3-1 静かな朝
「……」
俺の意識は、夢の世界から現実に着地した。なんだか唇がくすぐったい。
「……」
目を覚ますと、共寝のベイヴィル女将が、俺の唇を撫でていた。腕を動かすたびに、裸の胸の先が俺の胸をくすぐる。
「ふふっ。起こしてしまいましたね。ごめんなさい、モーブ様」
「いいんだよ。ほら、おいで」
ぐっと抱き寄せる。熱い吐息と共に、ベイヴィルは俺の胸に頭を乗せた。ちゅっと口を着けてくる。
「モーブ様……好き」
「俺もだよ」
ここは湖畔リゾート「エスタンシア・モンタンナ」の女将の寝室。リゾート本棟から少し離れた建物で、「水守の離れ塔」と呼ばれる小塔仕立ての最上階だ。
窓の緞帳は薄く、朝陽が室内を優しく浮かび上がらせている。滑らかな絹のシーツは、昨夜の情事に乱れ、荒海のように波立っている。三人の着衣は、寝台の脇に荒っぽく放り投げられている。下着も。
「愛しています」
「ふたりとも素敵だったよ」
「ええ」
ベイヴィルの反対側では、孤児院のエリナッソン先生が、小柄な体で俺に抱き着いたまま、ぐっすり眠っている。ゴーゴンの体質なのかはわからないが、体温が高い。
「先生はお疲れのようですね。まだお起きにならない」くすくす
俺の胸から、ベイヴィルが俺を見上げた。
「モーブ様が昨晩、激しくしすぎたからですよ」
「嫌だったかな」
「いえ、幸せに浸っているのです。私と同じ」
「良かった……」
「ああ……やだ」
また胸にキスしてきた。
「私、どんどんモーブ様が好きになっていく。怖い……」
「怖くないようにしてやる」
顔を起こすと、口づけを与えた。
「……ん」
ぎこちなくも、ベイヴィルは俺の要求に応えようとしてくれた。
「……こらこら」
横から、エリナッソン先生の髪の蛇が俺の頬を甘噛みしてきた。
「お前に求められてもなあ……。キスするのか、お前にも」
こくこく。蛇が頷いている。
「しょうがねえなあ……」
蛇に近づくと、俺の唇は塞がれた。エリナッソン先生の唇に。
●
塔の螺旋階段を下りて扉を開けると、リゾートの野菜庭園が広がっている。広大な庭園でスタッフに交じり、ランとマルグレーテ、それにリーナ先生が野菜を収穫していた。少し離れた丘ではヴェーヌスが草に寝転び、隣に座ったアヴァロンとルナヴィアが、なにか話している。
「やだモーブ……」
トマトをもぐ手を止めて、マルグレーテが腰を伸ばした。
「目の下にくまができてるじゃない」
呆れたように笑う。
「愛し合うのはいいけれど、ちゃんと寝ないとダメよ」
「眠ったさ、きちんと」
「……なら朝寝したでしょ」
「まあ……。なっ」
俺と手を繋ぐふたりが、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「わあ。いいねモーブ。新しいお嫁さんとも仲がよくて。たくさん愛したんでしょ」
「ランちゃん……」
リーナ先生が、香草を籠に収めた。
「それくらいにしなさい。恥ずかしがってるでしょ。ふたりとも」
たしかに。エリナッソンもベイヴィルも顔が赤い。なんなら頭の蛇まで同じだ。
「その……皆さん、そのような農作業はしていただかなくとも」
女将はまだ恥ずかしげな声だ。
「いいのです。わたくしたちから頼んだことですし」
「そうそう。私は田舎育ちだし、マルグレーテちゃんも田園出身だもん。こういうの大好きだから」
「学園の裏畑で、私もよく作業したのよ、モーブくん」
リーナ先生も楽しそうだ。
「調理スタッフに交じってね」
そうか。まあこれがストレス解消になってるならいいや。ヴェーヌスとかは柄じゃないしな。丘組はなんか楽しく話してるからいいんだろう。
「レミリアなんかはどうした。今日もまた、食堂に籠もって食い散らしてるのか。春のイモムシみたいに」
「やだ……」
リーナ先生が噴き出した。
「レミリアちゃんはエルフのみんなと狩りに出てるわよ、モーブくん。アルドリーさんと一緒に」
「そうか……」
そういや、そんなこと言ってたな。エルフは森の民、それにアルドリーは野を駆ける狼神だ。あっちはあっちで楽しくやってるってことか。
「レミリアの奴、またぞろヘンな木の子にでも手を出して失敗してなきゃいいが……」
迷いの森であいつ、うまげな木の子に手を出して、茸神ヴァパク・ソーマの罠に掛かったんだよな。
「大丈夫だよ、モーブ。レミリアちゃんなら問題ないよ」
「いやラン。お前楽しげだけど、それフラグワードだぞ」
思わず笑っちゃったよ。
「さあモーブ様……」
ベイヴィルが俺の手を優しく握ってきた。
「朝食に致しましょう。皆さんと一緒に」
「それがいいですね。私もお腹が減りました」
エリナッソン先生の頬が、朝陽にまた赤くなった。
「その……モーブ様が……私を激しく……」
「もう言わないでくれ。俺まで恥ずかしくなってくる」
「ふふっ」
「あははっ」
笑い出したふたりの手を引いて、俺は食堂へと向かった。
……そしてその頃当然、レミリアとアルドリー、そしてエルフ軍団は森の奥でトラブルに遭遇していた。
「フラグメイカー」ランの言葉が、運命を変えたのかもな。




