1-1 ワラキアの里への帰還
「ドラゴンを倒したというのか……、そのドラゴンスレイヤーを用いて」
俺の腰の剣を、長老はじっと見つめた。八十歳絡みのシワジジイだが、眼光は鋭い。
「ああ」
俺は言い切った。
「倒した……というか、闇落ちしたダークドラゴンはもう二度と現れない。そうは言い切れる」
事情が事情なので、微妙な言い回しになった。
「ふむ……」
なにを考えているのか、長老は顎髭を撫でている。
「リーナがやったのか……」
「リーナと婿殿、それに嫁の方々だ」
「なんとも……ありがたいことだ」
「本当にそうよね」
火口から生還した俺達をひと目見んと、ワラキアの里、祖霊避難所の狭い広場は、ソールキン一族でごった返していた。もちろん、リーナ先生の両親の姿も見えている。いかづち丸やいなづま丸たちは、広場の端で草を食んでいる。例によってもりもり食うスレイプニールを、呆れたようにあかつき号が見つめていた。
「それにしても奇妙なことじゃ」
長老は、視線をルナヴィアに移した。
「女子がひとり増えておる。……ドラゴンに攫われておった姫かな。モーブ殿が救い出した」
「違うわい」
薄衣から透ける裸の体を隠そうともせず、ルナヴィアが胸を張った。
「余がドラゴンじゃ。ドラゴンロードにして闇落ちしたダークドラゴン、而してモーブをドラゴンライダーに迎え入れた、嫁でもある」
「ひっ!」
「バカなっ!」
「な……なんと……」
大声が広場に満ちると、切り立った山脈の崖にこだまが反射した。驚いた渡り鳥が一斉に飛び立つ、ばたばたという羽ばたきが響いた。
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「それではモーブ殿は……」
俺から詳細な説明を聞いた長老は、低い声で唸った。
「許せというのか。祖先を大量虐殺したこやつ、代々の女に呪いをかけた、にっくきドラゴンを」
憤怒の形相で、ルナヴィアを睨んでいる。
「長老様……」
リーナ先生が一歩、進み出た。
「彼女も呪われていたのです。自分の意志ではなく、アドミニストレータという邪悪な存在の傀儡となり、世界を滅ぼして作り変えるコマにされた」
口添えしてくれる。
「もともとこいつは、世界を救うためにアドミニストレータと戦ったんだ。そうして滅亡を防いだ。そのとき逆鱗に呪いを撃ち込まれたのさ。世界を救ったんだから許してやれ。こいつが世界のために立たなかったらソールキン一族だって、はるか昔に根絶やしになっていた」
「そうだよ、長老さん」
ルナヴィアの手を、ランが取った。
「その呪いに支配され、ルナヴィアさんは昏睡状態にされたんだよ。そうして……悪夢を見せられて次第に邪悪なことを考えるようになったんだ」
「ドラゴンロードがダークドラゴンに闇落ちしたはそれか……」
ルナヴィアからは、まだ視線を外さない。睨んだまま、長老が呟いた。
「そうそう。だから悪いのはアドミニストレータだよ。ルナヴィアはもう許してやりなよ」
懐から果物を取り出すと、レミリアはしゃりしゃり齧り始めた。
「もう里が襲われることはない。逆鱗に取り憑いた呪いを、モーブが破壊したからね。だからさ、そろそろ晩ご飯にしない。お腹減ったよ、あたし。それにお祝いのお酒とかも、モーブが馬車から出すからさ。一緒に夜明けまでみんなで飲もうよ」
「長老様……お願いします。私の呪い──つまりソールキン一族嫡女の呪いも解けた。この後続く代々の誰も、吸血の乾きに迷うことはないんです」
リーナ先生も懇願したものの長老も里人も、硬い表情を崩さない。
「……許せん」
ぼそり。長老が言い切る。
「……まあ当然だのう。操られ闇落ちしておったとはいえ、余がこの一族を滅亡寸前まで追い込んだのだし。して……」
ルナヴィアは、ほっと息を吐いた。
「してどうする、長老殿。余を屠れば気が済むのか。別に構わんぞ。モーブと添い遂げられぬのが残念ではあるが、これも余の業、余の定めじゃ」
「妥協点はないのか、長老。俺の生まれた世界でも、殺意の有無で量刑は変わるぞ。少しは事情を斟酌してくれ」
「モーブ殿……」
俺に視線を移す。
「モーブ殿の村がどうかは知らぬが、わしらにも掟がある。掟があるからこそ、このように厳しい自然に囲まれた辺境で能力を隠しながらも、細々と命を繋いでこれたのじゃ」
それはたしかにそうだな。心の中で、俺は溜息をついた。外交交渉って奴は面倒だ。双方の主張にそれなりの根拠があるからな。どちらがいい悪いで片付く問題ばかりとは限らない。
「じゃが……」
顎髭を撫でたまま、しばらく黙り込んだ。なにか深く考えているのか、瞳が細かく左右に揺れている。相応の時が過ぎると、ようやく口を開いた。
「ドラゴンが本来の形態を解き人の姿になったというならひとつ、わしらの悲願を叶えられる可能性はある。タチバナ様の請願じゃ。それを叶えてくれるならソールキン一族は過去への拘泥を捨て、敵と和解しよう」
「おお……」
「長老様……」
「……なんと」
広場にざわめきが広がった。許してやれと言わんばかりに、リーナ先生の両親も頷いている。
「なんだよ。早く聞かせてくれ」
「モーブ殿が焦ってどうする。肝心のドラゴンは自らの命などとうにわしらに任せ、モンスターの王者らしく泰然としておるのに」
長老は苦笑いだ。
「ほんにのう……」
当のドラゴンにまで笑われたわ。くそっ。
「して長老殿、余への望みとは」
「東じゃ」
長老は、山際に消えつつある太陽の反対側を示した。
「東に往くのじゃ、ドラゴンよ。タチバナ様が請願を立てた、はるか東の失われた大陸に……」
長老は、和解の条件を提示し始めた。




