10-3 魔物の渦
「だいぶ、暖かくなってきたねー」
マルグレーテにもらった魔導書から顔を上げると、ランが教室の窓を見た。校舎北西隅で日の当たらないZクラスとはいえ、三月下旬に入り、さすがに気温が緩んできている。ちょうど昼飯後の、一番暖かな時間帯だし。
「まあなー」
卒業試験ダンジョンクリアから十日ほど経ち、俺の傷もほぼ治った。リーナさんにもらった治療液を、風呂上がりにランとマルグレーテが毎日塗ってくれたしな。
「なんだか眠くなってくるねー」
「ラン、今日の弁当たくさん食べてたからな」
焼肉だの野菜と魚の煮付けだの、てんこ盛りだったし。満腹になれば、そりゃ眠くなるわ。
「だって、おいしいんだもん」
ぷうっと頬を膨らませた。まあ成長期だし、飯がうまいのはいいことだ。実際、風呂で見ていても、胸とかますます順調にご発展中だし。
卒業試験期間も終わって、後は来週の卒業式を待つだけ。すでに全員、卒業か落第ははっきり決まった。あーちなみに俺のパーティーは当然、合格だ。
だから授業たって、なにもやることがない。第一、Zは元から完全自習だし。だから教室ものんびりしたもんだわ。教科書開いてるのなんて、ランだけだからな。マルグレーテにもらった魔導書を読むの、好きみたいだからさ。
そんなわけで、各人勝手に教室内を歩いては、仲いい同士でなにか話している。Zは随分変わった。俺が入学した当初は、みんな底辺コンプで雑談なんかない、どんよりしたクラスだったからな。
授業中だってのにこの賑やかさは、言ってみれば「学級崩壊」って奴だ。だがもう卒業までやることも特にないんだから、なんの問題もない。マルグレーテやリーナさんに聞いたけど、SSSドラゴンはじめ、どのクラスもこんなもんらしいぞ。
マルグレーテなんか、授業も無いしブレイズの顔見るのも嫌だってんで、毎日旧寮の馬小屋に入り浸ってる。今日ももちろんそこだ。今朝、窓からの陽光に裸の肌を輝かせながら制服を着るとき、言ってたからな。馬術が趣味……というか貴族のたしなみだけに馬の世話、好きなんだわ。
それにZの場合、そもそも教師のじいさんにしてからが、朝教室に出てくると、あとは教卓で寝てるだけだからな。今もそうだけど。今さら崩壊もクソもないわけで。
「ねえ、モーブ」
俺とランの机の脇に、珍しく「トルネコ」が立った。
「どうした」
「これをあげるよ」
ぶっきらぼうに、なにかを突き出した。見ると、名刺ほどの大きさの茶色い革に、文字を焼印したものだ。「トルネコ商会 永久半額パス」と焼き付けられている。
「いいのか。こんな貴重なもの、もらって」
「いいんだよ。ただまだ開店してないから、使えるのは随分後になるだろうけど。まずは故郷の親父の店で、丁稚奉公から始めないと……」
照れたように微笑む。
「前も言ったよね。モーブの生き方を間近に見て僕、人生が変わったんだ。武器商人として、冒険者を助ける――。それが僕なりの冒険だって気が付いたから」
「そうだな」
「だからこれは、僕のお礼の気持ちなんだ。……モーブからは、もっと大きなものをもらったからさ。人生の指針っていう」
冒険者に憧れてヘクトールに入ったのはいいが、成績底辺のZ送り。すっかり腐っていた「トルネコ」は、冒険者を助ける方向に、人生の目標を切り換えた。
「……お前の本名、コルムだったな」
「本名……というか、名前だけどね」
そらそうだ。俺が勝手に「トルネコ」呼びしてるだけだし。
「ありがとうコルム。いつの日か、お前の店に寄らせてもらうよ。絶対だ」
「楽しみにしてるよ、モーブ。僕、待ってるから」
「わあ、ありがとうね、コルムくん」
ランが、コルムの手をぎゅっと握った。それを見て、教室中がざわめく。
「モーブの力になってくれて」
「はわ、はわーっ……」ドタン。
「大変だ。コルムが気を失った」
「いいからほっとけ。ランに触ってもらうとか、こんなうらやまけしからん奴、なんなら死んでも構わん」
「それもそうか」
