7-6 メンテーの草
「モーブと一緒に、人生楽しんでるもん。モーブが生き返らせてくれてみんな、幸せだもんっ」
冥王ハーデスを前に、ランが言い切った。
「哀れよのう……。そうやって自分をごまかし生きるしかない、現身の存在という奴は」
そうは言うものの鉄壁の無表情が崩れ、微かに笑ったかのように見えた。生き生きしたランを愛でるかのように。それから俺に視線を移す。
「して、我を呼んだのは用があるからであろう、モーブよ」
「ああそうさ」
向こうから話を振ってくれて助かった。やはり読みは正しかった。いきなり殺されることはないだろうという読みが。
「ドワーフは全員、悔やんでいる。冥府冥界の静謐さをぶち破り、現世との穴を開けてしまったことを。俺達は……」
俺は振り返った。婆様も兵士も、ドワーフは全員、ここぞとばかり頷いている。
「もう二度と静謐を破らないと誓う。この副道は永遠に封印する。なんなら埋め戻してもいい。だから……」
冷たい瞳を見つめ、俺は切り出した。
「だからドワーフ王アグリコの呪いを解いてくれ。命のろうそくを徐々に削っていくなんてハーデス、お前の職権濫用だろ。冥王の能力ってのは、そんなことをするための力じゃないはずだ」
「……」
俺がぐいぐいねじ込むんで、婆様がはらはらしてる。冥王にこんな口利いたら普通、それこそ自分もまた呪われても文句は言えないからな。
「……冥府冥界に落ちたいのかモーブ、今度こそ」
言い方こそおとなしいがこれ、要するに「殺すぞ」ってことだ。
「やなこった。俺は嫁といちゃつくために生きている」
横に立つマルグレーテの体を抱き寄せた。猫が俺の肩に飛び移る。
「不始末を冒したのはモーブ、そこなドワーフのほうだ」
冷たい瞳。
「……だが『冥王の剣』所持者の請願ともなれば、話を聞かんでもない。お前とは既に運命が絡んでしまったからな」
「じゃあ──」
「それに冥府冥界の境界を浮上させ地上を探っていた我も、少し軽率ではあった」
「なら──」
「だからモーブとドワーフには機会を与える」
「機会……」
なんだよ。あっさり呪いを解いてはくれないってか。ドケチ冥王め。
露骨にがっかりしたのが表情に出ていたのだろう。冥王は微かに首を傾げてみせた。
「メンテーの草を探して参れ。それがあれば我も、このような地上近くまで境界を押し上げることもなかったのだ」
「メンテーの……草?」
「要するにその草探索のために、本来大深度地下にある冥府冥界との境界を押し上げたのね、ここカルパチア山脈の地下で」
マルグレーテは頭が回る。
「然り」
「で、メンテーの草ってなに」
口を挟むまでもなさそうだな、これ。俺の嫁達は頼りになる。
「メンテーとは、我の連れ合いなり」
「連れ合い……って、奥さんってこと?」
リーナ先生が首を傾げた。
「ちょっと待って。冥王ハーデスの妻はたしか……コレーさんでしょ。神王ゼウスの娘で、ハーデスが誘拐して情を通じ、冥府の女王ペルセポネーとしたという。ふたつだけじゃなく、もうひとつ名前があったの? メンテーという……」
「……」
ハーデスは黙っていた。
「嫁ではなかろう」
ヴェーヌスが、ふんと鼻を鳴らした。
「メンテーは妾に決まっておる。第二夫人と呼んでもいいが……」
ハーデスを睨む。冥王に対峙しても一歩も引かず、堂々とした態度。さすが魔王の娘だけあるな。
「男など皆同じ。我が父も、もちろん……」
俺を見る。
「もちろん、モーブも」
いや特に非難する視線じゃなくて良かったわ。単に事実を挙げただけ風で。
「それがペルセポネーにバレた。嫉妬深い冥界の女王に。……違うか」
「……」
ハーデスはしばらく黙っていた。それからふと思い出したとでも言うような調子で続ける。
「メンテーは地上に追放され、草に変えられた」
「それがメンテーの草か……」
要するに嫁バレで追い出された恋人を連れ帰ってほしいって話か。まあ……この手のごたごたは、前世の底辺社畜時代にも見聞きしたからなあ……親戚とかで。
「奥さんのペルセポネーに隠れて浮気してたわけね」
