ep-6 エリク家領地
「あっ」
俺達の馬車が森から姿を現したのを、侍女服の女性が目ざとく見つけた。
「マルグレーテお嬢様っ」
駆け寄ってくる。初老の侍従長、ブローニッドさんだ。彼女の声が聞こえたのか、エリク家本館の扉が開くと、何人もの侍従や侍女が飛び出してきた。
「それに……モーブ様にラン様も」
本館前庭に馬車を寄せると、俺は御者席から降りた。
「久し振りですね、ブローニッドさん」
「お帰りなさいませ」
頭を下げる。
「エリク家も人、増えたみたいですね」
「それもこれも、モーブ様のおかげです。モーブ様のご尽力で旦那様の荘園経営も順調でして、エリク家は見事に復興したんです」
「モーブ……」
「ああ悪いな、マルグレーテ」
御者席のマルグレーテを、抱え上げて降ろしてやった。実家では淑女にならんとならないからな、マルグレーテ。
「みんな、元気だった?」
「ええラン様。旦那様や奥様、料理長のヨーゼフも。それに……」
くすくすと含み笑いして、なんだか嬉しそうだ。
「いい森だねー、ここ」
荷室からひらりと、レミリアが飛び降りる。
「きちんと手入れされているのがわかるよ。それに……神性を感じるし」
「神狐様がおられるもの」
「へえー、そうなんだー」
「うむ。たしかに寛げたわい」
「ここでマルグレーテちゃんは育ったのね。いい娘になるわけだわ。先生、感心しちゃった」
「『のぞみの神殿』に勝るとも劣らない森でした」
みんなが揃うと、ブローニッドさんが微笑んだ。
「まあ……。旅のお仲間が増えましたね。エルフに巫女様、それに……魔族の御方まで」
ブローニッドさんは微笑んでいるが、獣人やエルフ、ましてや魔族なぞ見たこともないスタッフには、顔が強張っている人もいる。まあ……ここ田舎だしな。どんな顔をされてもヴェーヌスは全く気にしないから、問題はない。俺にだけ真心をわかってもらえていれば、「他人の評価などどうでもよい」んだってさ。
「お世話になっていいですか」
「もちろんですモーブ様。お嬢様をお娶りになったモーブ様にとって、ここは故郷で実家も同然ですよ。旦那様もお喜びになられるでしょう」
「モーブ様っ」
料理長ヨーゼフさんが飛び出してきた。
「よくぞお戻りになられました」
「ヨーゼフさん、名だたる貴族に料理長として呼ばれたのでは……」
「はいモーブ様。ですが当主シェイマス様が、今一度エリク家再興に力を注ぐと仰いましたし……。先代からの御恩をお返しするのは今しかないと、全身全霊を懸けてご奉公しております」
「ありがとうヨーゼフ。父に代わり、礼を言います」
「頭をお上げ下さい、マルグレーテ様。ただの使用人に、お嬢様が頭を下げるなどと……」
ヨーゼフさんの瞳に、涙が光った。相変わらず涙もろいな。
「今日は歓迎の宴。このヨーゼフ、料理人人生全ての経験を込めて、最高の食事を提供致します」
ぺこりと頭を下げた。
「こうしちゃいられない。侍従は増えたが当家はシェイマス様とマレード様のおふたりと使用人の賄いだけ。なので料理人は私ひとりのままです。なのでこれほど多くの賓客をもてなすとなると、大騒ぎですな」
大変だとは言うものの、楽しそうだ。
「そういうわけで恐縮ですが、ここで失礼いたします」
大慌てで厨房に駆け込んでいった。
「さあお嬢様、お父上がお待ちですよ」
ブローニッドさんに促され、俺達は応接室に通された。
●
「よくぞお戻りになられました、モーブ殿。それに、お連れの方々、エリク家は皆さんを歓迎します」
応接で俺達を迎えると、エリク家当主シェイマスさんが俺達を見渡した。あれから二年数か月。シェイマスさんも少し皺が増えた。だが荘園経営で苦労していたあの頃に比べると、むしろ瞳はきらきらと輝いている。
隣にちょこんと座る奥方のマレードさんなんか、肌つやつやだし。
それに、エリク家本館もきれいになっていた。前に滞在していたときは侍従がブローニッドさんだけだった。手入れが行き届いておらず、家屋はところどころ傷んでいた。
でも侍従や侍女が増えたからか、今はしっかり修繕されている。そりゃたしかに古いっちゃ古いが、貴族の館としてはむしろ伝統と歴史を感じさせる利点だろう。
「なにもない田舎です。故郷と思ってくつろいで下さい」
シェイマスさんは続けた。
「そして……マルグレーテ。おかえり」
ちゃんと自分の娘を最後にするところを見ても、しっかりした判断力はまだ維持されていると思われた。
「お父様、ご健勝そうで安心しました。それにお母様も」
「うむ。お前もきれいになったな。なんというか……若くなってないか」
「幸せだからですよ、あなた。モーブ様と旅しているのですもの」
マレードさんはマルグレーテと俺を見ている。
「お母様も……お幸せそうでいらっしゃいますね」
「そうだねーマルグレーテちゃん。私もそう思ってた」
楽しそうに、ランが参戦してきた。
「なんでかな」
「ふふっ……」
マレードさんは、ちらっとシェイマスさんを見た。シェイマスさんが、微妙に恥ずかしそうな顔になる。……なんだ。なんか少し雰囲気がおかしい。
「モーブ様」
