6-5 聖なる泉
洞窟は、長い割に単調だった。たしかに分岐がいくつもあり、迷えば遭難死もあり得ただろう。だがここをよく知るアヴァロンが先導している。暗い穴を淡々と進んでいると、様々な雑念が俺の頭に浮かんでは消えていった。
なんと言っても、まずはアルネ・サクヌッセンムに会わないとならない。そこで情報を得て、アドミニストレータをなんとかする。それで俺と仲間の安全を確保。あとは好き勝手に遊んで生きる――。それこそが今の俺の最終目標だ。
問題は、アドミニストレータが難敵ということ。なんせゲーム運営だからな。ゲーム内で戦う以上、こちらは不利な状況からの戦闘となる。卒業試験ではダンジョンを作ってまで、俺を待ち構えていた。マルグレーテ実家でもそうだ。闘技場フィールド戦を仕掛けてきて、こちらがバグ技を出すのを見込んだ罠を仕掛けてきた。今後もこの手の戦闘となる可能性は高い。
圧倒的に敵有利の状況で、こちらに勝ち筋があるとしたら、仲間の能力や装備だ。要はこちらの基礎能力を上げておくことだ。そのためには、各人にレジェンド級の武器や防具を装備しておきたい。もちろん俺も含めて。
となると、ここで草薙剣を遺棄するのが正しいことなのかは疑問だ。カエデを説得するなりごまかすなりしてこの剣を持ち出せたら、対アドミニストレータ戦で有利なのは見えている。なにしろ、俺は死にたくない。それにランやマルグレーテといった仲間も死なせたくない。そのためには、多少無理筋でも通すべきだろう。
草薙剣は持ち手の心を支配し、戦いへの欲求を高めるという。そのために戦乱が絶えなくなったと。
だがそれは、「この世界」の連中限定の話。俺は異世界人だし、草薙剣の怪しい効果を受けずに済む可能性は高い。カエデも、俺が異世界人だと見破った。ならばこの「もうひとつの方法」だって、理解してくれるだろう。いや、理解させればいい。どうしてもわかってもらえなければ、持ち逃げしたっていい。俺やランの命が懸かっている。俺は正義の味方じゃない。品行方正に生きるつもりはない。
自分でも不思議なほど思考が湧き上がり、短時間で考えがまとまっていった。素晴らしいことだ。
「モーブ様」
アヴァロンの言葉で、俺は我に返った。
「着きました。こちらです」
アヴァロンは、小さな泉の前に立っていた。
「これが泉……」
こわごわといった感じで、リーナ先生が覗き込んだ。
「まるで井戸ね」
「たしかに」
泉とは言っても、直径二メートルほど。コンパスで描いたかのように真円だ。
「これ、人造物じゃないの」
「マルグレーテちゃんの言う通りだよ。自然にできたとは、とても思えないもん」
「いえランさん、これは天然物です。……少なくとも私の一族がここ神域の管理を始めた八百年前には、この状態で発見されていました」
「まるで森湖蟹の穴だね。だって見て、まっすぐだよ、中」
レミリアが呟く。
実際、覗き込むともうまっすぐ、ドリルで穿ったかのように穴が続いている。底なんか、もちろん見えない。水は限りなく澄んでおり、水面が無ければ空気かと思うほどだ。
「さあ、モーブ様……」
穏やかな声で、アヴァロンに促された。
「あ、ああ……」
背中の包みを下ろす。固い結び目を解こうとしたが、うまくいかない。まるでこの包みが意志を持ち、解かれるのを嫌がっているかのようだ。
「モーブ、わたくしがしましょうか」
「ありがとうマルグレーテ。でも大丈夫。……俺、不器用かな」
なんとか外して広げた。白い布には黒々と、墨で真言が書き連ねられている。トーチ魔法に照らされて、草薙剣はてらてらと、赤光りする姿を表した。
「大きいな……。こんな大きな剣だったかな」
さっき見せてもらったときより、なぜか大きく感じる。それだけ存在感があるってことなんだろうけどさ。八百何十年か前にこの世界に現れた剣だというのに艶々と光を反射していて、まるで刀匠により昨日打たれたばかりの新品のようだ。