マルグレーテは溜息をついた。
「それが奥さんの知るところになった。それでお決まりのどたばたがあった」
「メンテーさんが追放されたんだね」
ランは悲しげだ。
「ペルセポネーさんとメンテーさん、同じ彼氏を持つ仲間として仲良くすればよかったのに。私とマルグレーテちゃんみたいに」
「そうできない人も多いのよ」
「んなーん」
リーナ先生も猫も、ここんところは常識人(かたっぽは常識猫か……)だな。あっけらかんとしたランとは違って。
「ハーデス、あなたは探したかったんでしょうけれど、地上には出られなかったのね。ほら、冥府冥界の管理があるから」
マルグレーテは眉を寄せた。
「面倒な話ねえ……」
「浮気の後始末か……」
冥府冥界の王でもそんなもんか。俺も言えた義理じゃあないが男って、つくづく笑える存在だな。呆れたが、まあいい。
「まあいいや。んでその草って、どこに生えてるんだよ」
「知らん。この山脈の近くだ」
「だから冥府冥界の境界を上に伸ばしたのね、ここで」
「まさか山裾に深いトンネルが掘られているとは気づかなかった。ドワーフ側でもそんな事情で冥界が浮上しているとは夢にも思わなかった。だから──」
「不幸な出会いがあって、冥府冥界との境を掘り抜いたというわけか」
シルフィーはほっと息をした。
「どちらが悪いとも言えないな、これは。故意ではなく、ただの過失だ」
「ならドワーフ王の呪いくらい解けばいいじゃない」
マルグレーテは不満げだ。
「あなた仮にも統治者でしょ。そんな度量が狭くて、よく冥界を治められるわね」
言うなあ……。浮気からの痴話喧嘩が原因と知って、アホらしくなったのかもしれん。
「メンテーの草を探して参れ」
どこ吹く風だ。
「仕方ねえなあ……」
俺は溜息をついた。
「成り行きだからやってもいいが、せめてなにか……特徴はないのか。名前だけじゃさすがに探しようがない」
「草に変えられてもメンテーの愛に変わりはない。我に見つけてもらいたくて、陽に当たる度に芳香を放っていると聞く」
「いい香りの花ってことか」
「ただの花の香りではない。得も言われぬほどに清浄な、得難いものよ」
「花というより香草に近いのか……」
「ちょっと待って」
レミリアが口を挟んできた。
「その草って、鼻をくすぐるような鋭い清涼感があるでしょ」
「……」
ハーデスは黙っていた。
「一瞬で脳を覚醒させるような、爽やかでピリッとした匂い。少しだけスパイシーな感じ。その中に、ほのかに甘さを感じさせる緑の葉の香りも含まれた。……自然の中で深呼吸をするようなリラックス感がある」
「……」
「涼しい朝の草原を歩いているかのようなフレッシュな印象。初夏の朝に差し込む柔らかな光のような爽やかさ。一瞬で心を解きほぐし、ひんやりとした風が体を包み込むような。新緑の中で深呼吸したときのように、清々しい香りが胸いっぱいに広がるよ。心の疲れを洗い流してくれる」
レミリアはうっとりしている。森の子エルフだしこいつ、食べ物に関しては鬼だからな。香草とくればど真ん中の守備範囲だわ。
「まるで自然の中で目を閉じて、静かな湖畔に身を置いているかのよう。風にそよぐ小川の水面に浮かぶ一枚の葉が、太陽の光に輝いているように。鮮やかで透明感があり、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる……」
いやこと食い物になると、どんだけ語彙豊富なんだ、レミリア。さすが食い意地モンスターだけあるわ。
「日常の喧騒を忘れさせ、心に静けさと平穏をもたらしてくれる……そんな香りでしょ。……違う? ハーデス」
「まさに……」
ようやく、冥王ハーデスが口を開いた。
「まさにペルセポネーの人柄だ、それは」
「それならあたし、知ってるよ」
懐に手を突っ込むと、ぐいっと突き出す。細やかな葉を持つ、小さく可憐な花が、その手の中にあった。
「メンテー……」
冥王ハーデスの呟き声が聞こえた。
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