もう大騒ぎだ。……この騒ぎでも、じいさん先生、一切起きないのが凄いところだ。「トルネコ」よりこっちのがマジ死んでるんじゃないか、これ。
「なあモーブ」
今度は「ラオウ」が来た。
「どうした」
「俺、お前に会えて良かったよ。モーブの態度を見て、自分の生き方変えられたから」
「そうか……」
「ラオウ」は、底辺Zクラスでは珍しい、「卒業試験ガチ組」だ。歴史・戦記マニアのオタク気質の本領を発揮して、Zクラスで「とりあえずこのスキルだけは底辺にしてはマシ」な奴を、うまいこと集めた。それで手持ちの戦力でクリアできるぎりぎりのダンジョンを選択し、効率良く戦闘と探索をこなした。
で、結果、卒業最低ラインとはいえ、見事に合格した。Zで卒業生が出たのは実に十数年ぶりだってんで、学園中の話題になった。しかも俺のチームとラオウ組、ふた組も出たからな。
「合格おめでとう、ディアミド」
「ラオウ」の本名な、これ。
「なにもかも、モーブのおかげだよ」
手を差し出してきたんで、握り返してやった。
「ありがとう」
がしっと、温かな手の握手だったわ。手を離してからも、なにか言いたげに、突き出したままだったが。
「……」
なんとなくランをちらちら見ている。
「……ラン」
俺が目配せすると、ランは「ラオウ」の手を握った。
「おめでとう、ディアミドくん。これからも仲良くしてね、モーブと」
「うっ……」
「ラオウ」の瞳に、涙が浮かんだ。
「わ、我が人生に一変の悔い無しっ。ガチで!」
ガッツポーズで泣いている。
「モーブ」
「なあモーブ」
それを見て、俺の前にクラスメイトが次々に列を作った。なんだこれ。俺をダシにした握手会かなんかか。
あーちなみに、最終日に挑戦したブレイズ、無事、卒業試験ダンジョンクリアしたってよ。リーナさんが教えてくれたわ。ただ「慎重に進もう」と提案する、実戦経験豊富な教師陣と、正攻法でガンガン進もうとするブレイズで、軋轢がかなりあったって話だ。
とはいえ多少揉めても、パーティーの総合力は高い。なんせゲームの主人公補正をもらってる勇者ブレイズに、学園最高峰教師三人だからな。ダンジョンボスまでは無難に進み、最後、六百年眠り続けたドラゴンの前まで進んだ。
ここでも「眠っている間にひと太刀先制」と主張する教師組と、正々堂々、起こして名乗ってから戦うと頑なに主張するブレイズでひと悶着あった。でまあぶっちゃけブレイズの卒業試験だし「一応」リーダーだからってことで、ブレイズ案でやることになった。
おかげで大苦戦はしたものの、最後の最後、全滅寸前でスカウトリーダーの必殺剣がドラゴンの首を落としてクリアできたらしい。
「モーブ」
「モーブ、俺」
「モー……ラン」
「ラン」
なんかもう、列の奴、俺を通すのも面倒とばかり、最初からランに行ってる奴まで出てるわ。
それでさ。話を戻すけど、そういう経緯でかろうじてクリアしたってのに、もうブレイズが鼻高々でぺらぺら、誰にも聞かれてないのにSSSの教室内で自慢しまくる。だから教室の空気が最悪だって話だったわ。
だってそうだろ。雑魚戦から最後の一太刀まで、言ってみれば結局引率教師頼みだったのは、明白。「あの教師陣なら、誰だってクリアできたよなあ。教師の陰に隠れてればいいんだから」……というのが、学園生のもっぱらの評価だ。
でもそれが、ブレイズには見えてないんだからな。マルグレーテが言うには。「最大難度のダンジョンを見事にクリアした僕の勇気を、見本にしてよ」とかなんとか、上からで吹きまくってるらしい。
ドン・キホーテばりに我が道を突き進む主人公ってのも、難儀なもんだわ。まあ魔王を倒すってとんでもない目標を持ってる奴は、このくらいじゃないと務まらないのかもな。
どのクラスも本来、今の時期はここZのように「ほんわか」してるもんだけど、今年のSSSは違うって話さ。いやブレイズだけ消えてたら、多分ほんわかなんだろうけど。
「ねえモーブ」
「はいモーブ」
「ランちゃん……」
ガタッ――!
