2-4 水神霊スガミ戦
瞬間、視野が揺れたと思ったら、俺は地面に放り出された。傍らに、アルドリーが立っている。顔の左半分に大きな傷のあるいつもの隻眼で、俺を見つめて。
「世話が焼けるのう。ベイヴィルを護るので、余も忙しいと言うのに……」
溜息をついた。どうやら俺、攻撃の瞬間にアルドリーに襟を咥えられて放り投げられたらしいわ。
「とはいえ、モーブと嫁が来てくれて正直、助かった。敵の攻撃が分散するからのう」
実際、そうだった。経験を積んだ嫁は皆、戦闘戦術に長けている。俺が指示しなくても自然に湖畔に分散展開し、スガミの攻撃を牽制し合っている。
マルグレーテが湖水にファイアボールを連発している。スガミのスキル「鏡面反射」を防ぐため、かなり離れたところを狙い。シルフィーやレミリアといったエルフ勢は炸薬を仕込んだ矢を放ち、湖面のあちこちで小爆発を起こしている。もちろんこれらは、相手の気を逸らす目的だ。
ランとリーナ先生の補助魔法が連発され、俺達の防御力をどんどん高めていく。アヴァロンとヴェーヌスは後衛陣の脇に立っている。敵攻撃が飛んでくれば仲間を引っ掴んで逃れる算段だろう。実際、スガミの攻撃は先程から散発的にあちこちを狙っている。
「いずれにしろ感謝する。モーブよ、お前は余とベイヴィルを追ってきたのであろう。助太刀するために」
「そういうことだ。エリナッソン先生もいるぞ、ほら」
ゴーゴン孤児院の先生は、エルフ陣の補佐に回っている。
「ふん。嫁大集合か」
鼻を鳴らした。
「怖れを知らぬあそこの悪ガキに、余も毛を引っ張られたりしたのう」
「なんだお前もビックルハックルに会ってたのか」
「野の猫を探して森深くまで踏み入ってきたのよ」
「呑気に会話してる場合じゃない。お前、相手がスガミだと知ってるのかよ」
「水神霊か……」
瞳を細めた。
「厄介な道理なわけだ。守りは固いしのう」
「おわっと!」
また飛んできた攻撃を避けるため、アルドリーに咥えて放り投げられた。
「モーブ様っ」
ベイヴィル女将が駆け寄ってくる。
「どうしてここに……」
危険な戦闘の最中というのになぜか、嬉しそうだ。
「話は後だ。相手は水神霊スガミ。なにか裏技的な攻略法を知っているか」
「それは……」
女将は首を振ったが、アルドリーは頷いた。
「知っておると思うが相手は水中無敵だ、モーブよ。しかも反射技すらある。水上攻撃は牽制にしかなんし、水中戦闘となればこちらは極めて不利だ。だが……おっと!」
瞬時にベイヴィル女将を背に咥え投げ、ついでに俺の襟を咥えてまた横に飛ぶ。
振り返ると、今まで立っていた場所に巨大な霜柱が立ち、冷気を振り撒いている。俺やアルドリーから自分達へ攻撃対象を変えさせようと、みんなの牽制攻撃が激しさを増した。
「ゆっくり話もできんのう」
体を震わせると、アルドリーと女将の体から霜が飛び散った。わずかに食らったのだろう。
「続きを話せ、アルドリー」
「余にしても、水中で相手を攻撃することは難しい。陸神だからな、余は。……だが、余の技をモーブや嫁御殿に掛けることに制限はない」
「水中呼吸技とかか、アルドリー」
いつの間にか脇に立っていたヴェーヌスが、アルドリーを睨んだ。体術中心のヴェーヌスは、スガミへの攻撃手段が今のところない。中衛後衛援護に回っていたが、それをアヴァロンに任せ、俺と女将援護のために来てくれたのだろう。
「いや、そう都合のいい技はないが……」
スガミによる攻撃のたびに青白く明滅する水面を、厄介そうに眺めた。
「要するに彼奴は、水面を境界として反転した存在。その境界面を無効化すればいいのよ」
なるほど。論理的にはそのとおりだ、しかし……。
「具体的には」
「それにはモーブ、お前とデュール家の力が必要だ」
「俺と……女将さんの……」
女将とふたり、思わず顔を見つめ合った。
「ああ、お前は転生者。この世界と別の世界の境界を超えてきた存在。つまり境界突破者だ。そうしてデュール家は……」
体を下げると背中の女将を、そっと下ろした。
「モーブよ、お前にはメダリオンを与えてある」
「これだな」
懐から小さなメダリオンを取り出した。アルドリーから受け取った、「赤い実の聖別メダリオン」を。
「そうしてベイヴィルはデュール家伝来のロザリオを持っておる」
