9-9 タイムアップ
「見えたっ!」
最後のカーブを曲がると、先頭のマルグレーテが叫んだ。
「出口よっ」
上に下にと激しく動くいかづち丸の首越しに見ると、トーチ魔法ですら照らし切れず闇に落ちる遥か先に、ぽつんと丸く、陽光が見えている。
「痛っ」
いかづち丸も今は、乗り手の乗り心地なんか考えていない。だから、どえらく体が跳ねる。下半身に力が入らないだけに、吹っ飛ばされそうになる。手綱を持つ手を片方離し、ランが俺を抱えてくれているから、なんとかなっている。だが一回跳ねるだけで、気絶しそうになるくらい激痛が走る。多分、どこかの骨にヒビが入ってる。折れてるかも……とか内臓が……とかは、考えないようにした。全て後回しだ。
「くそっ!」
頭を振って、消えそうになる意識をかろうじて引き止めた。先に見えた出口は、絶望的なほど遠い。
あそこまで行かなきゃならんのか。今にも気を失いそうなほど痛む体で……。
――0:01:43――
タイマーは、無慈悲なカウントダウンを続けている。いくら襲歩、つまり時速六十キロの全力疾走とはいえ、一分かそこらで届くとはとても思えない。
「飛ばせっ」
思わず叫び声が出た。
「心臓が割れるまでっ!」
「イ、イイーン!」
俺の絶叫を聞いてか聞かずか、ひと声大きくいなないたいなづま丸は、信じられないくらい馬脚を速めた。裸馬の先頭として独走する。二番手のスレイプニールとの差が、どんどん開いていった。
「真祖の護りっ!」
マルグレーテが大声で宣言すると、体から青い光が前後に飛び、馬の体を包んだ。どの馬もさらに加速し始める。信じられないくらい速く前後する脚は、動画を早回しで見ているかのようだ。
「あれテイム魔法だよ、モーブ。馬の真祖の力を『深遠』から引き出してるの」
ランが教えてくれた。
「マルグレーテちゃんにもらった魔導書に書いてあった。かなり後ろのページ」
馬を操りながら時間をかけて、高位魔法を詠唱していてくれたんだな。
「よしラン。こっちも飛ばすぞっ!」
「任せてっ!」
馬はぐんぐん加速を続ける。生きているかのように、揺れる視界に出口がどんどん大きく見えてきた。
――0:00:12――
――0:00:07――
――0:00:03――
もう、いなづま丸は出口直前だ。
「まだだっ。まだチャンスはある。諦めるなっ!」
俺の叫びと同時に、いなづま丸が出口を駆け抜けて消えた。
残り時間は……「0」。
「くそっ!」
ここまでか。前世と同じように、この世界でも俺は失敗するのか、人生に。
絶望の黒い闇が、胸に広がった。
「大丈夫っ!」
俺の前から、リーナさんが叫び返した。
「ほら、出口が消え始めている。消え切る前に抜ければいいの。ロスタイムは十秒かそこらよっ!」
見るとたしかに、出口に空間遮断の膜が張り始めている。中はぐるぐると、渦のようになっていて、外の光景はもう歪んでいて見えない。カメラの絞りを絞るように、渦はどんどん狭くなってゆく。首の皮一枚だけ繋がったが、状況はより厳しくなっただけだ。あれが閉じ切る前に通り過ぎないとならないから……。
――0:00:00+03――
――0:00:00+04――
――0:00:00+05――
タイマーは、時間切れ後もカウントを続けている。
「モーブ、頑張るのよっ! わたくし、先でいつまでも待ってるわ。モーブに言わないといけないことがあるから、だから――」
マルグレーテがなにか言いかけたとき、騎乗するスレイプニールが跳躍した。すでに地上から一メートルくらいの高さになっていた渦の下端を飛び越え、姿が消える。
「急いで、モーブくん!」
リーナさんが振り返った。いかづち丸は頑張ってくれているが、なにしろふたりも乗せている。どうしても他の馬から遅れ気味になる。すでにリーナさんのあかつき号とは、十馬身近く離されている。
「踏ん張るのよっ。あなたヘクトールの改革者でしょ。私、信じてる。モーブくんとランちゃんが、絶対にこのダンジョンをクリアするって」
「イイーン!」
ひと声叫ぶと、あかつき号が跳躍した。出口から漏れる陽光に、それこそ夜明けのように栗毛の馬体を輝かせながら。すでに二メートルにも達している渦の下端に向かい。
まるで飛んでいるかのような、見事な跳躍。前脚と馬体が通り抜ける。信じられないくらい高く跳んだのに、後ろ脚だけは通り切れず、蹄が渦の下端を叩く。カンッという硬質な音が響いた。
――0:00:00+19――
――0:00:00+20――
――0:00:00+21――
「ああ……」
背後から、ランが絶望の声を上げた。
「出口が消えちゃうっ!」
渦はもう直径二メートルもない。しかも下端は地上三メートルに達している。もうあと数秒で出口には到達できるが、あの高さを越えられるとは、さすがに思えない。
「お願い、いかづち丸。モーブを助けて。いつもみんなを守ってくれたモーブをっ!」
叫ぶ。
ランはすでに手綱を放した。俺の体を後ろからぐっと強く抱いている。守るかのように。
「跳んでっ!」
絞り出すようなランの願いと共に、いかづち丸は跳躍した。
高く。
どこまでも高く。
生じた壁にぶち当たる勢いで。
「レベル三浮遊っ!」
ランの体から白銀の魔法が飛んで、俺達を包む。いかづち丸の馬体が、もう一段高い放物線を描いた。
……だが、それでも下端が首のあたりだ。通り抜けられるとは思えない。俺とランを乗せたまま壁に激突して、大怪我時間切れは確定だ。
すまんいかづち丸。そしてラン。俺だけじゃなく、お前たちにも怪我させてしまうな。……俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。
一瞬諦めかけた、そのとき。
「なにっ!?」
俺の体は、ぐっと高く持ち上げられた。馬体ごと。
「これは……」
いかづち丸の体から、炎に似た黄金の輝きが巻き起こっている。それはまるで翼のように、馬体の左右に広がった。幻の翼は、羽ばたきを続けている。
「いかづち丸、お前いったい……」
「イイーンッ!」
ひときわ高くいななくと、いかづち丸は見事に渦を通り抜けた。体ぎりぎり、首を下げ脚を前後にまっすぐ伸ばし、小さな輪くぐりに挑戦するいるかのように。
●次話から新章「第十章 史実無視の奇襲」開始。
かろうじて卒業試験ダンジョンをクリアしたモーブ組。卒業式を前にまったり春を楽しむ学園を、突如として魔物集団が襲う。元のゲームよりなぜか一週間も早まったクエストを前に、モーブはどう動く。学園の危機を前に、ついに明らかになる「居眠りじいさん」の正体。そして馬小屋にひとり取り残されたマルグレーテは……。
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