まだまだ続く教室の大騒ぎをぼんやり眺めていると、教卓で大きな音がした。教室中の注目が集まる。例によって居眠りしていたじいさんが、ハゲ頭を起こして飛び起きたところだ。口の端からまだよだれが垂れている。
「いかんっ!」
大声だ。いつもの態度からは信じられないほどのスピートで走り、教室の中央に立つ。窓の方を向いて。なんだ、悪い夢でも見たのかな。
「皆、わしの後ろに集まれいっ」
「はあ?」
「なんだよじいさん、いよいよボケたか」
「寝ぼけるのもいい加減に――」
「空け者っ!」
凄まじい迫力だ。声だけでなく、体中からなにかのオーラが立ち上っている。
教室が一気に静寂に包まれた。
「魔物が来るぞっ! 敵襲じゃ」
両手でなにか不思議な印を結ぶと、口中でもぐもぐ、なにかの詠唱に入った。
「馬鹿な」
「辺境ならともかく、ここ、王国の中央部近いのに」
「あの……」
「せ、先生……」
半信半疑ながら、あまりの剣幕に、学園生がじいさんの後ろに集まる。俺も、ランに手を引かれるようにして従った。
そのとき突然、全ての窓が砕け散った。細切れのガラスのかけらが飛び散る。陽光にきらきら輝きながら俺の頬をかすめ、切り傷を作った。
「グエへへへっ」
にゅっと、窓から薄汚い顔が覗いた。いくつも。有翼オーク、それにどでかい有翼トロールまでいる。ここは三階だ。その窓からってことは、上空から来たのだろう。俺とランの初期村を燃やし尽くした、ガーゴイルのように。
「どいつが『それ』なんだぁ」
「いいだろ。全員殺せば同じことだ。俺、考えるの苦手だし」
「そうだな。やれっ」
キイキイ声で命令しているのは小柄だから、コボルドだろう。
「せーのおっ」
トロールが巨大な棍棒を振りかざした瞬間、じいさんが叫んだ。
「オーディンの槍っ!」
と、じいさんの手から、稲光のような槍が、いくつも飛び出した。敵に向かって。
「な、なにっ!」
「ぐふっ」
「ぐわあーっ!」
口々に悲鳴を上げると、敵の姿は全て消え去った。槍に貫かれたというより、槍によって「掻き消された」かのように。
「見ろっ!」
誰かが叫んだ。教室の中に、雪が降っている。室内の水蒸気が凍ったんだ。叫んだそいつの息も真っ白。どえらく寒い。
「マナ召喚魔法かよ。居眠りじいさんが、なぜ……」
「嘘だろ。『オーディンの槍』は、大賢者魔法だぞっ」
「凄い。教室中のマナを消費したんだ。だからエネルギーを吸い取られて、こんなに冷えた」
「それより、凄い音がしてるぞ。あちこちで」
「ここだけじゃない。きっと学園全体が襲われてるんだ」
「女子の悲鳴が聞こえる。……どうなるんだ、俺達」
学園生の動揺に動じることなく、じいさんは口の中でなにかを呟き続けている。
「我が名はゼニス。古の盟約に依りて、我が請願に応えよっ!」
叫んでまた印を結ぶと、俺の制服の胸章、「Z」一文字だけの素っ気ない例のあれが、青く輝き始めた。なにかの模様が浮き上がる。「稲光を咥えた鷲だか鷹だか」。そう見える。俺だけじゃない。クラス全員の胸章が発光している。
「嘘だろ……おい」
紋章に詳しい「ラオウ」が、自分の胸を見て目を見開いている。
「雷光鷲紋……。これ、神王ゼウスの紋章じゃないかっ!」




