ep-7 王立冒険者学園ヘクトール
「やってくれるとは思っていましたよ、モーブ」
王立魔法学園ヘクトール学園長室。俺達の長い話を聞き終わると、アイヴァン学園長はほっと息を吐いた。俺達が取り囲むローテーブルの茶はもうすっかり冷めて、湯気も消えている。
「アドミニストレータを倒し世界を解放するなど常人ではできないことです。さすがはヘクトール史上最悪のドハズレですね」
くっくっと、楽しそうに笑う。
「とは言っても、たかだか二、三年で事を成すとは、この私も思いませんでしたが」
俺達を見回すと、冷めた茶を飲んだ。
「大賢者サクヌッセンム様もお喜びになっておられるでしょう」
「ええ先生。肩の荷が下りて、アルネ様は笑顔になっておられました」
マルグレーテは背筋をぴんと伸ばしている。
「それにねー、CRさんっていう助手の人と、なんだかいい雰囲気だったよ」
「ほう、CR様と……」
ランの言葉に、学園長は目を見開いた。
「それはまた……。あのお堅そうなふたりが……。本当ですか、ラン」
「うん。だってキスしてたもん」
「『宛らに、其は定め』――まさかこんなところまで運命の糸が……」
なんやら知らんが、感慨深げだ。
「わたくしたちも、当てられてしまって」
「いえあなたがたも大概でしょう、マルグレーテ」
俺達を見回す。
「あのドハズレがこうして、六人もの嫁を引き連れて学園に凱旋するとは、さすがにねえ……」
苦笑いだ。
「ましてや学園の養護教諭であったリーナまで嫁に加えるなどと」
「お、お恥ずかしい……」
顔が真っ赤になると、リーナ先生は俯いてしまった。
「学園生に示しがつきませんね」
「すみません……」
「冗談ですよ」
涼しい顔だ。
「あなたが幸せになってくれて、嬉しいです。大賢者ゼニス様も同じでしょう」
在学中から思ってたけど、学園長の冗談、渋いんだよな。どこまで冗談かよくわからんというか。冗談センスだけは、ちょっと魔王に似てるわ。
「そもそも、あたしは嫁じゃないもん。だから嫁は五人だよ。あたしを除いて」ぷくーっ
レミリアが頬を膨らませた。
「あんたもハーフエルフならわかるでしょ、エルフのあたしがまだ発情前だってこと」
「まあねえ……でもその瞳の色では……」
澄んだ目で、じっとレミリアを見つめる。
「いつまで保つことやら……」
「ほっといて」
「さて……」
ヴェーヌスに、学園長は視線を移した。
「ヴェーヌス……と呼んでもいいですか。それともカーミラにしますか」
「ヴェーヌスで構わん、学園長殿」
「ヴェーヌス、あなたの存在は、世界の未来にとって極めて重要です。なにしろ魔王の娘が人間、それも底辺だったモーブの仲間となり、嫁となったのです」
ヴェーヌスは、黙って聞いている。てか普通に俺、底辺扱いなんですがそれは。
「魔族と人間、双方の和解の階として、歴史に刻まれることでしょう」
「父上も、そう申しておったわい」
「そうですか……」
つと立ち上がると、学園長は窓から外を見つめた。校庭で模擬戦に励む学園生を見下ろしている。
「残虐な魔族を統べるあの男が、同じ未来を見ているとは……」
背中で言う。
「一度、魔王と語り合ってみたいものです」
「今すぐは無理であろう。モーブが父上と対面できるのは、あたしの婿という立場があるからだ」
「でしょうね……」
振り返った。
「でも私はハーフエルフ。時間はいくらでもある。百年後にまた問い掛けることにしましょう。さて……」
そのまま窓枠に軽く腰を掛けると、俺達を見回した。
「モーブはこれからどうするのですか。よろしければ、皆さんには学園教諭の座を設けますが。全員、とてつもない実力を持っている。女子の方は皆、上位クラスを率いる特別教諭に迎えたい。特にヴェーヌスとの模擬戦を持てれば、学園生にとって命を危険に晒さずに対魔戦闘を経験できる貴重な機会になりますし。リーナにはまた、養護教諭を頼みたい」
「先生、俺はどこをやりますか」
「それは……」
笑っている。
「それはもちろん、Zクラス担任でしょう。最底辺から英雄へと駆け上がった男は、ゼニス様の後任に最適です」
あっさり言われたが、まあ……こうなるとは思っていた。
「魔族の大攻勢が消え、膠着状態のままとはいえ危機は無くなった。前線を飛び回っていたゼニス様に、そろそろ戻ってきてもらいたいところですが……」
情けなさそうな笑顔となった。
「モーブの話では、ゼニス様は縁の巫女様と子作りに励んでおられるようですし……」
「母がすみません」
「いえカエデ様のことは、昔からゼニス様に聞いておりますし。愛した女性として……」
頭を下げるアヴァロンに、手を振ってみせた。
「どうも私も、つまらない冗談を控えないとなりませんね。懐かしい面々が学園に戻ってきてくれたので嬉しくて、ついつい口が滑ってばかりで」
