7-5 「不死の山」入山
「これはこれは……」
「不死の山」麓には、山域を管理する神職が住んでいた。山域全体が神域なのだという。ゆっくり馬車で近づくと、粗末な小屋からふたりほど飛び出してきた。神職衣装の男、人間だ。駆け寄ってくる。
「巫女の方ですな」
年嵩のほうの神職が、御者台を見上げる。
「ええ」
アヴァロンが頷いた。
「『のぞみの神殿』の巫女職、アヴァロンと申します」
「のぞみの……神殿。まさか……」
ふたりは顔を見合わせた。
「あそこは禁忌の神域。世界のために、巫女殿一族は八百年以上もあの場所から出られないはずでは……」
若いほうが唸る。
「もう解決しました。ですから正巫女である私が、こうして神域を出ているのです」
「なんと……。八百年も解決しなかった難題なのに……」
一瞬、目を見開く。それから満面の笑みを浮かべた。
「そうですか。ならば当職も神に感謝の祈りを捧げておきましょう」
「よろしくお願いします」
アヴァロンはお辞儀をした。
「ここにいるモーブ様が、例の剣を封印して下さったのです」
「あなた様が……」
恐ろしいものでも見るかのように、年嵩が俺を見つめてきた。
「その……。あの呪いに打ち勝ったのですか」
「そういうことです」
アヴァロンが答えた。御者席に並んだレミリアは、興味深そうに俺達と神職を見つめている。
「ありがたいことです」
ふたりして、俺に深々と頭を下げる。
「してその英雄殿と名だたる巫女殿が、ここ『不死の山』にどのようなご用向きで」
「はい。私達は宝永火口まで山を登ろうと思います」
「もう上は寒うございます。冬の装備はお持ちですか」
結局、あれから一か月も掛かった。もう十月も末。平地は秋だが、高山は冬の気候だ。
「大丈夫だよー」
ひらりと身軽に、レミリアが御者席を飛び降りた。さすがエルフ。
「ぜーんぶ、揃えてある。大きな街で買ってきたからね」
「さすが英雄殿。準備に抜かりなし、ですな」
馬車の荷室に目を置いている。
「あと、当職になにかお申し付けはありますでしょうか」
「なんなりと。我々が、なんでもお引き受けいたしましょう」
「ありがとうございます。ではひとつ……」
俺は頭を下げた。
「馬車を預かっていてもらえますでしょうか。さすがに高山の険しい道は無理でしょうし」
「了解いたしました。馬はどうされますか」
「登れるところまで、騎乗で進めたらと思います。行けますかね」
「そうですね……」
俺達の馬に、ちらと視線を走らせる。
「見たところ、馬もかなり優れていますね。その馬でしたら、五合目……いえ六合目くらいまでは」
「六合目に『大崩れ』という場所があります。名前のとおり、大きなゴロタが大量に、川のように登山道を横切っているところ。見ればすぐわかります。その手前で馬を降りて下さい、モーブ様。そこから先は、馬では進めません」
「なるほど」
足を取られると馬が転びそうだもんな。
「ちょうどそのあたりから傾斜もキツくなるので、どちらにしろ馬は無理です」
「幸い、周辺には泉も草もある。モーブ様御一行がお戻りになるまで、馬はそこで休ませておけばよろしいでしょう」
「そうします。――みんな降りてこい」
声を掛けると、三々五々、仲間が荷室から出てきた。昼寝していたのか、ランは大きく伸びをしている。マルグレーテとリーナ先生は、なにか話しながら山頂を指差している。最後にヴェーヌスが飛び降りてくると、神職ふたりは微かに表情を硬くした。
「……魔族」
「気にしないで下さい。こいつは俺のパーティーです。神域でも問題は起こさない」
「そうですか……。英雄モーブ様のお仲間なら、いつでも歓迎です」
「登山は早朝行動が基本。粗末な小屋で恐縮ですが、今晩はここにお泊まり下さい。明朝、夜明け前に登り始めるとよろしいでしょう。最初は簡単な道です。トーチ魔法があれば、暗くても進めますゆえ」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
「ご厚意に甘えます」
