9-5 冥王ハーデス、そして愛妻ペルセポネー
本作書籍発売記念の連日公開、いよいよ明日までです。
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モーブが登場するはるか前、居眠りじいさんと学園長アイヴァン、それにリーナ先生祖父イラリオン・ソールキンが、初めてアルネ・サクヌッセンムとCRに会うエピソードです。
「さて……」
カルパチア山脈大地下。ドワーフ隧道の奥底で、俺は周りを見渡した。
嫁仲間、それに案内は、例のドワーフ「婆様」。他にドワーフの姿はない。ドワーフ王アグリコが先頭に立ち、冥王の呪いに倒れていた期間の停滞を取り戻そうと奮闘中だそうだ。なんたってここには貴重なミスリルだけでなく、レア中のレア、ヒヒイロカネ原鉱まであるらしいからな。
「そろそろ始めるか」
全員、黙ったまま頷いた。ドワーフがぶち抜いた例の冥界穴の縁に、俺達は立っている。緑色にうっすら発光する謎の空間障壁が、相変わらず穴を覆っている。周囲には、投げ出されたと思しき採掘道具や放りっぱなしの鉱石が散乱したままだ。呪いが解けてからも、ドワーフ連中はどうやらこのあたりには近づいていないようだ。
「案内したのはいいが、冥王が姿を出してくれるものやら……」
婆様は疑心暗鬼だ。
「多分大丈夫だろ。俺と冥王の運命は絡んだと、冥王自身が認めてたしな」
「すでに二回、絡んでるしね」
ランが俺の手を取った。
「私やみんなを冥界から救ってくれた、『不死の山』クエストのとき。それにこの間のアグリコさんの呪い解きで」
「我らドワーフには、モーブ殿からの恩がある。それを返すのにやぶさかではないが……冥王など無闇に呼び出し、我らドワーフに災いが及ばなければよいが……」
やんわりと、婆様が懸念を口にする。
「ドワーフは疑い深く、疑心暗鬼だもんね」
レミリアがあっさり口にする。
「エルフになど言われたくないわ」
婆様が睨んだ。
「それにそこなエルフ古族アールヴは、我らドワーフよりはるかに狷介で排他的と聞く」
「あー……」
レミリアはぺろっと舌を出した。
「たしかに。あはははっ」
むすっとしたアールヴ、ニュムを見て、ケラケラ笑っている。
「のどちんこ見えてるぞ、レミリア。それにもうみんな黙っててくれ。俺が呼び出す」
ようやく静かになった皆を背後に俺は、緑の発光障壁に向き直った。
「冥王ハーデス。どうせここは継続観察してるんだろ。ちょっと話があるんだ。顔を出してくれ」
しばらく、なんの変化もなかった。もう一度呼び掛けようとした瞬間、発光が強くなった──と思ったらもう、穴の前にふたり立っていた。冥王ハーデスと、近寄り難い美人が。先般レミリアが救い出したハーデスの恋人、メンテーじゃない。
「ハーデス」
「……モーブか」
頭を上げまぶたを開けると、俺を見つめる。氷のように冷たく輝く瞳で。
「神を呼ぶなど、滅多矢鱈にするものではない」
「そうは思うが悪いな。こっちにも事情があってさ」
脇の女は、黙ったままだ。だが明らかに神格といった威厳がある。おそらくだが、ハーデスと共に冥府冥界を仕切っている嫁、ペルセポネーだろう。元は神王ゼウスの娘、コレー。それを冥界へと略奪婚し、女王ペルセポネーとしたという。
「なにゆえ我を呼んだのか」
「ハーデス、お前には貸しがある。あれやらこれやらで」
嫁の前ではっきりは言えないからな、恋人メンテーを探して助けたとか。何と言ってもメンテーをミント草に変えたのはペルセポネー本人だし。
「ドワーフ王の呪い解きで貸しは消えた」
けんもほろろ、取り付く島もない。まあそりゃ、恋人を救い出しまたぞろどこやらに隠した……とか、嫁にバレたら大変だし。それにたしかに論理的にはそのとおり。あれで契約は果たされたことになる。
「まあそうなんだけどさ、貸しは返してもらう」
「モーブったら……」
マルグレーテが、控えめに口を挟んできた。
「高利貸しみたいな滅茶苦茶な論理よ、それ」
「いいんだよ。なあハーデス。なんならここでもっとわかり合おうか」
メンテーの件をな……とは口にしない。
「現し身の卑しさよのう……」
ハーデスはあくまで無感情だ。
「あなたはモーブを悪くは言えません」
ペルセポネーが夫を睨んだ。
「泥棒猫をモーブに探させましたね」
「……」
やばっ!
メンテーの件、バレてるじゃん。
「大丈夫ですよ、モーブ」
安心させるかのように、ペルセポネーが微笑んできた。
「あなたはドワーフのために動いただけ。罰する気はありません。……悪いのは我が夫です」
睨む。
「罰が必要です。モーブに協力しなさい、あなた」
「いや……それは……」
睨まれる。
「……まあよい」はあー
マリアナ海溝よりも深く、溜息をついた。冥王にも感情があるんだな、一応。
「話だけは聞くとしよう。モーブよ、困りごとはなんだ」
「前も話しただろ。世界の危機、それにソールキン一族の受難について。原因がはっきりした。地の底のダークドラゴンって野郎が復活しつつあるらしい」
「……」
ドラゴンという単語が出ても、無反応。ペルセポネーも同じだった。
「ことは地底の話だ、ハーデス。お前もダークドラゴンのことは知っているはず」
「そうだよっ」
レミリアが声を張り上げた。
「カルパチア山脈の地下深く眠っていた冬眠ドラゴンが目覚め、地上を目指した。ソールキン一族の里、ワラキアを巻き込んで」
「私の先祖は一族に伝わる特異な魔法を起動し、ドラゴンを再度、地下の眠りに送り込みました」
リーナ先生が続けた。
「そうして私の一族は呪いを受けた。嫡女が代々、吸血鬼となるという。私も……そうです」
胸のアミューレットを掲げてみせた。
「東方の大賢者、タチバナ様のロザリオで発動を防いではいますが、これを失えばとんでもないことになる……」
「では……ドラゴンを倒そうというのか、モーブよ」
「そういうこと」
冥王の剣を、俺は抜いてみせた。
「こいつを使う。ハーデス、元はお前の所持品だった冥王の剣を。これには俺の前世のドラゴンスレイヤー、草薙剣の魂が宿っているからな」
「ハーデス様……」
アヴァロンが、一歩進み出た。
「モーブ様は、この剣で逆鱗を貫くおつもり。……ただそのために事前にドラゴンを眠らせておかねばなりません」
「その方法を知っておろう」
ヴェーヌスが付け加えた。
「ハーデス、お前は冥王。我ら魔族より長い時を生きる……ではないか、長く存在している神なのだから」
「ふむ……」
無表情のまま、ハーデスは頷いた。俺達から視線を外し、遠い目をする。それからとんでもないことを口にした。
「ドラゴンが暴れれば死人が増える。冥界にとって悪い話ではない」