剣を手に取った。
「温かい……」
背負っていたから俺の体温で温まったのだろうが、それ以上、なにかこう生物としての温かみを感じる。
「こいつ……生きているのか」
「いいえ」
アヴァロンは首を振った。
「ただの剣です。異様な力を持つだけの」
「あっ」
思わず、剣を取り落としそうになった。
「どうしました、モーブ様」
「いや、今、剣が脈動したような」
「そんなはずはありません」
「いや……」
たしかに震えた。止めろと俺に訴えるかのように。
「やっぱこいつ、生きてるだろ。……少なくとも、意思はある」
俺は、剣を抜き放った。鞘ですら赤光りしていたのに、刀身は輪を掛けて美しい。トーチ魔法の光を反射して。闇夜に太陽が現れたらこうなるだろうと思わせる、奇妙な輝きだ。
「モーブ様、いけません……」
アヴァロンが一歩退いた。
「その輝きは人を狂わせます。私だって例外ではない」
「見ろ……美しい形、それに見事な刃紋……。これは奇跡の剣だぞ」
剣を構えてみた。
「うおっ!」
剣から力が流れ込んでくるのが、わかった。この剣、俺を認めてくれたんだ。正当な所有者として。俺の願いに沿い、ランや仲間を守るために自分を使えと……。
「ダメっ!」
ランの叫びは、奇妙に遠くに聞こえた。
「モーブおかしいよ。剣を鞘に戻してっ」
「あ、ああ……そうだな」
剣を鞘に戻した。
「早く捨てて、モーブくん。その剣からは強い意志を感じる」
「ええ、リーナ先生。こんな剣は、誰にも使えないようにしないと」
「そうよ」
「俺の他に、誰も使えないように」
「なにしてんのモーブ!」
レミリアの声も遠い。
「剣帯に着けるんじゃないよ。泉に沈めるんだよ」
「そうだな、レミリア」
立ち上がると俺は、泉に背を向けた。
「剣は捨てない……。他の誰にも使わせはしないから、戦乱の種にはならない。安心しろ。俺が生かす……みんなを守るために」
「モーブおかしいよ。そんなこと言うの、モーブらしくない」
「そうよ。いつだってモーブは、自分とわたくしたちのことだけ考えていたじゃない。幸せにしてくれるって」
「そうだよマルグレーテ。そのためにも、この剣を使う」
「どけっ!」
マルグレーテとランを掻き分けて、ヴェーヌスが前に出た。
「こいつは剣に操られている。もうお前らの知っているモーブではない」
「ならなんだというんだ、ヴェーヌス。……お前にも俺の力を分けてやろう。魔族だろ。支配の力が欲しいはずだ、本能として」
「そうだな……モーブ。あたしは――」
言いかけたまま突然、駆け込んできた。滑り込むようにして俺に足払いをかける。倒れた俺の腕を掴もうとしたが、俺の腕のほうが一秒先に出た。
「くっ!」
草薙剣に喉を斬られて、ヴェーヌスは跳び退いた。首筋に一文字に浅い傷が広がり、血が垂れる。
「さすがヴェーヌスだな。頭が胴から離れる前に察知するとは。鋭い反射神経だ」
「カティーノっ!」
立ち上がった刹那、ランの宣言が聞こえた。俺をオレンジの輝きが包んだが、なにも起きない。
「悪いなラン。睡眠魔法など、今の俺には効かん」
「ごめんねモーブ」
レミリアの叫びと共に、矢が何本も飛んできた。俺の右腕と脚を狙って。だが草薙剣がすべて真っ二つに斬り裂いた。
「どうしたマルグレーテ。お前は魔法を使わないのか」
「モーブ……わたくしに撃たせないで」
マルグレーテの瞳には逡巡が浮かんでいる。
「なら、今度は俺の番だ」
「いけませんモーブ様」
剣を振りかざした俺の背に、アヴァロンが飛び着いてきた。
「お気を確かにっ」
だが所詮、巫女。霊力は凄いのだろうが、格闘戦で俺に勝てるわけがない。あっさり突き倒すと、草薙の剣を俺は逆手に持ち直した。
「そもそもお前ら一族は気に食わなかったんだ。何百年も我の力を隠しおって。死ねっ!」
アヴァロンの胸に、俺は剣を突き通した。




