5-2 心を残しての旅立ち
それからひと月ほど、エスタンシア・モンタンナに滞在を続けた。せっかくの森林リゾートを、目一杯楽しみたかったしさ。それにベイヴィル女将にも引き止められた。
なんせほら、俺達を目当てにリゾート客が押し掛けてくる。斜陽リゾートだ。ここで富裕層や貴族王族に復活を印象付けたいだろう。客が増えれば、単純に儲かる。滞り気味だったスタッフの給金もしっかり払われるようになって俺達は、スタッフにも歓迎されている。
それに……ベイヴィル女将自身も、俺達と飯を食ったり話をするのが、なんだか好きみたいだったし。最初はゲストとホストの関係だった俺達も次第に、田舎の友達んとこに遊びに来たみたいになったよ。女将は実際、俺を抜きにしても、ランと一緒に裏山できのこ狩りしたり、エルフ陣と深い山で兎狩りしたりしてるし。そういう日の俺はだいたい、他の嫁とコテージでいちゃついてるんだけどさ。昼から。
楽しい日々はあっという間だ。ある午後、ふたりっきりのティータイムで、俺は切り出した。ちょうどいい機会だから。嫁はみんな、スタッフと湖畔でボール遊びしてるからな。リゾートは朝から晩まで忙しい。ランチからディナーまでのわずかな間が、スタッフの貴重な休憩時間だ。
多分だけど、ヴェーヌスが無双してるとは思うわ。あいつ……手を抜いて相手を遊ばせてくれるキャラじゃないし。
「ベイヴィルさん」
「はい、モーブ様」
女将は茶のカップから顔を上げた。カップからは香り豊かな湯気が立ち上っている。
「なにかお望みがありますか。なにか……特別な料理とか。退屈なら明日、私と花を摘みに行きませんか。子供の頃に母から教えられた、秘密の花園があります。ちょうど季節。モーブ様をあそこにと、以前から考えておりました」
「いえ……」
楽しげな女将の姿に、わずかに心が痛んだ。
「そろそろ俺達はここを立とうかと。そう……明日に」
「……そう……ですか」
笑顔が凍りついた。ややあって、ほっと息を吐く。
「そう……ですよね。モーブ様は旅のお方。いつかはこの日が来る。そう……わかっていたはずなのに……」
微笑んでくれた。瞳は哀しげだったが。
「では、お約束どおり、先祖伝来の品、『野薔薇のロザリオ』を進呈致します」
「いえ、それは不要です」
俺は首を振った。
「俺達は充分、楽しませてもらった。あのデスゲームでみんなの将来の能力がよくわかったし、それからひと月も、無料で滞在させてもらって。みんな大喜びです。これ以上の礼などいりません」
「いけませんモーブ様」
ベイヴィル女将は、真剣な瞳になった。
「私にも、デュール家家督としての誇りがあります。約束を違えるなど、祖霊に顔向けできません」
「そうですか……」
考えた。いくら俺の厚意とはいえ、相手の顔を潰すわけにはいかない。
「では、ありがたく頂戴します」
「そうして下さい。あれには邪の目、つまり暗黒面に落ちる魂の救済効果があります。いつの日にか必ずや、モーブ様のお役に立つことでしょう」
「代わりと言ってはなんですが、ここまでの道程で集まった、モンスターのレアドロップ品を置いておきます。売ってリゾートの運転資金にして下さい」
「いけません、モーブ様」
「いいんですよ。俺にはレアドロップ固定効果がある。あんなのこれからまたいくらでも集まりますから」
何度か固辞されたが最終的に女将は、俺の申し出を受け入れてくれた。
「それでは……参りましょう、モーブ様」
うっすら浮かんだ涙を拭うと、女将は立ち上がった。
「宝物庫とかですか」
先祖伝来の品だからな。
「いえ……」
微笑みながら否定する。
「地下の聖地ですよ。申し訳ありませんが、私とモーブ様のふたりだけです。祖霊に私の相手を見せて、承認を得なくては」
「はい」
アイテムひとつの受渡しに承認とか、古い家系は大変だな、と、そのときは思った。
「では同行します」
「私の家。私室の地下です。こちらに……」
