7-1 魔導隧道とドワーフ衛兵
「ショウくん、もうこの世界に慣れたかな」
馬車の御者席で、ランが俺の手を握った。
「なんだか心配なんだー、私」
「モーブとおんなじ、転生者だものね。わたくしも気になっているわ」
マルグレーテは、ほっと息を吐いた。
「言っても、街に置いてきたのがもうひと月前だからな。異世界暮らしに馴染んだ頃だろうし、そろそろポルト・プレイザー目指して旅立つだろ。……いや、もう今頃馬車の中かも」
茸神ヴァパク・ソーマの謎掛けで、俺は転生者ショウを解放した。約束通り次の街まで連れてってやったよ。そこで、ショウを安心して預けられる宿屋を探した。人のいい夫婦が営んでいる、小さな民宿にしたんだ。そこなら裏切らないだろうから。ショウの目の前で、夫婦に当座の滞在費を渡した。贅沢しなければ半年は暮らせる程度の。ショウにも同額くらいは贈与してある。
「記憶喪失のショウ」の面倒を見てなんでも教えることを、夫婦には約束させた。馬車での道々ショウとは色々話したが、前世でも若くて経験がないだけで、人柄は良く、性格もまっすぐだとわかった。前世での社畜経験からくる俺の勘として、あいつは大丈夫だ。異世界に絶望して自暴自棄になったり、掴んだ端金に目がくらんで堕落したりもしないだろう。
「いずれにしろ、後はコルムに任せるさ。コルムならあいつを一流の職人に仕立て上げてくれるだろ」
「ちゃんと紹介状、持たせたもんね」
「そういうことさ、ラン」
「幸せになってくれるといいなあ……」
遠い目で、山道の先を見つめている。このあたりの山道は荒れ果てており、馬車はバンピーに跳ねている。注意深く話さないと、舌を噛みそうなくらい。
考えたら俺も、こうした旅に、もうすっかり慣れたな。なんたってこの世界に転生して、もう数年経っている。ショウ並の初心者だった頃と比べれば、プロ旅人と言ってもいいくらいだ。
「それより、こっちの話だ」
「いよいよ目的地だものね」
マルグレーテは、手綱を引き絞った。荒れた路面に合わせ繊細に頻繁に、馬の操りを変えているのだ。怪我をしないように。
「そういうこと。木の子野郎なんて、箸休めイベントみたいなもんだ。俺達のクエストは、この先にある」
「うん」
「そうだね、モーブ」
「おいで、ふたりとも」
抱き寄せてやった。
俺達の馬車は、カルパチア山脈を目指し、最後の難所に向かっている。カルパチア山脈に挟まれたリーナ先生の故郷は、言ってみれば秘境だ。険しい山々で周囲から隔絶され、さらにそこに到る道筋自体が荒れている。
実際、かなり苦労した。
深く切れ込んだ谷に渡された、高さ数百メートルの揺れる吊橋。凶悪な山蛭がぼとぼと落ちてくる「吸血森」。土砂崩れが放置されたままの通行止め。──そうした難所を、みんなで協力しながらなんとかクリアしてきた。
それでようやく、カルパチア山脈だ。目的地を前にして、俺は正直、ほっとしていた。
「あれが『ドラゴンの裂け谷』かな、モーブ」
ランが指差した。
曲がりくねった山道が、大木の陰を過ぎると急激に傾斜を強めている。
「周囲の山の形が、地図と同じよ、モーブ」
膝に広げた地図を、マルグレーテが示した。
「ランちゃんの言うように、あの先に裂け谷が広がっていると思うわ」
「ど深い谷なんだろ」
「ええ。谷底に、魔道士が古代に穿った隧道がある。それを通れば、カルパチア山脈の中に抜けられる。……リーナ先生の故郷は、その先よ」
「わあ、すごい下り」
思わず……といった体で、ランが呟く。
