10-4 辺境へ……
「ふう……」
ランとヴェーヌスが、大風呂から戻ってきた。
「気持ち良かった? ヴェーヌス」
旅の宿の大部屋。レミリアは寝台にうつ伏せになって、菓子を咥えたまま、脚をばたばたしている。この宿は少し変わっていて、どれほど大きな部屋でも、寝室と前室、書き物部屋などが分離されていない。安い部屋は狭く高い部屋は広いが、いずれにしろひと部屋だけ。俺達は金だけはあるので最上級の部屋に入ったが、それでも早い話、スイートではなくスタジオタイプってことさ。
「ああ、露天だから森の香りが良くてな。あたしは地下に長く蟄居になっていたからのう……。それと比べれば最高だ」
「へえーっ。じゃああたしも入ってこようかな。……アヴァロン、一緒にどう」
「そうですね……」
巫女服姿のアヴァロンは、ちらと俺を見た。
「私はモーブ様と湯浴みしたいかも……」
「なら部屋の内風呂だね。大風呂は混浴なしだし。……ランも内風呂でしょ、モーブと」
「そだよー」
「だよねー」
あっさり納得すると、起き上がった。
「じゃあマルグレーテ、お風呂行こうよ」
「わたくしはこの宿に入って、すぐに済ませたもの」
「マルグレーテ、きれい好きだもんね。……ならリーナ」
「行きましょうか」
リーナ先生は、デスクでなにか書き物をしていた。紙束を閉じると立ち上がる。
「じゃあモーブ、私とレミリアちゃん、入ってくるね」
「ええ。あったまってきてください」
「もうご飯も終わったし、全員お風呂が終わったら、ちゃっちゃと寝る? モーブ」
備え付けの軽食テーブルで茶を飲んでいた俺の後ろから、マルグレーテが体を抱いてきた。みんなにはわからないようにして、服の上から俺の乳首を撫でている。
「ここ……寝台広いわよ。……全員で雑魚寝になるけれど」
なんか誘うような言い方と態度だが、今日はそういう行為をするつもりはない。全員同部屋ってことは、馬車での雑魚寝と同じことだからな。全員嫁なら話は別だが、レミリアとヴェーヌスは違うわけで。
「いや、まだ夜は早い。それにこの宿、少し変わってるじゃん。食堂と酒場が別になってて」
続き部屋がなくスタジオタイプだけとか、酒場独立型とか、この地方の特徴らしい。なにしろここは、この大陸でもかなり辺境のほうだ。色々文化が違っていても不思議ではない。
「だからみんなで一杯やりにいかないか、酒場のほうに」
「いいな」
腕を上げ、ヴェーヌスは体を伸ばした。例のボンデージの中で、きれいな体が動いた。
「晩飯のときの酒もうまかった。少し……変わってはいたが」
「たしかに、黒すぐりかな……あの香味」
俺達はとある辺境地域に向かって旅を続けている。魔族勢力と人間の辺境守備隊が睨み合っている、危険な地域だ。当然、人間側勢力の主要都市からはかなり離れている。
俺達は二か月も旅を続けていて、もう十二月も末だ。だから文化の違う地帯に入っているのは、まあ当然とは言える。
「ヴェーヌス、魔族の里にもお酒ってあるの」
「そうだな、ラン。芋をすり潰し発酵させて作る。……だが魔族が長期間暮らすと土地は汚損されるから、芋が臭い。だからまあ……味はな」
苦笑いしている。
「酔えるだけだな、利点は」
「へえーっ。でも飲んでみたいなー」
「ラン。お前は面白いのう……。魔族の飯や酒に興味を持つ馬鹿など、他にはおらんぞ」
「へへーっ」
俺が腹を割かれた戦い以降、パーティーは少しぎくしゃくした。みんなヴェーヌスに怒っていたし。それでも「ヴェーヌスはわざと負けて死ぬつもりだった」と俺が教えたことに加え、ランはそれまでと変わらず何彼となくヴェーヌスに話し掛け続けた。そのためか、やがて仲間のわだかまりは消えていった。
加えて、ヴェーヌスがよく話すようになったこともある。なんというか、心を開いた感じというか。多分あの戦いで俺に本心を告白し、心のつかえが取れたからだろう。
ヴェーヌスの心は割れていると、カエデは教えてくれた。理由はふたつあると語っていたが、そのひとつが、俺への気持ちなのだろう。「本人も気づいておらず、混乱している」と言っていたし。もうひとつの理由のほうは、今でも謎のままだが。
映像で初めて会ったあのとき、秘名を俺に教えてしまったのも、俺への気持ちだろう。下世話な用語を使うなら、ひと目惚れというか……。
ただ、どうしてそうなったのかは、さっぱりわからん。俺はただのモブキャラだし、中身は底辺ブラック社畜だ。イケメンってわけでもないし、そもそも魔王の娘が外見だけで男を好きになるはずがない。
