10-2 逆襲の蓋然性
こちらの逡巡など気にもせず、ヴェーヌスはまた突っ込んできた。剣筋から逃れるためだろうが、右に走りこちらの左半身側から。信じられないほど脚が高く上がると、頭を狙ってきた。
「……つっ!」
かろうじて頭への打撃は避けたが、左肩を痛打された。思わずよろめいたところに、今度は背後から背中への強い蹴りを受ける。
バランスを崩し、また倒れた。「冥王の剣」が手から離れ、転がる。
「くそっ」
なんとか仰向けになってヴェーヌスを見た。絶好のチャンスだが、襲っては来ない。静止したまま、こちらを睨んでいる。
――ヴェーヌス?
右手を上げると無言のまま、ヴェーヌスが「冥王の剣」を指差した。どうやら拾えということのようだ。
体中が痛い。よろけるようにして、剣を拾った。ヴェーヌスに向き直ると、あいつはこちらに背を向けた。もはや襲いかかるだけの余力がないと見て取ったのだろうか。そのまま頭上で手を打ち鳴らす。外側で見守ることしかできない、ランやマルグレーテを小馬鹿にするかのように。
「てめえっ」
これではまるで闘牛だ。ヴェーヌスの楽しみのためだけに、なぶり殺しにされる。……そして哀れな牛はもちろん、この俺だ。
初めて憎しみを覚えた。ヴェーヌスに。ふたりでなんとか生き残りたいというこちらの願いも知らず、お気楽に仲間を煽っているヴェーヌスに。
「やるってのか、ヴェーヌス」
思わず口に出た。そっちがその気なら、自分だって、むざむざ殺されはしない。少なくとも……死ぬ前に一撃くらいは食らわせてみせる。
こちらの呪詛が届いたのか、ヴェーヌスが振り返った。残忍な笑みを浮かべて。
「くそっ」
こちらから攻撃に出た。脚がなるだけ痛まない方向に進んで、ヴェーヌスの左脚を狙って冥王の剣を突き出す。少しでも傷を負わせられたら、動きが鈍るはず――。
だが目論見は潰えた。体勢が崩れたところに付け込まれ、また左脚を攻撃され、倒れる。
今度は、距離を取りもしない。倒れたところで右手の甲を蹴られ、思わず落とした剣を、ヴェーヌスは遠くに蹴り飛ばした。そのまま、体幹を中心に執拗に蹴ってくる。体を丸めて頭を抱え込み、なんとか腹と頭への打撃を軽減させようと、俺は努めた。それが精一杯だ。
どのくらい攻撃されていたのか。一瞬、気を失っていたようだ。ふと気づくと仰向けに倒れていて、体中に激痛が走っている。ヴェーヌスは見えない。異世界の太陽がぽかんと浮かぶ空を、俺は見上げている。
俺の窮地など知らぬとばかりに、呑気な風が吹いていた。
頭を起こすと、ヴェーヌスが「冥王の剣」を拾ったところだった。何度か振ってみている。確かめるように剣筋を太陽にかざしていたかと思うと、こちらに視線を戻した。
瞳に殺意が浮かんでいる。最初の決闘で感じたもの以上の。
――殺りにくる。間違いない。
俺は腹をくくった。小手先の戦略など通用しない。なにしろ向こうが強すぎるし、こっちはもうヘロヘロだ。おまけに最後の頼りたる「業物の剣」すら見当たらない。どうやらどこかに放り投げられているようだ。
なんとか立ち上がった。丸腰の俺を見て、ヴェーヌスは頭を傾け、首を鳴らした。一歩踏み出す。二歩、三歩――。また跳躍した。
以前の戦いでは、俺を苦しませないため、一撃で首を折ると宣言していた。だから剣を使うにしても、首を刎ねるか心臓を突き刺しにくると思っていた。
だが、そんな見込みは外れた。腹を狙い、水平に斬撃してくる。腹なら即死はしない。腸を撒き散らした獲物が苦しむのを、じっくり楽しむ攻撃手法だ。邪悪な魔族ならではといえる。
これではどちらにしろ、奇跡が起きたって斬撃を避けるのは無理。無様に内臓を晒して失血死するだけだ。
最後の力を振り絞った。剣筋が届く瞬間、腹を凹め背後に飛ぶように避ける。だが、ヴェーヌスの剣筋は、信じられないほど伸びた。体が柔軟だからだろう。必中スキル持ちの「冥王の剣」が「ハンゾウの革鎧」を斬り裂き、激しい痛みが体を走った。
――やられたっ!
もうヤケだ。どうせ俺は死ぬ。剣を振り切ったヴェーヌスの手にかじりついた。
逃げてもどうせ殺される。剣を奪い取れればチャンスはある。間合いはゼロだ。剣を持つ側が圧倒的に有利なのは、火を見るより明らか。腹を割かれた俺は死ぬだろうが、無念の一撃を与えることはできるかもしれない。
そのまま、ふたり倒れた。転がるようにして、剣を奪い合う。こちらの血が、ヴェーヌスの肌に、鮮やかな鮮紅の飛沫を描いた。
――なんとか……なんとか。失血で力が抜けてしまう前に……。
頭にはそれしかない。他はなにも考えられない。無我夢中で転がって偶然、体が上に来た。マウントを取る形。目の前の右手に噛み付いた。ヴェーヌスがうめく。固く握られていた拳が開いた。
――今だっ!
「冥王の剣」を奪い取る。そのまま体を起こすと逆手に構えた剣に体重をかけ、息を詰めたまま首筋にまっすぐ突き通す。
はっきりと、食い込む手応えがあった。