俺達の馬車は実際、落ちるようにして坂道を下っている。最大限の注意を払い、マルグレーテはむしろ馬をなるだけゆっくり進ませようとしている。
俺は、手元のレバーを引いた。こいつは馬車の車輪とロープで繋がっていて、海獣の革を車輪に押し付ける仕組みになっている。要するにブレーキだ。危険な下り道で使うための。
「みんな注意しろ。どん下りだ」
荷室に向かい叫んだ。
まるで漏斗の底に向かうかのように、馬車が下ってゆく。周囲の山裾がどんどん高く聳えてゆく感覚で、空が区切られていくから次第に暗くなる。まだ真っ昼間なのに、もう日没も同然だ。陽光なんて、はるか上の山肌を微かに照らしている程度だからな。
「もうすぐ底の底よ、モーブ」
「ゆっくりね、マルグレーテちゃん」
「わかっているわ、ランちゃん」
「……なんだ?」
もう朧に見えるだけの道の先に、樹木が倒れていた。いや……横に設置されていると言ったほうがいいか。とにかく人工物だ。踏切の遮断機のような。
「リーナ先生、トーチ魔法をお願いします」
「うん。モーブくん」
先生のトーチ魔法が周囲を照らす。
「……踏切ね」
「ええ、先生」
やはり人工物だ。遮断器の少し先で、道は隧道に吸い込まれている。
「どうしたのかな、モーブ」
「中が崩落しているとかかしら」
「……もし通れないとするとどうなる」
「少し戻って、山超えの道を通るしかないわね」
地図の点線を、マルグレーテが指でたどった。
「その道は危険だわ。細いし、路肩も脆い。毎年たくさんの人が死ぬ。転落して」
リーナ先生が眉を寄せた。
「だから古代に、大魔道士様がこの隧道を通したのよ。命懸けのマナ召喚魔法を使って」
「モーブ様……」
荷室から、アヴァロンが顔を出した。巫女服の襟からは、猫が顔と前脚を出している。あの猫野郎。アヴァロンの胸にくるまれるとか、うらやまけしからん野郎だ。俺と代われ……。
「モーブ様?」
返事をしなかったからか、アヴァロンが首を傾げた。
「ああ、ごめんごめん。いや違うし。別に猫がうらやましかったわけじゃない」
「……モーブったら」
呆れたように、マルグレーテが溜息をついた。
「少しは我慢しなさいよ。後でいくらでもできるでしょ」
「とりあえず猫を取り出す。ムカつくから」
「んなーん」
「それよりモーブ様」
アヴァロンに袖を引かれた。
「なんだよ。猫のが俺よりいいってか」
「いいえ……」
微笑みながらも首を振ってくれた。
「モーブ様の代わりは、どんな殿方でも猫でも務まりません。それより……」
馬車の前方を見つめた。
「ドワーフが来ます。彼らの匂いがする」
「ドワーフ……だって」
ニュムが渋い顔をした。アールヴは排他的部族。なんたって同じエルフ系統の森エルフやハイエルフ、ダークエルフともいがみ合っていたくらいだからな。ましてドワーフとくれば古来、エルフとは犬猿の仲だ。
「もう来ますよ、モーブ様。闘気は感じませんが、武装している匂いです」
アヴァロンの言葉に重なるように、暗い道の先に、人影がぼうっと浮かび上がった。数人。小柄でがっちりした筋肉質。真っ黒の髭面で、なにか細かな彫金が施された、立派なスケイルメイルを身に纏っている。そして……腰にはヤバげな剣。
「お前たち……」
先頭のドワーフが、野太い唸り声を上げた。
「こんな辺境になにしにきた」
ずんずん近づいてくる。二列の馬を割るように御者席の真ん前まで来ると、くんくんと、なにかを嗅ぐ仕草をした。
「しかもエルフなんか連れてやがるな。それも……数人」
腰の剣に手を掛けた。
「どうやら……死にたいらしいな。人間」