つまり出会った瞬間に惚れられる要素が無い。自分で言うのも情けないが、皆無だ。ここから先は推測でしかないが、この世界を支配する例の「運命」って奴が、おそらく最初から絡んでいたのだろう。俺は、そう判断していた。
「さあ、モーブ様……」
立ち上がったアヴァロンに手を引かれた。
「お風呂を使いましょう。背中をお流し致します」
「私も洗ってあげるね」
ランも立ち上がった。
「それにモーブにも洗ってもらうんだー。いつもみたいに、背中も前も」
「あら……」
アヴァロンのネコミミが、ぴくりと動いた。
「いいですね。私もモーブ様にお願いしてもよろしいでしょうか」
「いいけど、向かい合えば俺のこと、目の前で見ることになるぞ」
下半身もな。
「そ、そうですか……」
恥ずかしそうに瞳を伏せた。三位一体の儀式のときは積極的だったけどさ、三人合体後のアヴァロンは……なんというかおしとやかなんだ、寝台でも。
「それも……いいかな。あの……モーブ様は嫌でしょうか」
「いや、大歓迎さ」
ふたりの手を引くと、部屋のバスルームに導いた。
アヴァロンの背筋や前を覆う柔らかな和毛を、石鹸で泡立ててみたい。天使の遅れ髪みたいな触り心地なんだろうな。髪を洗うときに人間のほうの耳に触れればアヴァロン、凄く乱れるだろうし。あそこ特に感じやすいからなあ……。
くそっ。俺、なんだか我慢できる気がしないわ。多分……バスルームでふたり相手に、いけないことをしちゃうんじゃないかな。どうせ今晩、寝台ではなにもできない。でも嫁と密室でする分には、問題はないはずだ。
というか、こんな妄想しただけで、もうそろそろ危なくなってるし。下半身を見られないよう凄まじい速さで服を脱ぎ、風呂場に突進した。そんな俺の姿に、アヴァロンは不思議そうな顔。袴と巫女服を脱ぐと丁寧に折り畳み、褌状の下着を解き始めた。これから自分の身に何が起こるか、知らないままに。
●雑談「アヴァロンの下着構造」
(本当にただの雑談なので、興味なければ読み飛ばし推奨です)
注連縄状の褌と前に書きましたが、それからもわかるように、「紐+布」の越中褌ではなく、一枚の布を体に巻き付けて下着とする、六尺褌系統です。
当方が卒業した高校では水泳授業が伝統的にこの褌でして、割と好きな下着です。締めると気持ちが引き締まるし。それにあれ合理的なんすよ。晒の一枚布を手でぴっと千切って巻くだけだから縫製とか不要だし、なんとなれば布として他の用途に再利用できるし。このあたり、着物の哲学と同じ。
アヴァロンの場合は、少し違います。こんなん本文に全部書くとリズムもクソもないのであんまり描写してないですが、単に布を巻きつけるのではなく、白布を撚って注連縄上にして体に巻くもの。腹部側は注連縄同様にわずかに太くなり、前に布端が短く垂れています。垂れた部分には梵字一文字だけ墨書されている想定。前両脇に稲光状の紙垂が垂れており、このあたりも注連縄ぽいですね。後ろ側は横と縦が交差するあたりだけ縦が二股に分かれていて、尻尾をよける構造です。
全体に士郎正宗「仙術超攻殻ORION」ぽい感じ。まああっちには紙垂とか二股はないけど。オリオンは士郎正宗で当方が一番好きな作品ですね。後にイラスト中心になったことからもわかるように、彼はストーリーも面白いんですが、ビジュアルイメージのほうにはるかに才能を感じます。その意味で庵野さんに近いのかなと。
ちなみに紙垂というのは稲光の象徴。ギザギザ形状見ればなんとなくわかりますよね。夏の台風シーズン、雷が田んぼに落ちると一斉に稲が受粉して実がなります。これは電気ショックのためとされますが、昔の人は「雷が稲を孕ませた」と考え、稲の夫、つまり「稲夫」(昔は「つま」と読んだ)と名付けて雷を有難がったわけです。実際、上賀茂神社など、雷光を祀る神社も多数あるし。
それが後年、表記が「稲妻」になっちゃって意味不明になったというね。元のままにしとけばいいのに……。昔は男女の相手が「つま」。つまり「妻」「夫」とも「つま」という読みだったのです。ここでまた脱線話をすると「刺し身のつま」も「相手」の意味で「妻」(稀に「褄」を当てる)っすな。
神輿最上部に稲穂があるように、稲は神道で神聖な作物。それを孕ませたのは神様である雷。なので神域を示す象徴的なシンボルとして「稲光=紙垂」が使われるわけです。神社の注連縄とか御神木の周りに垂れてるでしょ。
わかりにくいかなと思っていた下着のビジュアル解説だけの予定だったけど、なぜか刺し身まで色々脱線雑談失礼しました。




