1-4 樹木神ククノチ、運命の分岐点
「……」
御者席で黙ったまま、シルフィーは馬車の手綱を握っている。その脇にレミリア、そして俺が座っている。
俺達の馬車は、ダークエルフの里を通り抜け、さらに先へと進んでいる。もはや道はない。鬱蒼とした森で、なぜか樹木が生えていない領域があり、それを辿っているだけだ。
シルフィーの話では、どうやらダークエルフは樹上を飛び移って移動することが多いようだ。こうして地上を使うのは、荷運びのときくらいらしかった。そのときは木々の薄いところを辿る。今走っているのは、そうした部分だ。ダークエルフであるシルフィーに案内されなくては多分、森エルフの領域に進むのは難しかっただろう。
「……あそこだ」
シルフィーは、顎で前方を示した。
「あのククノチが、森エルフとの暫定境界になっている。たとえ森資源の枯渇があっても十年は互いに侵さない――それが今の協定だ」
暫定ってくらいだから、いずれまた揉めるんだろうな。
「あたしが子供のときとは、かなり違うよ、モーブ」
レミリアは眉を寄せている。
「よくないことが起きたんだね……」
「少し前から、地下水の流れが変わったのだ。そのため森エルフもダークエルフも飢えた」
悲劇を語っていながらも、シルフィーは無感情に見える。昨日の晩飯の献立を語るような口調だ。
「生き残るためには、両部族間で多少の軋轢は仕方ない。互いに許せる境界に、やがて自然に落ち着くであろう」
「なるほど。……シルフィーお前、冷静に判断できるんだな」
「当然だ。あたしの父は誇り高いダークエルフの弓戦士だったからな。……死ぬまでは」
「なんで亡くなったんだ」
「それは……」
俺の目を見た。
「……それを知ってどうする、モーブ」
「力になる。俺にできることなら。なんたって俺達、目的のある旅じゃない。この世界を見て回るための、遊びの旅行だ。なにかあれば、関わるさ。それがエルフなら俺の嫁レミリアの係累だから、なおのことだ」
「そうか……」
また前を向いた。そのまま黙って、手綱を操る。やがて前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「そうやって、通りがかりでなんでも首を突っ込んできたのか」
「モーブはそうだよ。なんというか……おせっかいというか」
レミリアが笑う。
「あたしは行き倒れだった。モーブが拾って、ご飯をくれたんだ。どうせ暇だしとか言って。おいしかったーっ」
「それがお前との出会いか」
「うん。そのときはモーブ、もうお嫁さんがふたりいたんだよ。あたし当てられちゃってさ……。でもモーブは――」
レミリアの軽口は終わらなかった。ポルト・プレイザーで俺がどうした、迷いの森でこうした、幽霊船騒ぎがあってこうだった、まぼろしの神殿で巫女を嫁にして呆れたとか、死んだ嫁を冥府まで追って全員蘇らせたとかなんとか――。恥ずかしいんであんまり嫁話、しないでほしいんだけどな。
「ここから先には、あたしは進めない。ダークエルフだからな。盟約破りになる」
ククノチが根を張るあたりに、シルフィーは馬車を停めた。
「後はお前達でも森エルフの里には辿り着けるだろう。獣人もおるし」
「ああ。なんとかなる。ここまでありがとうな」
「モーブよ……」
シルフィーは、俺の顔をじっと見た。瞳を覗き込むように。
「我が君の詔を、お前はどう思う」
「全エルフを巻き込む異変について調べてくれって奴か」
俺は思い返した。ダークエルフ国王ファントッセンとの会合を。
「まあ成り行きもあるしな。レミリアの瞳の件は、探りたいと思ってる。結果として、国王の提案にも従うことにはなるだろう。ただ約束はできん。好き勝手に生きると、俺は決めている」
「……」
シルフィーは黙っていた。もう一度俺の顔を見ると、身軽に馬車を飛び降りる。
「また会おう。モーブ」
そのまますたすたと、歩き始める。別れの挨拶のつもりか一度後ろ手を振ると、樹木に飛びついた。ひょいひょい器用に登ると、葉の陰に消える。
「なんだ……無愛想な奴だな。さすがはダークエルフ」
「モーブ様……」
シルフィーがいた席には、アヴァロンが座った。嗅覚を生かし、レミリアと共にエルフの里を目指すために。
「モーブ様、今のは、ファントッセン様の提案のことでしょう」
「だからそれは引き受けたよ」
「ああ……」
アヴァロンは、しばらく黙っていた。
「そちらと思いましたか、ふふ。かわいらしいお方」
優しく微笑んでくれたよ。
「それでもいいですよ。どちらの道も運命です。このククノチが、運命を分ける分岐点になっているのです」
高い樹木神を、アヴァロンは見上げた。
「世界……そして運命のストリームは面白いですね。常々感服致します」
「運命の分岐点か……」
「ええ。モーブ様はご自分が信じる道をお辿りなさいませ。お支え致します故」
「ありがとうアヴァロン。そうするよ。好きに生きろって、アルネにも言われてるしな」
アヴァロンは巫女だからな。俺には見えないなにかを感じるんだ。それで何度も助けられてきた。今言っていることも多分、そういうことの絡みなんだろう。
「さあ行こうよ、モーブ」
懐からおやつを取り出すと、レミリアはもぐもぐ食べ始めた。
「なんだか森が優しく感じられる。多分……あたしの領域に入ったからだよ」