「これですね、アルドリー様」
首から提げた「野薔薇のロザリオ」を、女将は示してみせた。
「うむ。そのふたつのアイテムはどちらも暗黒面からこちらを加護し、また暗黒面に堕ちた存在を救う力がある」
「なるほど」
ヴェーヌスが頷いた。
「そもそもスガミは神が堕ち神霊となった存在。対をなすアイテムの力を使えば、スガミの力を相殺できるというわけか」
「どうやって使うんだよ、アルドリー。掲げて祈るとかか」
「そこで余の力が必要になる。そもそもメダリオンとロザリオは我とデュール家との契の証」
「はあ? お前女将さんの先祖と結婚してたのかよ」
「つくづく想像力がないのう……」
はあーっと溜息をついた。
「祖霊との魂の繋がりだ」
「まあいいや。お前が技を施すって言ってたもんな。スガミに攻撃を加えることはできなくとも、俺達に力を注ぐことはできると」
「うむ。余がメダリオンとロザリオに力を与える。デュール家祖霊と狼神の、過去の魂の繋がり、誓い合った永遠の友誼の証として。その瞬間、ふたりで祈るのだ。スガミを救いたいと」
「あっ!」
リーナ先生の悲鳴が響いた。避けきれず、攻撃が当たったらしい。脚を押さえている。アヴァロンが瞬時に移動させ、緑に発光する治癒魔法を、ランが施し始めた。
「時間がない。敵はこっちの布陣を把握しつつある。長期戦は不利だ」
女将の手を取った。
「いいですね、ベイヴィルさん。俺に命を預けて下さい」
「モーブ様となら『死すとも誉也』です。喜んで祖霊と会いましょう。ヴァルハラの地にて」
俺に手を取らせたまま微笑んでくれた。
「いや俺は死にません。嫁がいるから。それにベイヴィルさん、あなたも死なせない。たとえあの一夜だけとはいえふたり、地下で祖霊の前で契った仲だ」
「よくぞ申した、さあ余に跨れ」
アルドリーが体を下げた。跨った俺の背後に、ベイヴィル女将が陣取る。
「モーブよ、あたしはランやリーナの援護に戻る。頼んだぞ」
俺の返事を待つこともなく、ヴェーヌスが駆け出した。
「ふたつのアイテムの力を感じる……」
アルドリーが武者震いすると、立ち上った闘気が揺れた。
「揺れるぞ」
「はい、アルドリー様」
女将が俺の胸に腕を回してくる。
「モーブ様を感じる。あの夜、あの幸せな一夜のように……」
その瞬間、スガミの攻撃が俺達を包んだ。しかし不思議なことにダメージはない。おそらく……ふたつのアイテムの力で。
「うおーっ!」
太い吠え声を上げると、アルドリーは渚に駆け込んだ。そのまま湖面に突き進む。あっという間に全身が湖中に沈んだが、信じられないことにそのままの速度で湖底を駆けている。
どれくらい長く息を止めていただろう。三十秒、一分、いや二分くらいかもしれない。少し苦しくなってきた頃、水中のスガミが見えてきた。設定どおり、上下反転して湖面に立っている。水色の髪がゆらゆらと揺れ、これだけは赤い瞳が、まっすぐ俺達を見つめている。みんなが牽制を強めたのだろう。湖面のあちこちに魔法や炸裂矢が一斉に着弾し、激しく波立ち、輝いている。この世にあらざる美しさ。そこに立つスガミはまるで古代の賢神。とてつもなく神聖に感じた。
ゆっくりと手を挙げたスガミが指先をこちらに向け、伸ばす。まばゆいばかりの光球が指先に現れたと思った瞬間、槍のような輝きが飛んだ。まっすぐ。湖底を突き進む俺達に向かい。
瞬時に停止したアルドリーは体を縮め、水中で吠えた。驚いたことに、吠え声はまるで陸上のように響いた。吠え声と共に体から、赤い炎が立ち上る。水中であるのに。
炎の熱を感じない。ただ懐にしたアイテムだけは強く発熱。水が沸騰し、俺の視界を遮った。その瞬間、スガミの槍が俺とベイヴィル女将を貫いた──かのように思えたが、アルドリーの炎に触れた瞬間、槍は掻き消えた。
──今だっ!
泡と水と炎に揺れるスガミの姿を見つめながら、俺は祈った。神よ鎮まり給えと。闇落ちから魂を解放し、水神に戻れと。
背後に感じるベイヴィル女将から、なにかのエネルギーが発射された。それを感じた。俺の体を突き抜け。俺のエネルギーと絡み合い、オレンジと緑の螺旋を描きながら一直線に。スガミに向かい。
目を見開いたスガミが全力の振動攻撃を撃つのが、揺れる視野に映った。