「宝永火口までの山登りなら通常、往復五日か六日ほど掛ける方が多い。六合目まで馬を使える今回の場合、片道でぎりぎり一日。ですが初めての山ですし、火口直前の無人奥社にて一泊されるのがよろしいでしょう。翌朝早くに火口に進みなされ。して……」
年嵩の神職は、俺をじっと見つめてきた。
「して火口にて、なにをされるおつもりですか」
●
「ふわーあっ」
俺の腕の中で、レミリアが体を伸ばした。
「そろそろ起きる? もう夜明けだよ」
「そうだな」
俺達は奥社で寝ている。窓なんかないから、室内は真っ暗。だから時間なんかわかりゃしないが、レミリアはエルフ。森で暮らす種族だけに、体内時計がしっかりしている。
昨日一日掛けて、「不死の山」を登山してきた。奥社は本当に粗末な小屋で、四畳半ほどの岩造りの社屋。奥に祠が祀られているだけで、寝具すらなかった。携行食だけの飯を終えると、冬装備のままみんなでくっついて眠ったのだ。珍しく、俺の両脇はレミリアとアヴァロン。ランとマルグレーテはその外側だった。
「さて……」
堅い床の雑魚寝で、体が凝っている。ストレッチしながら扉を開けると、朝日と一緒に、冷気が一気に部屋に流れ込んできた。
「あそこが宝永火口か……」
ここに辿り着いたときはもう暗くなりかかっていたからよく見えなかったが、今ならはっきり見える。
斜度のキツい険しい山腹が続き、わずかに盛り上がった場所に大きな穴がぽっかり口を開いている。ここから一時間くらいの距離と思われた。
斜面はそのままずっと続き、はるか上で途切れている。そこが山頂ってことだ。山頂には別の火口がある。もちろん、このあたりにはもう、山道すらない。自分でルートを考えて登っていかないとならない。
「険しい山ねえ……」
いつの間にか、マルグレーテが俺の隣に立っていた。毛皮を内側にした、もこもこの外套。冬季装備姿だ。革は白く染められており、雪に紛れるので目立たない。もちろんその下には、いつもの戦闘装備を身に着けている。毛皮の襟巻きをした上に、フードを被って耳と頭の保温に務めている。全員、そんな感じさ。
あーただ、ヴェーヌスだけは別だ。あいつ、例の肩出し生足ボンデージ姿だからな。息なんか真っ白で、下手すると息がすぐ凍って睫毛に白く凍りつく寒さだぞ。信じられるか? 「鍛え方が違う」って言ってたけどいや、鍛え方より種族特性だろう。
「なにか、狷介な威厳すら感じるわ」
「でもマルグレーテちゃん、空気が澄んでて、きもちいいよーっ」
はあーっと、ランは深呼吸してみせた。白い息が、まるでゴジラの噴射だな。
「さあ行くぞ、モーブ」
ヴェーヌスは、勝手にどんどん歩き始めた。
「ここは神域。モンスターなど出ん。戦闘を警戒する必要がないから、とっとと進もう」
「張り切ってるわねえ、ヴェーヌス」
リーナ先生は呆れ顔だ。
「なんであんなに急ぐのかしら」
「火口に着けば、『時の琥珀』に隠棲する大賢者アルネ・サクヌッセンムに会える。そうすれば、あいつの知りたいことがわかる。魔族と人間の関係とか」
「でもそうしたら、モーブくんとの約束は果たされたことになる。仮初の仲間は終わり、モーブくんはヴェーヌスと戦うことになるのよ」
「……ええ」
「どうする気、モーブくん」
「そのときは、戦うつもりでいます」
道中、ずっと考えてきた。だが妙案は浮かばない。アルネがなにか妙案を授けてくれる可能性に、俺は懸けていた。それがうまくいかなければ、ヴェーヌスを説得する。それも不調なら最悪……やるしかない。
「でも……」
「今は進みましょう、リーナ先生。ほら、みんなもう先行していますよ」
ヴェーヌスに続くように、身軽なレミリアがぴょんぴょん跳ねるように続いている。その後に、ランとアヴァロンがなにか話しながら。殿のマルグレーテは、心配そうにこちらを振り返っていた。
「なにかあったら、加勢するからね。気が進まないけれど、モーブくんのためなら私、仲間の血を浴びてもいいから」
「ありがとうございます」
リーナ先生の手を取ると、俺は一歩を踏み出した。




