9-2 アルネ・サクヌッセンム
「これはこれは……」
男の声に、我に返った。
俺達は立っていた。どこともわからない場所に。図書館かなにかだ。古い木と床に塗られたニスの香りがする。数え切れない木製書架が立ち並び、大量の書物がびっしりと並んでいた。
書架を前にした男が、こちらを見ていた。車椅子に座って。俺が生きていた前世は現代風の車椅子。もちろん金属製だ。
男は三十代後半か、四十代に入ったところあたり。顔は若いが肌はかさかさで生気がない。髪も半ば白くなっていた。
男の車椅子を押しているのは、どう見ても十代の少女。おかっぱ髪にジャケット、タイトスカートで、ちょっと秘書のような出で立ちだ。俺達を見ても顔色ひとつ変えず、無表情のままだ。
「モーブだな」
男が口を開いた。
「それに……パーティー御一行か」
「あんたはアルネだな。アルネ・サクヌッセンム」
「そうだ。……ついにここ――『時の琥珀』――まで辿り着いたか。さすがだな」
「後ろの娘は」
「CR。勘違いする前に教えておくが、ゲームキャラではない。ミドルウエアだ」
「ミドルウエア……」
ゲーム開発のためのツールのことだ。
「そもそもCRは――」
「そんな女などどうでもよい」
つかつかと、ヴェーヌスが詰め寄った。
「貴様がアルネ・サクヌッセンムというなら、教えてもらおう」
早口だ。
「お前は誰だ。アドミニストレータとは何者だ。この世界はアドミニストレータが作ったのか。お前とアドミニストレータが敵対する理由は。魔族にはどうして、『人間を滅ぼす』という、本能にも近い使命感があるのだ。そしてあたしの心はなぜ――」
「おいおい」
降参といった風に、アルネ・サクヌッセンムは両手を上げてみせた。
「そう焦るな、ヴェーヌス」
苦笑いだ。
「全部話してやるから落ち着け」
俺を見る。
「なあモーブ。お前も知りたいだろ。この世界の真実、まだ明かされていない最大の謎を」
「頼む、アルネ。それに……歴代のイレギュラーがこの世界に転生した理由。そして俺が最強のイレギュラーとしてただひとりゲーム開始時点に転生できた理由も」
「私も責任重大だな」
困ったような笑顔で、ほっと息を吐いた。
「時間が掛かる。茶を飲みながら話そう」
振り返ると、CRに手を振った。CRが頷くと、俺達は全員、もう大きなテーブルの席に着いていた。無機質なガラステーブルに、ステンレスのようなマグカップ。図書館のメイン書架といった先程の場所から、図書館会議室という雰囲気の簡素な部屋に移っている。壁にはひとつだけキャビネットがあり、複雑な形のオブジェが置かれていた。
「……」
やはりステンレスっぽいポットからカップに、無言のCRが茶を注いで回る。注がれた茶は透明でただの湯のように見えたが、香りも味も最上級の緑茶だった。
「ありがとうCR」
頭を下げると、CRと呼ばれたミドルウエア少女は、アルネ・サクヌッセンムの背後に、また位置取りした。
「話の前にまず、『コーパルの鍵』を回収したい。私に戻してくれるか、モーブ」
「もちろん。元からこれはあんたの物らしいからな。これを捜していたんだろ。世界開闢時に失われたアイテムとして」
「ああ。これもミドルウエアの一種だからな。再入手のため、これまでお前には真実を明かさなかったのだ」
「俺が来れば、この鍵を取り戻せる。真実をその担保としたんだな」
「そういうことだ。……悪いな」
俺の手から受け取った。
「こいつが消えたおかげで、世界調整に大きな支障が起こったからさ」
ひとつ溜息をつくと、懐に収めた。
「さて……」
改めて、俺達の顔を見回した。
「どこから話すか。……全て複雑に絡んでいるからな」
しばらく黙った。なにか考えているのだろう。俺達は皆、次の言葉を待った。
「うん。まず私の話からにするか」
アルネ・サクヌッセンムは話し始めた。
「薄々感づいているとは思うがモーブ、私はそもそもお前と同じく、現実世界の人間だ」
「そうは思っていた」
アドミニストレータとの世界を巡る争いを、事象の地平線の外側からしているのだ。現実世界に居たと判断するのが自然だ。
「アルネ・サクヌッセンムというのは、錬金術師でな。私の好きな小説に出てくる。『地底旅行』という、百五十年以上も前の小説だが……。だからもちろん、現実世界での本名は別にある」
「あんたも外部からこの世界に干渉していたんだな。アドミニストレータが創造した、このゲーム世界に」
「ちょっと違うな……」
天井に視線を置き、ほっと息を吐いた。
「私は開発者だった。このゲームの」
「えっ……」
驚いた。それは全く予想の範囲外だ。
「アドミニストレータも運営――つまり開発者だろ。ならあんたは、アドミニストレータと現実世界でも対立していたのか」
権力争いとか失敗の押し付け合いでプロジェクトが崩壊するとか、俺も経験あるからな。ブラック社畜あるあるとして。
