4-5 穏やかな日々
「釣れた釣れたーっ」
スターフェアラー号甲板。跳ね回る小さな回遊魚を手に、レミリアが大喜びしている。真昼の強い陽射しに魚はきらきら輝き、透き通った水滴を飛ばしている。
「あんまりはしゃぐと海に落ちるぞ」
「平気だよモーブ、すんごく穏やかだし。ほら」
鏡のように平穏な遠い水面を、レミリアは示してみせた。
「それにあたし、バランス感覚抜群のエルフだし。多少揺れたって落ちっこないよ。むしろ、モーブこそ気をつけてよね」
「まあ……そりゃそうか」
あの貧しい漁村を出て二週間。大陸を離れる海流に乗って、スターフェアラー号は順調に航海を続けていた。なにせ魔導船で、操船の手間はほとんどない。それにこうして海は奇跡のように凪いでいる。なので船長のグレイフィンにしてからが、毎日総船室で足を投げ出して昼寝してるだけだ。眠り猫と並んで。王立冒険者学園ヘクトール時代の居眠りじいさん思い出すわ。
ともかくそんなわけで俺達は、無聊の慰めに毎日こうして釣りしたり水着姿で寝転んだり、もちろん飲んだり船室でいちゃついたりと、まるでリゾートのように遊んでいた。
一応船長室がありグレイフィンの寝床もあるのだが、野郎はなぜか毎日操船室で眠る。夜は航行せず船が流されるのに任せるのだが、一応心配らしい。操船室はもちろん甲板の上、四方を見渡せる場所だし俺達の船室は甲板の下だ。だから声が聞かれる心配はないんだが、それでもやはり遠慮して、いちゃつくときは声をなるだけ出させないようにはしていた。
飯のときも船長は寡黙であんまり話さないんだが、無邪気なランがあれやこれや話しかけるから、どうやらグレイフィンは男やもめらしいというところまではわかった。そんな奴に幸せな喘ぎ声を聴かせたらかわいそうだろ。まあ最初数日は俺も大人しく禁欲してたんだが、やはりこう……長くはもたなかった。男ならわかるだろ。
「モーブくん、お菓子食べる」
リーナ先生が、俺の腕を背後から優しく掴んできた。水着姿で、しっとりしたケーキを差し出す。
「これはそれほど日持ちしないし、早めに食べておきたいのよ」
「頂きます」
ぱくっ。
ひとくちでやっつけると、甘い香りが口の中に広がった。
「ふふっ。男の子ねえ……」
俺の腕を胸に抱くと、甘えるように頬を肩に寄せてくる。
「ゆっくり味わえばいいのに」
「味わうなら、こっちのがいいですね」
「あっ……」
腕を掴んで引き寄せ、キスを与えた。嫌がることもなくリーナ先生は瞳を閉じ、俺のキスに応えてくれる。
「……もう」
怒ったような声で顔を離したが、頬が赤い。
「まだ真っ昼間でしょ、モーブくん」
「退屈で。……ほら」
「ダメ……だって」
「先生こそ、なんで水着なんて持ってきたんですか。冒険ですよ、これ」
「それは……知らない人と沐浴することになるだろうし、それに……」
胸の上で動く俺の手に、そっと自分の手を重ねてきた。
「モーブくんに見てもらいたいし」
ちゅっと俺の腕にキスする。
「みんなも持ってきてるから。思いは同じよ」
「俺も水着、荷物に入れとけば良かったかな」
「他人とのお風呂ならモーブくんは下着で入ればいいし、私たちとなら……ねっ」
恥ずかしそうに微笑む。
「そのときは先生にも水着なんて着せませんよ。ほら」
「あっ」
ビキニの紐を解いて上を落としてやった。
「ダメ……」
「いいでしょ、ほら」
後ろ抱きに、両手で包んであげる。
「……んっ」
体を反らした先生が、俺にキスをねだってきた。
「……」
「……」
「……んっ」
