10-7 猫の正体
「……ブ。モーブっ!」
「モーブっ!」
「しっかりっ!」
遠くから、みんなの声がする。よくわからない叫びから、次第にはっきりと。なにか吸い出されるような感覚がして、ふと気づくと、視界に天井が目に入った。例の洞窟の。ランとリーナ先生、それにハイエルフのカイムが、俺を覗き込んでいる。
「……俺……は」
「良かったっ、モーブっ」
ランの瞳から涙がぽたぽたと落ちて、俺の顔を濡らした。この三人ということは、倒れた俺を取り囲んで、回復魔法を連撃してくれたのだろう。
「モーブ様は気を失っていたのです」
カイムが頬を撫でてくれる。
「ただ……心臓は止まり、息もしていませんでしたが」
「それ『死んだ』って言うんだろ」
「良かった……」
カイムの瞳からも、涙が唇に落ちてきた。薄い塩気が気持ち良い。
「それだけ軽口が叩ければ、大丈夫ですね」
「リーナ先生、正気に戻ったんですね」
「……ごめん」
瞳を陰らせた。
「知らない間に……私……」
「シルフィーやレミリアは」
「先生が正気に戻ったら回復した。あたしもシルフィーも大丈夫だよ」
レミリアの声がした。体を起こすと、ふたりが微笑んでくれたのが見えた。
「……どうなったんだ、俺」
「モーブが剣を刺したのよ、逆鱗に」
しゃがみんこんだマルグレーテが、手を握ってくれた。
「ドラゴンは地に倒れた。でもモーブも無事では済まなかった。なぜかはわからないけれど、ドラゴンの上で、青黒い泥に絡みつかれたまま、意識を失っていた」
「なにをしてもダメで……次第に呼吸が浅く、鼓動も遅くなってきて、そのままぷつんと……」
ランが涙を拭った。
「でもその瞬間、猫ちゃんが……」
猫はニュムが抱いていた。丸まって眠っているように見える。
「なにか大きな声で鳴くと、シュレの体から、オーラが立ったんだ」
「ものすごい量のオーラでしたよ、モーブ様」
アヴァロンが教えてくれた。
「巫女である私も、見たことがないほどの」
「オーラがモーブとドラゴンを包んだ。後は……このように」
ヴェーヌスは手を広げてみせた。
「おそらく、命を分け与えたのであろう。この猫は、どうやらただの猫ではない」
「命を……ということはシュレ、死んだのか」
「眠っているだけだ。当分起きんと思っておけ」
知らない声がした。いや知ってる声か。つい今しがた、幻影の世界で聞いていた声だ。
「お前は……」
俺の背後で、女が身を起こしていた。素っ裸だ。警戒のためだろう。シルフィーが側で剣を抜いている。
「ドラゴンだな」
「モーブ復活と同時に、ドラゴンが姿を変えたの。この……人間のような姿に。でもモーブ……」
マルグレーテが目を丸くした。
「どうしてドラゴンだってわかったの。見た瞬間に」
「実は幻想の世界で、こいつに会っていたんだ」
俺は説明した。過去の幻影で、人型ドラゴンと会話をしたと。
「そう……。そんなことが……」
「人型のまま生き返ったのか、お前」
「そうだ、モーブよ」
ドラゴンは頷いた。
「余はルナヴィア。十四人めの嫁としてよろしく頼む」
「十四人めの……嫁として……ですってえ?」
ぼっ。マルグレーテの瞳に怒りが浮かんだ。
「わたくしたちが泣きながらモーブを生き返らせようと必死だったときに、あの世でドラゴンを口説いていたというわけ?」
「いやちが──」
「このエロ下半身っ!」ゴオーッ
噴き出した炎魔法で、俺は焼かれた。まあすぐ、ランが回復してはくれたけど。
「とにかく、ドラゴンは孤絶でどうのこうのと」
「説明しなさいよ、早くっ」
握られた。
「イテテテっ。お前もっと優しく握れよ。寝台のときみたいに」
「うるさいっ」
「テテテテテっ」
とかコントがあったが、なんとか納得してもらった。
「ところでドラゴン……えーとルナヴィアだっけ」
「なんじゃ、モーブ」
ルナヴィアは、今は誰かの上着を掛けものにしている。
「お前、猫と睨み合ってただろ、戦いの手を止めて」
「狼神とも口走っておったのう」
ヴェーヌスが付け加える。
「この猫、なんかとんでもない力使ったみたいだ。お前、正体知ってるんだろ」
「こやつは狼神よ」
「狼神ってことは、アルドリーの仲間か」
「アルドリーさんの仲間はたくさんいた。でも最終的に三人しか残らなかったんだよね、たしか」
「そうね、ランちゃん。アルドリーはそう言っていたわ」