「違う。アドミニストレータは名前のとおり管理者だ。元々の開発者ではない」
「どういうことだよ」
頭が混乱した。
「まあ、後でその話になる。まずは聞け、モーブよ」
今一度俺達を見回すと、自分の茶を飲んだ。音もなく近づいたCRが、アルネのカップに茶を継ぎ足す。自然……というか、全自動といった動きだ。歯医者のうがいカップのように。
「全ては、このゲームがバグ満載になった理由からだ。そこからこの複雑な事象が生じたのだからな」
アルネ・サクヌッセンムは語り始めた。想像だにできなかった真実を。
話はこうだった。
その当時、アルネ・サクヌッセンムは、少人数でのゲーム開発を強いられていた。開発・発売元は元々ゲーム業界の老舗企業だったが慣れないアミューズメント事業に手を出し、巨額赤字を計上したからだ。皺寄せは、祖業であるゲーム開発部門に来た。
コストダウンのため開発者の数は絞られ、連日のハードな残業に泊まり込みが続いた。しかも予算達成のため当初の発売予定から早められ、年度末に売り上げを計上する、無茶なスケジュールすら組まれた。
アルネ・サクヌッセンムは、本作のメインディレクター。プロジェクトリーダーから下請け業務管理、さらに繁忙期にはなんと現場作業までやらされていた。
「モーブなんて名前にして悪かったな」
ブラック労働の社畜開発者アルネは、俺に笑いかけてきた。
「あれは企画段階の仮称だったんだ。『初期村で死ぬ噛ませ犬のモブだからモーブ』とな。もちろん後でちゃんと変更する予定だった。それっぽい名前に。……だがNPCは死ぬほど多い。発売日も早められた。メインキャラクターを管理するだけで精一杯だった我々は結局、ほとんどのNPCキャラを仮設定のまま発売することになった。……心残りだった」
「もういいよ、アルネ。俺はもう、この名前結構気に入ってるんだぜ。慣れっていうかな」
「そうだよ、モーブって、かわいい名前だもん。私、好きだよ」
「わたくしも」
「モーブ様、素敵な名前です」
「私も、もちろん」
「あたしもー」
「まあ……あたしもだな」
「おう……。嫁に恵まれているな、モーブ」
楽しげに、アルネは微笑んだ。
「話を続けよう。私達開発チームは、それでもなんとか発売までこぎつけた。だが恐ろしいことに、それでブラック労働から解放されたわけではなかった」
当時を思い出すかのように、眉を寄せて唸った。
「知ってのとおり、大量のバグが、潰し切れないまま残っていたからな。理由はもちろん、工数も足りないのに無理矢理発売したからだ。最悪、評判が地に落ちようともぶん投げちゃえばいいんだ。炎上したって私のせいじゃない。経営陣の戦略ミスがそもそもの発端だからな。……だが幸か不幸か、本作は売れた。キャラクターも人気になり、恋愛要素を強めたR18版発売も決まり、シナリオ執筆を発注した。なにしろそこにいるレミリアもR18版では――」
「それはいい」
遮った。あの原作クールロリがR18版で大食いお茶目キャラとして新たな攻略可能対象になったことは知っている……というか身をもって体験中だ。まあ……まだ攻略できていないが。エルフ発情期設定のせいもあり、あいつの恋愛フラグ、異様に硬いからな。
「それより本筋を続けてくれ」
「そうだな」
面白そうな顔で、アルネ・サクヌッセンムはレミリアを見つめた。
「未発売に終わったR18ルートがどう進むのか、見てみたかったが……まあいいか」
「あーるじゅうはちってなに」
レミリアはきょとんとしている。
「おいしいおかずの一種?」
「そのうち説明してやるよ。――さあ、アルネ」
「とにかく、開発チームはR18開発と本編バグフィックスの同時進行に追いまくられ、ますます労働環境が厳しくなった。耐えきれずに何人か会社を辞めていったから、残ったメンバーはさらに激務になった」
「そりゃ酷いな」
同じく元ブラック社畜として、同情を禁じ得ないわ。
「私の権限でやむなくR18発売延期を決めると、経営陣や上司から死ぬほど詰められた。お前はウチを潰す気かと。私も言いたかった、お前らこそ私を潰す気かとな。深夜まで説教され、そのままバグフィックスの作業に戻った。そうして……」
アルネ・サクヌッセンムは、言葉を切った。一拍置いて続ける。
「そうして私は死んだ。業務中に。……心筋梗塞だった」
当時を思い出したのか、遠い目をした。
「死んだ!? アルネあんた、死者だったのか」
「もちろんだ。今ここにいる私は、思念体。まあ転生者とも幽霊とも呼んでくれていいが……」
「そういや、バグフィックス中にゲーム開発者が死んだって噂があった。あれは、あんたのことだったんだな」
「そういうことさ、モーブ。……この世界はな、死の瞬間に私が創造したんだ。アドミニストレータではなく、私が」
●次話、さらなる真相が顕になる、驚愕の展開にご期待下さい!




