2-6 不完全転生者の救済
神田神保町を歩いていて車に突っ込まれた。気付いたらここに彷徨える魂として突っ立っていた。──つまり、こいつは転生者だ。初めて俺は、自分以外の転生者に出会ったことになる。創造主であるアルネ以外では、だが。
「あんた、俺達が見えるか。俺や……女の冒険者が」
「見えない……なにも。ただ……声だけ」
「そうか……」
「わかるのは胸の温もりだけ。……猫かなこれは。ぼくは猫を飼っていたんだ。もう……とうの昔に死んじゃったけど。それで……ここはどこだ。それに……あんたは」
「ここか。ここはな……」
話すべきか一瞬、迷った。だがこの哀れな魂を救うには、全てを教えたほうがいいと考えた。それでこそ納得できるはずだから。少なくとも俺が奴の立場ならそうだ。
「ここはゲーム世界。俺はあんたと同じく転生者だ。死んでゲーム次元に取り込まれた。あんたは交通事故だろ。俺は心筋梗塞だった」
「そんな……。そんな馬鹿な話、あるかよ」
ろうそくの炎のように、影が揺れた。首を振った……という感じだろう。おそらく。
「モーブ。この方はおそらく、転生に失敗したのよ」
「マルグレーテの言う通りだろう」
ヴェーヌスが顎を撫でた。
「どういう理由かはわからんが、転生が完全に終了せず、彷徨える魂となったのであろう」
「なああんた、最後に覚えている年月日は」
「・・年・・月・・日。その日に神田に……」
俺が死んだ日より後か……。
つまりこいつは、俺に続く転生者ということになる。この世界と現実世界では時間の歩みが違うだろう。だから魂がいつから漂っていたのかはわからん。でもビックルハックルやエリナッソン先生の話からすると、ここに出現したのはごく最近のはずだ。ということは最近なにか、この世界で転送に失敗するなんらかの理由が生じたことになる。
「おいアルネ」
天井を睨んで大声を上げた。
「こいつを正常化してやれ。かわいそうだろ」
しばらく待ったが、返事はない。
「なにか問題が生じてるんだよ、モーブ」
ガキふたりの手を握ったまま、レミリアは眉を寄せている。
「それはわかってる。今見てるわけだしな。しかしな……」
しかしな、アルネ。てめえのケツ拭いを俺にさせるってのか。これ、ゲーム世界管理の問題だろ……。
「これまで、転生者が何人いたのかはわからないけれど、失敗例については、アルネ様は何も仰っていなかったですね」
「アヴァロンの言う通りね。ということは、これが初めての失敗例かしら」
「なああんた」
突然、魂が遮った。
「あんたも転生者だっていうなら、俺を救ってくれ。この……地獄の苦しみから」
「苦しいのか」
「ああ。心……というかもっと深いところが、焼けるようだ。苦しい」
「少し待て。考える」
半端な転送のため、こいつは苦しんでいる。それは明らかだ。転送者を潰して回るアドミニストレータはもういない。本来なら転送者の味方になるはずのアルネは、なぜか動いていない。アルネの野郎は後で首締めるとして、とりあえずこいつを救わないとならない。転生仲間への情けとして。
だが、不完全に終わった転生を、俺が完全化することなどできるだろうか……。
「おい、ビックル、ハックル」
「な……なんだ。淫魔の兄貴」
「なにか、呪われる感じはあるか」
「ない……」
ハックルは首を振った。
「なぜかな。前は一発で気分が悪くなったのに」
「霊力に満ちた巫女の血筋がふたりもいるからだな、こちらに」
シルフィーが腕を腰に当てた。
「獣人巫女アヴァロンと、エルフ……アールヴ巫女筋のニュムか」
たしかに、それならわかる。俺達は呪われないのだろう。
だが、引いて考えるとどうか。この哀れな魂は、存在するだけで周囲の人間に「呪い」という名前の病魔を移してしまう。おそらく……半端な転生で、ゲーム内での設定が定まっていないからだ。
なぜこうした事態が生じているのかはわからん。でもとりあえず今、こいつを救わなくてはならない
「アヴァロン、ニュム、彷徨える魂の浄化はできるか」
「……」
ふたりとも黙っている。
「周囲の人間に悪影響が及ばないようにして、なおかつこいつの苦しみを取り除くような」
「それは……」
アヴァロンの瞳が曇った。魔導トーチの光に、影が長く揺れている。
「できなくは……ありません。……ただそれは救いでしょうか」
「どういう意味だ」
「この魂には欠落がある」
ニュムが引き取った。
「おそらく転生時になにか情報が欠けたんだ。転生プロセスになんらかの齟齬が生じて」
「だからなんだよ」
「再構築は不可能。つまりこのまま苦しみ続けるか、魂を消滅させるかだ」
「つまり?」
ふたりは顔を見合わせた。
「殺すのだ」
ヴェーヌスが口にする。淡々とした口調だ。
「魂が安寧を得るには、それしかない」
「……」
俺のパーティーは沈黙に包まれた。
「んんあーん」
猫が鳴いた。魂の胸に抱かれながら。闇に溶ける顔を見上げて。
「……せ」
魂の呟きが耳に入った。
「殺せ」
今度ははっきり聞こえた。
「どうせ現世で死んだんだ。中途半端な転生で苦しむなんて、言ってみれば哀れな地縛霊も同じ。地縛霊なら、解放してくれてもいいだろ。成仏させることで」
「なーん」
伸び上がるようにして、顔と思しきあたりをぺろぺろ舐める。
「……」
見回す。皆、黙ったままだ。ランの瞳には涙が浮かんでいる。黙ったまま、マルグレーテが頷いた。
「やりなさい、モーブくん」
リーナ先生の声は、苦しげだった。
「人を救うのがあなたの役割。たとえそのために人殺しの業を背負うとしても」
「でも……」
「大丈夫。私も共に宿命を担うから」
「先生……」
「お前の剣を使え、モーブ」
俺の腕を、ヴェーヌスがそっと掴んだ。
「存在抹消スキルは使わんでいい。そんなことをすればお前に致命的反動がある可能性がある。だが……」
魂の暗闇を、じっと見つめる。
「だがこの魂は、自らの消滅を願っておる。普通に使うだけで自然と虚無に移るであろう」
影は黙っている。だが……微かに頷いたように見えた。
「いいのかお前、本当に」
「……」
影が揺れた。頷いている。絶対にだ。
「にゃーん」
また猫が舐める。
だらり。影が腕を下ろすと、猫は地面に降り立った。
「んなーご」
俺を見て、また鳴く。
「……」
覚悟を決めると、俺は剣を抜いた。闇の煙が、刀身から噴き出す。
「なにか……言い残すことは」
「感じる。なにか……世界の歪みを」
「歪み……」
「ああ。だから僕は苦しい」
「そうか……」
まあ、どこか、世界システムに綻びが出ているから、転生失敗したんだろうしな。
「それを正してくれ。僕のような犠牲者がまた出ないように」
「わかった。できる限りのことをする」
深呼吸すると、剣を構えた。
「胸の中核を突け、モーブ。鳩尾だ」
ヴェーヌスが指差した。
「一撃で死ねる。苦しみもなく」
格闘家だからな、こいつは。急所はよく知っている。
剣を中段に構える。
「あんたの無念は忘れない」
俺の言葉は自然に湧いて出た。
「その無念は必ず、俺が晴らしてやる。安心して……眠れ」
一気に踏み込むと、胸を貫いた。