俺の手を取ると立たせる。そのまま……手を握ったまま、女将は歩き出した。まっすぐ……母屋に向かって。
●
「……」
翌朝。涙ぐんだベイヴィル女将に見送られ、俺達は旅立った。
「……」
「……」
馬車の御者席には、俺。両側にマルグレーテとアヴァロンが陣取っている。
みんなはまだ、荷室の後ろから、リゾートのスタッフに手を振っている。もう見送りの歓声も、わずかに聞こえるのみ。それでもまだ全員、別れを惜しんで手を振ってくれているんだろう。俺の仲間も振り返しているし。
あーちなみにレミリアは、荷室の屋根に立って手を振っている。エルフはバランス感覚に優れるからな。屋根から落ちることはまずない。
「……モーブ、今日は静かね」
マルグレーテが、ちらと俺を見る。山道の陽光を反映して、きれいな赤毛が揺れている。
「寂しいんでしょ」
「そりゃあな。結構長く逗留したし」
「情も移るわよね。リゾートにも……ベイヴィルさんにも」
「女の細腕ひとつで斜陽リゾートを経営してるんだ。……なんだかかわいそうでさ」
「でも今朝、女将さん、なんだか肌がつやつやしてた」
「別れの朝だからな。化粧に力を入れたんだろう」
「さっき、ものすごく泣いてたわ。モーブに別れのハグをされたとき」
「俺も泣きそうだったよ」
「……」
「……」
「……なにか言うことないの」
「ない」
「昨日、女将さんとふたりで地下に潜ったんでしょ」
「誰に聞いたんだよ」
「……スタッフ」プイ
「これを貰いに行ったんだよ。譲渡に祖霊の承認が必要だったんだ。地下に聖地……霊廟だったけどさ、それがあったから」
首のロザリオを摘んだ。金属製のネックチェーンに、前世の知識でいうならアンク、つまりエジプト十字形のペンダントトップが取り付けられている。アンクも金属製だが、鈍い鉄色。そこに小さな、野薔薇の彫金が取り付けられている。薔薇は血のような濃赤色だ。
チェーンもトップも材質不明。俺の仲間でも誰もわからなかった。ヴェーヌスが鑑定してわかったのはこんな感じ。
銘 「野薔薇のロザリオ」
クラス不明装備
デュール家家宝。由来不明
特殊効果:暗黒面に落ちる魂の救済効果。ボーナスポイント不明
材質不明のロザリオ。アンクは古代のシンボルのため、かなり古い品と思われる。
「綺麗なロザリオですね」
初めて、アヴァロンが口を開いた。
「ベイヴィルさんの心のように美しいです」
「……そうだな」
「引き返す、モーブ」
「なんでそんなこと言うんだよ、マルグレーテ」
「ひとり連れて行きたいんじゃないの」
「そうはいくか。相手は経営者だ。居なくなったら、あそこはもう終わりだろ」
「……やっぱり」
頷いている。
「だと思った。昨日からなんか変だったから」
ほっと息を吐く。
「……」
俺はアヴァロンを見た。黙ったまま、アヴァロンは俺を見つめている。澄んだ瞳で。いいんですよ……とでも言いたげに。
アヴァロンが無言ということは、俺の選択は間違っていなかったのだろう。
「俺達は、前を向いて進むしかないのさ」
「いずれ……ベイヴィルさんとはまた会えるわよ、モーブ」
俺の腿に、マルグレーテは手を乗せた。優しく撫でてくれる。
「リゾート経営者とゲストの関係でなく、ひとりの男とガールフレンドとして」
「……」
そうなるといいな。
あの地下での出来事を、俺は思い返した。
「それまでは……」
マルグレーテは、俺の腕を胸に抱いた。頬を擦り寄せ、ちゅっと口を着けてくれる。
「わたくしが慰めてあげる。モーブの心……それに全てを」
「私もですよ」
甘えるように、アヴァロンが体を伸ばしてくる。
「モーブ様ぁ……」
甘えん坊の、三女の言い方だ。今の意識は、彼女が強いのかもしれない。
「お慕い申し上げております……」
唇が重なる。俺の舌を慰めるかのように、ざらざらの猫舌が動いた。すごく……熱い。
「ほら、モーブ……」
マルグレーテの溜息は熱かった。
「わたくしも……」