巫女アヴァロンが、静かに微笑んだ。
「奥方様はご懐妊しておられます」
「えっ……」
俺は絶句した。それって……。
「そのような香りが漂っておりますゆえ。女の子かと……」
「お、お母様……」
さすがにマルグレーテの声が裏返った。
「そうですよマルグレーテ。あなたに……妹ができます」
自分のお腹に、そっと手を置いた。
「お恥ずかしい……」
シェイマスさんの渋い顔が、わずかに赤くなった。
「モーブ殿に荘園を救っていただき、ノイマン家領地もエリク家管理となった。私は荘園管理に全力を注いだ。男としてやりがいのある毎日で……その……」
そっちのほうでも男を発揮してしまったのか……。やりがいのある仕事で、男性ホルモンが大量に放出されたんだろうな。社畜としての俺の経験でも、それはよくわかるわ。
考えてみれば、シェイマスさんは四十代、マレードさんだって三十代だ。だから子供が生まれても不思議ではない。ふたりとも仲いいしな。
「ご懐妊おめでとうございます」
リーナ先生が頭を下げた。
「領地運営順調な上に、家内安全とは、うらやましい限りです」
まだ二十歳だが、さすがは大人。しっかりしてるわ。
「荘園に入ってから、道の左右に広がる荘園の木々を見てたよ。どの木も生き生きとしていて、嬉しそうだった」
レミリアが茶のカップを置いた。
「エリク家と領民のみんながしっかりしてるからだねっ」
「森の民たるエルフの方に言われると、心強いですな」
シェイマスさんは頬を緩めた。
「あなたがしっかり経営したからですよ」
「マレード……」
手を取って見つめ合っている。
「うむ。ヒューマンはいいのう……。素直に愛情を表現できて」
感心したように、ヴェーヌスも頷いている。
「魔族ではありえない話よ。惚れた女がおったら、普通は攫って無理矢理嫁にするだけだし」
恐ろしいことを口にする。
「あたしもモーブをさっさと攫えばよかったのう……」
「はあ?」
「冗談だ」
無表情で、俺を見る。いや親父の魔王と同じとか……。俺、魔族の冗談センス、よくわからんわ。まあ……俺が好きだったって言ってくれてるんだから、嬉しいっちゃ嬉しいけどさ。
「旦那様」
ヨーゼフさんが応接室に顔を出した。
「晩餐の用意ができました。いつでも大丈夫です」
「うむ。では皆さん……」
「やったあっ!」
レミリアが飛び上がった。
「さっきからいい匂いがしてたから、もうあたし我慢できなくて」
「たくさん食べて下さいね」
マレードさんは微笑んだ。
「それに、長く滞在して下さいね。娘といっぱい話をしたいですし、皆さん元気で賑やかなので、ふたりだけの館が生き返ったかのようです」
いや毎晩子作りに励んでいたおふたりのほうがよっぽど元気です……と思った。もちろん口には出さなかったけど。
それから毎日、楽しく遊んだよ。
俺とマルグレーテが結婚したも同然なのは、ご両親も知っている。それにランやその他の仲間も俺の嫁だというのは、みんなの態度を見ていればすぐわかる。なので夜は夜で、寝室は自由にさせてくれたし。こんなこと言うのもあれだが、シェイマスさんとマレードさんに続いて、俺の子供が何人かここでできていても不思議じゃあなかった。
領地の村々も回った。村のみんなとあの当時の話に花を咲かせたりしてな。地下のタコ野郎やサンドゴーレムを退治したとか。細かな部分まで知っているのはランとマルグレーテだけだったんで、リーナ先生もアヴァロンも、興味深げに話に加わっていた。
不思議なこともあったよ。例の神狐の洞窟にも行ってみたんだ。でも狐は消えていた。しんと静まり返った無人の地下に、こんこんと地下水だけ湧いていたよ。
「神狐様、どうしたのかしら」
マルグレーテは悲しそうだった。
「お引越ししたんじゃないの。平和になったからエリク家を見守る必要がなくなって」
「それはおかしいわ、レミリア。だって神狐様は、もう何百年もこの地を守ってくれていたんですもの」
「お前は子供の頃に泉で直接会ってたんだろ。溺れそうになったのを助けてもらったんだったっけ」
「ええ」
「この森でか」
ヴェーヌスが口を挟んできた。
「この森にある泉です」
「泉……そうか……」
ヴェーヌスは唸っている。
「マルグレーテさん、その話は本当ですか」
ネコミミをぴくぴく動かして、アヴァロンはなにかを探っている様子だ。
「ええそうよ。わたくしの命の恩人なの」
「そうですか……」
マルグレーテをじっと見つめた。
「いずれ……その意味がわかるかもしれませんね。さあ……」
アヴァロンは俺でなく、マルグレーテの手を取った。
「もう地上に戻りましょう。そして……森を楽しみましょう、マルグレーテさん」
「いいねー」
レミリアが頷いた。
「あたしが森で、おいしい木の子や野生の果物を探してあげるね。みんなでおやつにしようよ」
●次話「王立冒険者学園ヘクトール」
ヘクトールまで戻ってきたモーブは、学園長との再会を果たす。モーブや嫁たちを学園教師に迎えたいという学園長の願いに、モーブはなんと答えるのか。そして学園でモーブを待っていた「もうひとり」の人物とは……。




