1-2 前正巫女カエデの神託
「モーブ様、よくぞお出でなさいました」
白木の床。座布団状のクッションに正座した巫女カエデは、深々と頭を下げた。居眠りじいさんこと大賢者ゼニスが、隣で胡座を組んでいる。
のぞみの神殿、主殿。小さな祠の本殿を背に、カエデとじいさんは俺達と向き合っていた。
「こちらこそ、ご無沙汰しています。カエデさんもお変わりなく。……先生は老けたな」
「余計なお世話じゃ」
苦笑いして、ハゲ頭を叩いてやがる。
「カエデは獣人。寿命が違う。わしのような人間と比べられても困るわい」
「先生も大変だろ。その……夜のほうとか」
「あの……」
何事にも動じない前主座巫女カエデが、少し赤くなった。
「うむ」
反してじいさんはなぜか大喜びだ。
「なかなか離してくれんでのう……」
カエデの手を取ると、自分の腿に置いた。
「かわいい女よ」
「それで、土産を持ってきました。……ラン」
「うん」
白紙の大きな包みを、ランが押し出した。
「これ、先生が飲んでね」
「これは……」
目前の包みに触りもせず、ヒゲをいじった。
「薬草じゃな」
「長寿草です。迷いの森の奥で採取してきた」
「これで寿命を延ばし、少しでも長くカエデと添い遂げろということか……」
じいさんはカエデと顔を見合わせた。
「では有り難く受け取っておく」
「おまけとして、絶倫茸も入ってますわよ、先生」
「なにっ!」
マルグレーテの言葉に、じいさんいきなり目が血走った。
「そ……それはどうでもいいが、まあモーブがどうしてもというなら、念の為受け取っておこうか」
めんどくさっ!
まあいいか。じいさんにはなにかと世話になってるからな。老い先短い命(か知らんが)、精々楽しく生きていってほしいからな。
「なんにつけ、モーブと嫁もこれを使っておるのじゃろ。幸せそうな顔をしておる。……知らん顔も増えたしのう」
ほっほっと笑う。
「エルフ……ハイエルフか。それにダークエルフ。変わった容貌の娘は……もしやアールヴか」
「わかりますか」
ニュムは驚いている。
「アールヴなど、もう何百年も誰も見たことがないという話ですが」
「なに、エルフが三部族とも揃っておるのじゃ。謎の精霊が横に居れば、係累だろうなと考えるのが常道。まあわしも、アールヴの娘がこのような美しい姿とは思わなんだが。もっと……ノームのような存在かと」
「僕は美しくなどありません。きれいに見えたとしたら、それは……モーブのおかげ。愛されて、僕は幸せになったのです」
「やはりか」
なにが嬉しいのか知らんが、扇子をぱたぱた広げたり閉じたりしている。
「では残りの新顔も皆、モーブの嫁になったのだな」
「そうです」
シルフィーが頷いた。
「我ら皆、モーブと一夜を共にして、瞳が藍に変わりました。異変を告げる色ではなく、エルフ統合の徴、同じ男を婿に持つ徴だと、そう神職は判断しております」
「どんな美少女も、自分色に染め上げる男か……」にやにや
「そんな言い方止めて下さい、先生。俺別に、鬼畜じゃないし」
「モーブ様は優れたお方。その証左に、我が娘アヴァロンも、まるで若返ったかのように輝いております故」
「母上……」
恥ずかしそうに、アヴァロンは頭を下げた。
「母上も、大賢者様との暮らし、幸せそうでなによりです」
「モーブくん、そろそろ……」
さりげなく、リーナ先生に促された。
「そうだったそうだった」
いきなりエロトークになったので、すっかり調子が狂わされてたわ。
「本題に入りますが……」
懐から、俺は手紙を取り出した。居眠りじいさんが、ポルト・プレイザーの俺宛に寄越した奴。それをそっと白木の床に置く。
「これ、どういう意味ですか、先生」
じいさんが、手紙に視線を落とした。
そこにはこうある。
モーブよ
のぞみの神殿にて、特別な神託が下った
リーナを連れ、神殿に来たれ
もちろん嫁全員を連れて来い
わしが新婚の部屋を準備しておいてやるわい
神域の霊力で、快楽が何倍にも増幅される
わしも腰を抜かしたわい
