1-2 死返玉(まかるかえしのたま)
「悲しい話だったのう、モーブよ」
「ああ、ルナヴィア……」
その晩。ランとルナヴィアを左右に抱きながら、俺は寝台に横たわっていた。俺に自らの命を与えて昏睡に陥った猫は、胸の上に丸まらせている。あなおろそかにできようや──って奴よ。
ここはワラキアの里の討議所。ドラゴンの脅威が消えたので、祖霊退避所から里人は全員、元の村に帰還した。和解したとはいえ長年の敵だったドラゴンが一緒だ。なので祝いの席は特に設けられず簡素な食事を里人と共にした俺達は、ここ討議所広間でブランケットにくるまり、三々五々と雑魚寝している。
なにしろソールキン一族は隠れ住んできた民。訪れる旅人など稀に来る行商人程度だから、旅籠とかないからな。討議所に寝床を作れただけでも有り難い。
「東洋のドラゴンとはのう……」
ルナヴィアは、俺の胸に頭を乗せてきた。薄衣のままだ。いくらなんでも丸見えでは……というのでルナヴィアは、嫁連中によってたかって下着だの旅服だので着せ替え人形にされた。とはいえ今は寝台。寛げるよう、元の薄衣──婚姻服らしい──に戻っている。
「タチバナは、はるか東、失われた大陸の大賢者だったんだな」
「うむ。そこで請願を立てた。自らの愛のために」
長老の話はこうだった。大賢者として修行と魔導研究に励んでいたタチバナは、錬金原料として竜涎香を求める旅で、ホワイトドラゴンと知り合った──というか因縁ができた。タチバナ自身は黙して語らなかったらしいが、おそらくなんらかの天変地異を機にドラゴンと協力することになり、やがて愛し合うようになった。
「きっと私がモーブに惹かれたのと同じだよ」
ランも頭を乗せてきた。
「ふふっ。モーブの心臓の音がする。どくんどくんって、頼もしい音が」
「ほんにのう……」
ルナヴィアは瞳を閉じた。
「ホワイトドラゴンも人化したのか。お前のように」
「それはそうであろう。ドラゴン族は皆、そのようにして人型種族とつがうのだ」
あー、こうして三人で同衾してるとは言っても、特にそういうことはしていない。ただ添い寝しているだけで。今晩はそういう気分じゃない。ちなみにリーナ先生は両親の家に「里帰り」している。なんたって呪いが解けた、祝うべき夜だからな。
「やがてドラゴンは子を孕んだが、産む前に姿を消した」
「句を残したんだよね、モーブ」
「ああ、ラン」
恋しくば
尋ね来て見よ
和泉なる
信太の森の
裏見葛の葉
教えてもらった句を口ずさむと、ランはほっと息を吐いた。
「なにか理由があって別れたんだよ。でも恋しくて仕方なかった。だからこんな句を残したんだ」
「よく覚えたのう。ただ一度聞いただけで」
「ランは記憶力抜群なんだ。なっラン」
「そうかな……。自分ではあんまりわからないけど」
「ではモーブとしたのがいつか、覚えておるか」
「うん。十日前。そのときは私とニュムちゃんとアヴァロンさんだった。モーブってばアヴァロンさんの尻尾を上げさせて、付け根に──」
「も、もうやめようか、この話題」
自分の性癖を晒されてたまるか。嫁とはいえまだ一度もしてないドラゴンの前で。
「これは……その日が楽しみだのう……」くすくす
俺の胸を、指で辿った。
「と、とにかくタチバナはその句に従った。だが大陸は広い。おまけに信太の森は険しい山岳地帯に囲まれた、それこそここワラキアの里のような高地だった。長年掛けてようやく辿り着いたとき、すでに森は消えていた」
邪悪な魔導錬金術師に開拓され、豊富なマナを用いた錬金術の研究所となっていたという。ドラゴンの行方を尋ねたタチバナは錬金術師に騙され実験体として囚われた。なんと研究所地下のダンジョンにドラゴンは封印されており、マナを吸い上げる苗床とされていた。
かろうじて逃走に成功したタチバナは、連れ合い救出の請願を立て、ドラゴン復活のためのアイテム探索のため、西の大陸へと渡った。
「それが四百年ほど前だってんだからな。気の長い話だ」
「ドラゴンは長命。そうそう死にはせんわい。それに……タチバナも自らを長命化したというし」
「そうそう。錬金術師が使っていた魔導階差機関を使ったらしいな」
「ドラゴンさんと添い遂げたかったんだね、タチバナさん」
「ああそうさ、ラン。それに救出のためのアイテム探索にはとてつもない時間が掛かるってわかってたんだろうしな」
「連れ合いを蘇らせる前に、自分が老衰で死ぬわけにはいかない」
「そういうこと。実際この大陸で、タチバナはそのアイテムを手に入れた。しかし皮肉なことに、東への帰還途中で自らドラゴントラブルに見舞われた」
「……余だな。操られていたとはいえ、他のドラゴンの連れ合いを巻き込んでしまった。慚愧に耐えんわ」
「死返玉……か」
枕元に置いてあった珠を、俺は手に取った。手に収まるくらいの大きさ。半透明の青白い勾玉状の宝玉で、内部には微細な光が揺れている。青白い炎のように。振ると音叉のような共鳴音がした。
「不思議なアイテムだねー、モーブ」
「そうだな、ラン。……かろうじてわかるくらい浅く掘られた紋様が、びっしり刻まれてるし」
「なんて書いてあるんだろ」
「さあ」
「それはのうモーブ、死返しの紋という奴よ」
「死返しの……紋」
「封印されし者の前でその珠を振りながら、文を唱えるのよ」
「どんな呪文だよ」
「一二三四五六七八九十布留部、ゆらゆらとふるべ」
「なんだって?」
「『ゆらゆらと振るべ』はわかるけど前半が謎だねー、モーブ」
「これはの、一二三祓詞というもの。呪文に意味を求めてはならん。文字列に意味よりも呪力が込められた言霊だからのう。気にするでない、モーブとランよ」
「いずれにしろ、俺達はこれを持って大陸に渡る。失われた大陸に」
「果たされなかったタチバナ殿の無念を晴らすために」
「そうしてドラゴンさんを蘇らせるために」
「ドラゴンにタチバナの愛を伝えるために」
「そうして尋ねる。どうしてタチバナさんの元を去ったのか」
「ああ、そうさ」
ランとルナヴィアの体を抱き寄せた。柔らかな胸が、俺の胸に重なる。
「これはルナヴィアのクエスト。つまり俺達全員のクエストだ」
「モーブとお嫁さんの絆のね」
「そういうことさ」
「優しいのう……モーブよ」
物欲しげに、唇が動いた。俺の首筋で。
「ドラゴンライダーにして余の……連れ合いよ」
体を起こした。
「くちづけをしてくれ。仲間の証の」
「ああ……」
近づいてきた唇を、俺は受け入れた。熱い……。柔らかな唇も、吐息も。
「……」
「……っ」
「……ん」
かわいいところあるな、ルナヴィア。俺の心がまだ嫁取りに馴染んでいないとわかるから、仲間の証ということにしてくれて。
「……お前はもう俺の仲間だ。みんなと同じく」
「感謝するぞモーブ。余の連れ合いよ」
一度離れた唇が、また近づいてきた。
俺とルナヴィアの口づけを、猫を抱き抱えたランが嬉しそうに見守っていた。暗闇を微かに照らす、勾玉の輝きの中。