「仲の良いことだ」
「あっ」
慌ててリーナ先生が離れた。ミリ秒で水着を拾ってナノ秒で身に着ける。
「なんだグレイフィン、起きたのか」
「そりゃ起きるさ。操船室のすぐ前でいちゃつかれてはな」
呆れたような瞳で苦笑いしている。
「毎日ぐっすり昼寝してたのに」
「まあ……な。これからは、寝るのは猫に任せる」
俺から視線を移すとグレイフィンは、水平線に視線を投げた。
「そろそろこちらの大陸棚から離れる。大陸海神の力が及ばなくなる頃だ」
「なにかあるのか」
「……」
ポケットから草の塊を取り出すと、口に放り込む。黙ったまま、グレイフィンはそれを噛んでいる。食べるのではなく、噛んで捨てるだけ。近在の漁師の間で流通している、嗜好品ということだった。まあ現実世界で言うところの噛み煙草とか檳榔みたいなもんだろう。
草の汁で赤くなった唾液と共にカスをぺっと海に吐き出すと、グレイフィンは眉を寄せてみせた。
「そろそろ海が荒れる。それに……モンスターが出るやもしれん」
「こんなに穏やかな海なのにか」
「自然ではな。でもお前も知ってのとおり、海は呪われた。船乗りの経験で読めるような、そんな生ぬるいものではない」
「だからこそ、あっちの大陸との交易が途絶えたんだもんな」
「そういうことよ」
俺の後ろに隠れるようにして恥ずかしがっているリーナ先生に、グレイフィンは笑いかけた。
「俺はなにも見てないぞ、お嬢ちゃん」
「その……はい」
赤くなっている。
「モーブよ」
操船室の上に立って四方を観察だか警戒だかしていたヴェーヌスが、飛び降りてきた。まあこいつも水着姿なんで、それでも遊び半分だろうが。
「空気が変わった。闇の気配がする」
「見た感じ、変わらないけどな」
高級リゾートの海といった、穏やかで豪奢な水面が広がっているだけだ。
「相変わらず鈍いんだな、お前は」
今度はヴェーヌスに呆れられた。
「こんな男があたしの婿とはのう」
「好きなんだろ、でも」
「……」
黙ったまま、ぷいと横を向いた。
「好きなんだろ、ヴェーヌス」
「愛……している、お前を。父上よりずっと」
「よし。……それよりグレイフィンとヴェーヌスが揃って言うなら、頃合いか」
周囲を見回してみた。俺の仲間はそこここに散り、釣りしたりケーキと茶でアフタヌーンティーしていたり、操船室の屋根で寝転んでいたりと、いつもどおりに楽しんでいる。
「そろそろ水着は止めるか。戦闘用の衣服と装備だと暑くてうだるから普段の軽装にして、武器は甲板にまとめて固定──」
──どんっ──
突然、グレイフィンに突き飛ばされた。なにが起こったのかわからず混乱したが俺は、すぐ状況を悟った。
グレイフィンの手には、つららのようなものが握られていた。今まさに俺が立っていた場所だ。
「敵襲だっ!」
大声を上げたヴェーヌスが、そのつららを奪い取った。そのまま体を回転させ、船の前方にぶん投げる。前方……十メートルほど先に姿を現した巨大な巻き貝に。五メートルはあるだろうか。どういう仕掛けか海面の上を這い、殻から延ばした体表には海老のような腕が何本も生えている。ヴェーヌスが投げ返したつららを、そいつは体を反転させ、殻で弾いた。
「全員戦闘配置っ」
叫びながら、俺は飛び起きた。
「このサザエ野郎は魔物だ。しかも海上で、接近攻撃できん。魔法攻撃開始っ。前衛は後衛を守れ。レミリアは弓で目を狙えっ」
矢継ぎ早に命じた俺の胸に、信じられない速度で飛んできたつららが突き刺さった。呑気な陽光に、きらきらと輝きながら。