ひひひ
ゼニス認め
「なんすか、このエロ手紙。ぶったまげましたよ」
「前大戦の英雄、詩に称えられる大賢者様とは思えないわよね」
マルグレーテも呆れ顔だ。
「そこらのスケベ親父と同じじゃない」
「別にエロくはないわい。重大な案件じゃからのう。確実に呼べるよう、撒き餌を使っただけで。モーブにいちばん効きそうな餌を」
「実際モーブはのう……、この手紙を読むや否や、即座に旅支度を始めたわい」
ヴェーヌスの野郎、苦笑いしてやがる。
「ポルト・プレイザーで海を見ながら、のんびり何か月も過ごす予定だったのにのう……」
「いやお前まで裏切るのかよ。さすが魔王の娘。邪悪だな」
「邪悪はモーブであろう。毎夜毎夜、あたしをあのように裏表に扱いおって」
「それは……お前だって……あの体位が好きだから」
「知らんわ」つーん
「話がずれてるよ、モーブ」
レミリアにたしなめられた。
「早く話着けておやつにしようよ」
「そうだったそうだった。……それで先生、特別な神託というのは」
「それは……」
じいさんが視線を飛ばすと、カエデが頷いた。
「モーブ様、聖なる泉を覚えておられますか」
「覚えてるさ。草薙剣を捨てた泉だ。神殿裏、池の畔。滝壺裏にある深い洞窟の、どん詰まりにある泉だった」
草薙剣は八百三十年前、この世界のダンノウラに突然出現した。世界を統べる剣として。世界の支配権を得んとする権力者の争いが巻き起こり、戦乱を鎮めるためこの地に神殿を作って剣を奉納した。誰にも手出しできない聖域と位置づけて。
「それから代々、ケットシーの巫女一族がこの剣を封じ守ってきた。いつか捨てられる日が来るまで」
「そうです。それであなた……モーブ様が現れた。この世界の理の外の世界から。モーブ様なら草薙剣を捨てられると、私は直感した。それで実際……」
じっと見つめられた。
「モーブ様は投棄に成功なされた」
「一時は剣に心が支配され、危ないところだったけどな」
「ランちゃんがモーブを救ったのよね。幻の羽を展開して」
「私、羽持ちだったから……」
「それで捨てた瞬間、なにかがこの剣に乗り移ったのを感じた。多分……草薙剣の魂が。この冥王の剣に」
じいさんに授かった短剣を、腰の剣帯から外して、手紙の前に置いた。
「まず間違いない。この剣には、それまでにはないスキルが追加されていた。ドラゴンスレイヤーとしての」
実際そうだ。今、この剣のステータスを鑑定すると、こんな感じになってるからな。
銘「冥王の剣」
クラス不明アイテム
特殊効果:必中。AGLとCRIにボーナスポイント。ドラゴンとアンデッドに強ダメージ。強振時に前方火炎斬発動。
「俺の前世の神話では、草薙剣は、八岐之大蛇というドラゴン退治に使われた。おそらくそれがあってのスキルだろう」
「それではカエデ様……」
カイムは、正座して背筋をすっと伸ばしている。カイムはハイエルフ。霊力に優れた種族だからな。聖地やカエデの力を、存分に感じているはずだ。
「特別な神託というのは、聖なる泉に降りたのですね」
「そうですよ、カイムさん。泉の水が突如、濁ったのです。深い底の底から、なにかが染み出してくるように。おそらく……投棄され安寧を得た草薙の剣から」
冥王の剣を手に取ると、カエデは鞘を額に当てた。瞳を閉じ、なにか感応しようとするかのように。
「ああ……魂を感じる。やはり……」
剣を置くと、顔を起こした。俺をまっすぐ見つめる。
「この世界には、解き切れない謎……というか矛盾があります。鍵を握るのは、草薙剣と……リーナさん」
「わ、私……」
リーナ先生が、目を見開いた。
「なんで……私なんかが。ただの……養護教諭なのに」
「正確に言えば、リーナさんの血脈です。……故郷を訪ねなさい。そこに……全ての答えがあるでしょう」
「でも私の故郷は遠いわ。カルパチア山脈に挟まれた、小さな峡谷で」
「世界を滅亡に導く焔炎が、その地で立ち上りつつあります」
力強い瞳で、巫女カエデは言い切った。