「先生、俺達は世界を巡ります。平和になった世界を見て回り、自分の生き方を見つけたいんです。管理者無き後の世界がどうなるかも、見守りたいし」
「なるほど。それはいい」
頷いた。
「では、学園を去る前に、旧寮に顔を出しなさい」
「わあ懐かしい。私とモーブが住んでいた旧寮だよね」
「ええそうですよ、ラン」
「ボロかったもんねー、あそこ。腐りかかった寝台で、モーブとふたりでも狭かったのに、マルグレーテちゃんが毎日お泊まりにきて……」
「おや……。マルグレーテは女子寮暮らしでは……」
先生に面白そうに見つめられて、マルグレーテが赤くなった。
「その……なんというか……モーブと一緒だと落ち着くというか……」
次第に声が小さくなった。
「そのときもうふたりとも嫁だったのですか」
「ま、まだだったもん。わたくしがモーブのお嫁さんになったのは、ランちゃんと同じ日で、ポルト・プレイザーに向かう宿屋でだもん。モーブが優しくしてくれてわたくし、痛かったけど幸せだった。モーブったらわたくしの――」
「そこまでだ」
とりあえず止めた。ほとんどが嫁とはいえ、学園長の前で初体験の話なんかバラされてたまるか。よく考えたらあの夜が、前世含めて俺にとっても初めての経験だったしな。
「先生、話を続けて下さい」
「あ、ああそうだった。衝撃告白に流されてしまいましたね。長く生きていますが、私もまだまだ修行が足りないようです」
苦笑いして続ける。
「伝説のモーブとランが暮らしていたというので、あの馬臭いボロ旧寮に住みたがる人が続出しましてね。せっかくなので全面改築して補修し、『モーブ寮』と名付けて学園生に開放しました」
「へえーいいねー。お馬さんは」
「今話しますよ、ラン。あなたは馬が好きでしたものね」
首を傾げると、ランを見つめた。
「男子寮、女子寮はすでにありますからね。モーブ寮は男女混合寮としました。モーブが暮らしたという歴史に加え、男女混成ということで、王族貴族から一般のご子弟までものすごい人気でしてね。なのでモーブ寮入寮者には、馬の世話を義務としました。ランやモーブ、マルグレーテがよく手を入れてくれていましたからね。リーナと一緒に」
リーナ先生がまた少し赤くなった。思い返すとあの頃から少しずつ、先生は俺のことが気になり始めていたんだよな。
「馬の世話と聞いたら浮わついた希望者は消えて、ちょうどいい感じになりましてね。一応寮内は男女別の蚕棚部屋になってるんですが、まあ……」
楽しそうにまなじりを下げている。
「それなりに仲良くやっているようです」
「お馬さんもそれなら安心だねーモーブ」
「そうだな、ラン」
「それでですね、男女混合寮なので風紀維持のために一応寮長を入れましてね。今、Zクラスの担任をしてくれている方です。学園を離れる前に旧寮に行けというのはですねモーブ、その方があなたの同級生、ディアミドだからです」
「ああ、あいつ……」
紋章マニア、戦史マニアの「ラオウ」ことディアミドな。
Zクラスで卒業試験をクリアしたのは、俺の組、そしてディアミドの組だけだ。卒業後ディアミドは修行のため冒険者になっていたようだが、戦闘で怪我をしたのを契機に学園に戻り、奉職しているということだった。
「Zクラスで腐っていた自分を変えてくれたのはモーブだ。Zでもやればできるということを教えたいので、Zクラスを担任させてくれと、熱く力説してくれてですね。私も任せてみることにしたわけです」
「あいつ、担任決まったら『我が人生に一片の悔いなし』って拳突き上げませんでした」
「よくわかりますね、モーブ。泣いていましたよ」
懐かしい「ラオウ」の姿が脳裏に浮かんだ。
「わあ楽しみだねーモーブ。それならすぐ顔を見に行こうよ」
ランは立ち上がった。
「ディアミドくんに、コルムくんが武器屋さんになったことも教えてあげたいし」
「そうだな」
俺がもてなしの礼を言って頭を下げると、学園長は微笑んだ。
「世界を見なさい、モーブ。様々な種族を束ねてのパーティーを世界に見せなさい。それがこの世界をいい方向に変えていきますからね。そして……」
手を出してきたので、俺は握手した。
「そしてリーナのことをよろしくお願いします。私やゼニス様の孫娘も同様ですからね。幸せにしてあげて下さい」
「アイヴァン様、私はもう幸せです」
リーナ先生は微笑んだ。
「モーブくんさえ居てくれたら私達全員、幸せなんです」
●第四部エピローグ最終話「はじまりの村」!
「すべてが始まった場所」へと舞い戻ったモーブ。ガーゴイル襲来で全滅した「はじまりの村」は、見る影もないほど荒れ果てていた。けなげにみんなを案内するランだが、その瞳には涙が……。その瞬間、世界に奇跡が舞い降りる……。




