2-3 準備なしの接敵
「そろそろか……」
俺は空を見上げた。深森林の獣道。びっしり密集する樹冠から、道の形に切り取られた青空が、かろうじて見えている。
「ええモーブ様」
俺の隣を進むアヴァロンの脚は、先程から速まっている。
「気配を感じます。水と神性の」
「水神霊スガミの泉は近いってことか」
「はい……それに、アルドリー様とベイヴィル様の匂いも濃くなってきています」
「マジか……」
スガミは強い。だが拠点神霊だけに、移動はしない。だから遭遇はこちらの意思次第。最適なタイミングでの接敵が可能だ。たとえば……相手が眠っているときとか。実際は神なんで夜寝るとは思えないが、たとえばの例な。
「急ごう。スガミと接敵する前にアルドリーや女将と合流したい」
「まず合流し、チームとしてのこちらの戦略を練らないと。彼らにも戦闘スキルはあるでしょうし」
「そういうこと。アルドリーは狼神だ」
女将は人間だから、あんまりそのへんは期待できない。とはいえはるか昔に狼神アルドリー一行と友誼を結んだデュール家の家督だ。なんらかの祖霊技があるかもしれない。いずれにしろ、こちらの人数や技、手数が増えるのは助かる。強い神とはいえ、相手は単体だしな。
奥深い山で、細い獣道しかない。なので馬車は入口に置いてきた。俺の馬は賢い。みんなで助け合いながら俺達の帰りを待っているはずだ。
下草も生えない落ち葉ばかりの獣道を、俺達は長い列になって進んでいる。先行するのは、森での移動に優れたエルフ連中だ。先頭はレミリア。森エルフだけに他のエルフ部族より森には最適化されている。駆けるような速度で突き進んでいるから、俺からはもうほとんど見えない。時折頭の先が木陰に見え隠れするだけだ。
「急いでっ!」
突然、レミリアの金切り声が聞こえた。木霊になることはなく、大木幹に密集した苔に、声は吸収されていく。
「先に戦闘の気配がある」
「間に合わなんだか」
最後尾から周囲を警戒していたヴェーヌスが、あっという間に俺の横まで駆け上がってきた。
「すでに狼神は戦端を開いておるようだ。だが相手は水中無敵の水神霊。神同士の戦いと言えども有利不利ははっきりしておる」
ヴェーヌスは、一瞬だけ背後を振り返った。最後尾はランとマルグレーテ、それにリーナ先生だ。人間だけにどうしても体力的な問題がある。
「あたしとアヴァロンは先に行く。三人を守りながら合流せよ」
「わかった」
頷き合ったアヴァロンとヴェーヌスが、全力疾走に入った。折れた枝や滑る落ち葉で覚束ない足元をものともせず、物凄い速度だ。あっという間に視界から消えてゆく。
「時間切れか、くそっ」
毒づくと俺も、脚を速めた。ランとマルグレーテを先導しながら、リーナ先生が続く。
歯を食いしばって進んでいると、俺でさえ前方の不穏な気配が感じ取れるようになってきた。ばしゃばしゃと激しい水音。それに狼神の遠吠え。俺の駆け足に従い激しく揺れる視界、木立に遮られた先に、青い明滅が巻き起こった。おそらく、アヴァロンが地形効果を与えたのだろう。
「やだ。もう始まってる」
はあはあ息を切らせながら、マルグレーテが首を振った。
「ランとマルグレーテはここからはゆっくり進め。息が上がっては詠唱ができない」
「わかったよ、モーブ。私とマルグレーテちゃんは、詠唱しながら歩くね。戦闘フィールドに出たらすぐに魔法を撃ち込めるように」
「頼む」
水中無敵のスガミだし鏡面反射技もある。マルグレーテの攻撃魔法は直接狙えず周囲をターゲットにした脅しにしか使えない。だがランの補助魔法は助かる。なにしろ味方にプラスの効果を与えるからな。相手が無敵だろうが関係ない。ましてスガミの攻撃技は多彩で威力が高い。その意味で戦いの要のひとつと言える。
「リーナ先生は、申し訳ないけど俺と駆けて下さい。先行して少しでも補助魔法を掛けておきたい」
歳上だしランやマルグレーテのように魔道士全振りでもないから、多少は体力がある。
「わかった、モーブくん」
途端に、加速し始めた。思ったより速い。あっという間に俺を突き放し始めた。
「すげえ……」
「先生、わたくしたちに合わせてくれていたから」
「ほらモーブ、私とマルグレーテちゃんはいいから、先に行って。アルドリーさんとベイヴィルさんを助けてあげて」
「よし」
俺は駆け出した。飛ぶように進むリーナ先生を先に見て。先生、スカウトスキルもそこそこありそうだな……などと、場違いな感想が頭に浮かぶ。はっはっと呼吸するたびに、芳醇な森の香りが肺に満ちた。
「もうすぐそこよっ」
指差す先生に続いて、木立の切れ目から飛び出した。
「これは……」
森林リゾート「エスタンシア・モンタンナ」湖の水源になっているだけあり、泉はとても大きかった。……というか普通に湖と言ってもいいレベル。野球場くらいの泉のほとりに、俺のチームが展開していた。狼神アルドリーが、その先にいた。背にベイヴィル女将を乗せ、身を低く屈めて、大きく息を吸って……。
「いかんっ!」
声を限りにと、俺は叫んだ。
「吠えるな、アルドリーっ!」
戦いに興奮する狼神には、届かなかったようだ。鋭い牙の覗く口を大きく開けると、アルドリーは大声で吠えた。
「掴まっておれっ」
俺を軽々抱え上げると、ヴェーヌスが水辺へと突進した。
「あの技は咆穿よ。振動の陣を空間に展開することで、相手の神経系統を混乱させ動きを封じるのだ。だが水中では……」
ヴェーヌスの言うように、どうやら効果はかなり限定されるようだ。吠え声のルート沿いはまるでモーゼ十戒のように水面が割れたが、先に行くに従って小さくなり、スガミの直前に途絶えた。
「あれが……スガミ」
たしかにそうだ。あり得ないほど透き通った水中に、青白い輝きが揺らめいている。女神の形に。
「幸い、魔法ではないので鏡面反射はない。だが……きやつを怒らせたようだわい。見ろっ」
フラッシュのような輝きが水中で爆発すると、水面を突き破って、光柱が飛んだ。一直線に。アルドリーに向かって。
「危ないっ!」
光がアルドリーを包む、一瞬の差だった。駆け込んだアヴァロンが背の女将を掻っ攫うように抱いて跳ぶと同時に、アルドリーが横っ飛びに転がった。
光が収まるとアルドリーが立っていた地面は深くえぐれ、土は高熱を発してぐつぐつ熔けていた。
「もはや打ち合わせの時間などないぞっ」
ヴェーヌスは、水際に俺を放りだした。
「出たとこ勝負だ。これまでも難敵に見事に打ち勝ってきたお前の勝負勘を、見事に見せてみよっ」
「おうっ」
腹から声が出た。
「アヴァロンはそのままアルドリーと戦術確認っ。リーナ先生は補助魔法。エリナッソン先生は──」
突然の閃光に目がくらんだと思った瞬間、俺の体は光に包まれていた。スガミが発した攻撃に。