「三人は狼神の聖地に隠棲していた。そこに突然、異次元の穴が開いた。そうしてモーブ同様の転生者がふたり現れた。女と男。それも人間ではない、丸裸の魂として」
「女は男の首に顔を埋め、なにかを吸っていた。おそらく……生命力を」
「私の呪いのようなものね、それ」
リーナ先生が溜息をついた。
「暴走したときも、意識はあった。でもなにか暴力的な衝動に支配されて、逆らえなかった。レミリアちゃんやシルフィーさんの命を吸うなんて、恐ろしい……」
「アミューレットは飛んだ。でも今は平気なんですか、先生」
「うんモーブくん。多分……呪いを仕掛けた元凶、ドラゴンが倒れたから。……そこにいるルナヴィアさんになる前に。でも……」
チェーンが千切れたままのアミューレットを、手で振ってみせた。
「一応アミューレットは回収しておいた。なにかでまた必要になるかもしれないし、これはソールキン一族にとっては家宝だから」
「とにかく、止めようとしたアルドリーたちにその女はなにかを吐いた、命のようなものを」
「魂をエネルギーに変換してのう。魔族からすら、はるか古代に失われた能力だ」
「それでなにもかもが吹き飛んだ。聖地も、アルドリーさんたちも」
「三昼夜も離れた路傍で、アルドリーは意識を取り戻したのよね。片目を失い、瀕死の状態で」
「いくら探しても、男や女どころか、仲間だった二体も見つからなかった」
「行方知れずになった二体のうちひとりが、そこな猫よ」
ルナヴィアが教えてくれた。
「マジか……」
「そういえばこの猫、転生失敗者の魂を守っていたのよね、ゴーゴン孤児院の側で」
「そういやそうだった」
「転生者との因縁があったからだね」
「でも俺達は、猫を連れてアルドリーに出会った。なんであのとき、アルドリーは仲間を引き取らなかったんだ」
「別れのとき、猫とアルドリーさんは見つめ合ってなにか会話していたよ」
記憶力抜群のランが、眠る猫を撫でた。
「そしたらアルドリーさんが、『その猫もモーブと旅したいようだ』って言ってた」
「わかってて俺に託したのか、仲間を」
「『少なくとも狼神姿の仲間とは出会ってない』とも言っていたわね」
「そうね、マルグレーテちゃん。アルドリー以外のふたりは女の近くにいたから、より激しく攻撃を受けた。だからこの子は、狼神の姿に戻れず、猫に擬態するしかなかったんだわ」
「もうひとりは」
「多分……死んだとか。まあ……どこかで鼠に擬態してるかもだけれど」
「なるほど」
「猫に堕ちたとはいえ、そやつは神である」
ルナヴィルが引き取った。
「自らの命を余とモーブに与えたのだ。死に瀕した我らに」
「ならこいつ、死んじゃうじゃんか」
「余もそう思う。だが……」
そっと猫に手を置いた。
「死んではおらん。猫姿だったからこそ、首の皮一枚で生き残ったのであろう」
「だから当面目覚めないと言ったんだな、お前。生命力を取り戻すまでは」
「うむ」
「いつ目が覚めるの。明日」
レミリアが首を傾げた。
「ならシュレ、お腹減っちゃうね」
「数か月は掛かるであろうのう」
「なんで助けてくれたのかしら」
「旅の仲間だからだよ」
「それだけではありませんね」
俺を見つめて、アヴァロンが意味深な笑みを浮かべてみせた。
「もしかしたらモーブ様の十三人めの花嫁とは、この子のことでは」
「はあ? こいつがメスなのは知ってるけどさ。俺がそんなことするはずないだろ」
「そこは疑っておりません。でも……この子は神格です。たとえば……夢の世界に干渉して関係を持つことはできるかも……と」
「なるほど」
シルフィーが頷いた。
「モーブが嫁を作れば、すべてアヴァロンに筒抜けになる。嗅覚が鋭いからな。しかし……いつも胸に抱き、寝所で添い寝している猫と関係したとあらば、気づかんわけか」
「そういえばCRの言葉で十三人疑惑が出たとき、アヴァロンは『寝台を共にする旅の仲間の匂いしかしない』って言ってたものね」
マルグレーテの瞳が輝いた。いや怒りで。
「どうなのモーブ、心当たりないわけ」
「そう言えば……あの頃なんだか、よく覚えていないエッチな夢を見た。みんなの誰かとしてる夢だと思ってたんだけど……」
「ほら見なさい」
「いやでも、夢の世界のできごとなんか責任取れんわ。いくら俺がエ──」
「このエロ下半身っ」
「ぐえーっ!」
例によって強く握られた。




