゲームを内部から勝手に改変、あまつさえバグ技を使い倒す俺は、存在自体が「バグ」のようなもの。バグ満載RPG運営としてバグを潰し続けている野郎が、「最大のバグ」として、俺の排除を狙っていても不思議ではない。
この仮説が正しいのかは正直、わからない。そもそもここは、ゲーム世界とはいえ現実だ。その外側に「運営」という存在がいるというのも、強引な仮定にすぎない。だが俺は、少なくともそれを「あるかもしれないリスク」として意識しておく必要がある。
仮に存在していたとして、運営から見たら、俺はただのバグかもしれない。だがこっちはここで生きている。バグ排除ってことは、俺をこの世界から抹殺することと同義。つまり俺にとっては「死」の宣告でしかない。
前世、過労で倒れてかろうじてゲーム世界に転生したったのに、またすぐ死ぬなんてごめんだ。それは俺がこの世界を存分に楽しみ尽くして、ランとマルグレーテにはR18フラグを立ててからにしてほしい。むしろそのくらい許してこその運営じゃないのかよ。こっちは内部でゲームをプレイしてる「キャスト兼プレイヤー」だからな。
「ここで人生を味わい尽くすまでは、相手が謎の存在だろうと運営だろうと構やしねえ。戦ってやるさ」
言葉に出して、宣言した。
仮に相手が運営だとすると、俺は今、運営と魔王、双方から追われていることになる。これってどうよ。勇者ブレイズよりキツいだろ、正直。俺はもともと、NPCの即死モブだぜ。荷が重いわ。前世の地獄から、ようやく解放された。こっちでは遊んでいたいだけなのに、この世界からも抹殺されるってのか……。
「……」
夜は心が弱くなる。前世なら酒でごまかして寝ていたところだが、ここ旧寮にアルコール類はない。心が潰されそうだ。思わず、ふたりを抱き寄せた。強く。
「……モーブ」
「どうしたの」
「ごめんな。……起こしちゃったか」
「悪い夢でも見た?」
「ちょっと……辛くて」
今の気持ちを、正直に口にした。このふたりになら、俺は気を許せるからな。弱いところだって見せてもいい。
「ほら、おいで」
ランが俺を抱いてくれた。胸と腕で頭を包むように。やさしく撫でてくれる。
「モーブはいい子。大丈夫だからね」
「……」
俺は、無言でランに溺れ込んだ。いつの間にか、後ろからマルグレーテが抱いてくれた。そっと。壊れ物を扱うときのように。
「モーブったら、甘えん坊ね……」
俺の背中に口を着け、ささやく。
「わたくしが抱いていてあげるから、お眠りなさい。悪夢は忘れて、わたくしたちのことだけ考えて」
「……」
「生きていれば、いろいろな運命が待っている。わたくしもそう。実家があるから……。でも運命と戦うのは、明日にしましょ。こうして三人で生きている。今はそれだけ感じていましょう」
ああ。そのとおりだな、マルグレーテ。俺はふたりの鼓動を感じながら今、生きている。温かな心に癒やされて。
ランとマルグレーテに優しく包まれて、俺は眠りに落ちていった。
●次話、「卒業式」。無事卒業式を迎えたモーブ組、そして健闘したZクラスを、学園長が祝福する。一方、卒業式を終えたモーブは、ブレイズと共に王宮に招かれる……。




