2-1 飛び出した悪ガキ
「平和だねー」
膝の上のレミリアが、俺を見上げてきた。
俺達の馬車は、山道を進んでいる。いい気持ちの真昼頃で、陽射しが高いから森の小径も明るい。柔らかな風が森の香りを運んでくるし、たしかに心躍るような気分だ。
今日は気まぐれで、俺が手綱を取っている。……といってもなんか手が淋しいんで、レミリアを抱えた。抱き枕……というかぬいぐるみみたいなもんだ。小柄だし。それに時折服に手を突っ込んで胸を撫でたりもできる。
マジぬいぐるみ。反応あるからかわいいし。
「このあたり、ぜえーんぜんモンスター出ないし」
「そういうことを言ってると、フラグが立つわよ」
右に座らせているマルグレーテが、くすくす笑う。
「フラグって……なに」
「平和だなーとか言ってると、凶悪モンスターが湧いて出るということよ」
「人を呪わば穴ふたつ、ってこと?」
「全然違うし」
「でも気持ちいいのは確かだよね」
左側のランは、にこにこ顔だ。今日は初期仲間の三人と俺で御者席ってことさ。荷室では他の嫁が仲良くお茶など飲んで談笑している。独りになりたいのか、ヴェーヌスだけは荷室の屋根に寝転んで空など眺めているようだが。
「まあなー。まだ早いけど、駐められる場所でもあれば、そこで野営にするか」
裸のみんながじゃれ合う姿が、脳裏に浮かんだ。
「可能なら泉でもあれば、なおのこと最高で──」
「危ないっ!」
突然、レミリアが手綱を引っ掴んだ。思いっ切り引いたから、馬車は急停車。エロ妄想でぺらぺら無駄口叩いてた俺は、思いっ切り舌を噛んだ。痛いわ。
「どうした」
敵は見えない。どこにも。
「轢くところだった」
身軽に飛び降りる。
「轢く……だと」
御者席から降りると、レミリアがスレイプニールの足元を覗き込んでいた。見ると誰か倒れている。子供だ。
「良かった。轢いてない」
ほっとした表情だ。
「俺様が間抜けな馬なんかに轢かれるわけないだろっ」
子供は元気に跳ね起きた。子供……というか悪ガキって感じ。小汚いボロ姿で、髪はぼさぼさ。八歳くらいだろう。垂らした鼻水を拭うと、服で拭いた。
「まあ間抜け面の馬だけど、脚は良さそうだなっ。いい筋肉だ」
また鼻を拭った手で鼻面を撫でられて、スレイプニールが露骨に情けなさそうな顔になった。笑うわ。
「お前、名前は」
ここらの木こりの倅かなんかかな。
「俺はビックル」
「擦り傷ができちゃったね」
しゃがみ込んだランの手が緑色に光ると、見る見る傷が塞がる。
「へえ……姉ちゃんかわいいな。傷を治してくれるとか、俺に惚れたろ」
ビックルとかいうガキは、胸を張ってやがる。
「でも俺に惚れたら駄目だぜ。姉ちゃんが傷つくから」
「生意気ねえ……」
呆れ返ったかのように、マルグレーテが腰に手を当てる。
「私は無理だよ。モーブの……」
微笑んだランが、俺の手を取った。
「お嫁さんだもん」
「この弱そうなのとかよ、けけっ笑える」
無遠慮に、俺をじろじいろと眺め渡す。余計なお世話だわ。
「それより馬車の前に飛び出すとか、死ぬ気かよ。なんで急いでたんだ」
「そうだったそうだった」
また鼻水を拭った。
「ハックルが病気でよ。おいらは薬草を探しに行く途中でさ」
「……あらあら」
脇のヤブががさごそ鳴ると、女が出てきた。粗末だが清潔な服を着ている。
「すみませんみなさん。きっとまた、ビックルがご迷惑をお掛けしたのね」
「あんた……」
二十歳くらいだが、人間じゃなかった。髪がなく……というか小蛇が髪代わりに頭から生えている。
「ゴーゴンか……」
「お恥ずかしい……」
顔を赤くした。
「いや恥ずかしくはないだろ」
「私はエリナッソンと申します」
ぺっこり。頭の蛇も一斉に首をこくこく下げててかわいい。
「エリナッソンさんか……。でもなんでゴーゴンが、人間の土地のこんな山奥に」
「ゴーゴンはデミヒューマン、つまり亜人間。私同様、人間の土地に居住していても不思議ではありませんね」
獣人アヴァロンも馬車を降りてきた。てかみんなも。
「私の両親はホーボーでした」
「放浪者だね」
「それでこの土地に流れ着いたときにモンスターに襲われ、亡くなったのです。私を守って」
話はこうだった。事切れた両親に抱かれるような形で、エリナッソンは倒れていた。命こそ失われなかったものの、瀕死の重傷で。ここ山奥の寒村で手厚く看護され、その後も世話になった。自分の食い扶持を稼ぐのと恩返しも兼ねて、事故で亡くなった木こりの子供を育てる孤児院を始めた。
なんせゴーゴンだ。駄々をこねる子供は頭の蛇で脅し、それでも聞き分けがないと罰として一時的に石化させて晩飯抜きとかができる。悪ガキを更生させると評判になり、近在の村々から孤児どころか手に負えないガキやらまで次々送り込まれ、ゴーゴン孤児院は大繁盛という。
「子供が増えすぎ、最近では資金不足で……」
頬に手を当てると、エリナッソン先生は溜息を漏らした。
「ハックルが悪い病気になっても、流れの医者どころか薬を買うお金すらなくて……。ビックルとハックルは双子なんです。だからきっと、こんな無茶を……」
ビックルの頭に手を置き、撫でた。悪ガキとはいうものの、先生に撫でられて嬉しそうにしてるところは、まあかわいいもんだ。
「駄目なのよ、ビックル。あの薬草は、危険な土地に生えているから」
「モーブくん、どうする……」
リーナ先生が、俺を見た。
「そうだな……」
嫁の視線が集まった。全員、俺の決定を待っている。
「急ぐ旅じゃない。退屈しのぎにひとつ、道中クエストをこなしてみるか」




