5-3 ヴェーヌスの提案
「これで王手だな……」
振り向いたヴェーヌスは、両腕を胸の前に構え、低く腰を落とした。最後となるに違いない、次の攻撃を加えるために。
「……」
だが、ヴェーヌスは襲いかかってこない。攻撃の体勢を取ったまま、地上の一点を見つめている。
「……モーブ」
ヴェーヌスは、攻撃の構えを解いた。
「あれをどこで入手した」
「あれ?」
素早く「冥王の剣」を拾い、構え直す。それからヴェーヌスの瞳の先を辿った。ヴェーヌスからは大きく視線を外さないようにしながら。
「あれか……」
地面に、鼈甲靴べらのようなものが落ちていた。平たい小判状で、透明だが茶色い墨流しのような模様が入っている。見た感じ、魔法の葉っぱといった雰囲気の。胸を蹴られた衝撃で、懐から飛び出したのだろう。
「あれは『コーパルの鍵』だな、モーブ」
「ああそうだ。よく知ってるな、ヴェーヌス」
「商人から買ったのか? どこの街だ」
「あれは拾った。『迷いの森』だ」
例によって食い意地の張ったレミリア……じゃないかスレイプニールが草を食べながら勝手に脇道に外れて、きれいな泉に沈んでいるこれを見つけ、俺に教えてくれたんだよな。
「『迷いの森』というと、人間どもの呼び名だな。例の、ポルト・プレイザー近郊の」
「そうさ」
「モーブ、お前はあれがどういうアイテムか知っておるのか」
「曖昧には。たしか、アルネ・サクヌッセンムの居場所に導いてくれるアイテムのひとつとかいう話だったな」
居眠りじいさんこと、大賢者ゼニスが言うにはな。
「そうか……」
ヴェーヌスは、じっと俺を見た。もうなんの敵意……というか戦意すら感じない。
『冥王の剣』を、俺はそっと鞘に戻した。なんせ先程死ぬほど極められた腕が痛む。軽い短剣とはいえ、長時間持ち続けたくはない。
「あの地からこの世界が生じたことは、あたしも父上に聞いて知っておる。そしてモーブ、お前の読みだと、世界や父上を創造したのはアドミニストレータ。あの、いけ好かない野郎だ」
「俺はそう考えている。あの地下坑道戦で俺が突きつけても、アドミニストレータは否定しなかった。多分事実だろう」
俺がなにか根本を勘違いしているとは言ってたが、それだってアドミニストレータのブラフの可能性があるしな。
「アドミニストレータは謎の存在だ。そして謎の存在は、あとひとりおる」
「アルネ・サクヌッセンムだな」
「お前にその名を聞いてから、あたしなりに調べてみた。たしかにどうやら、この世界のあちこちには、アルネ・サクヌッセンムの痕跡が残っておった。『羽の存在』の伝承であったり、幻のアイテムであったり」
おう。「羽持ち」情報まで辿り着いてるのか。魔族の調査網も、馬鹿にしたもんじゃないな。
「アルネ・サクヌッセンムに直接会ったという男の言い伝えも、残っておった。その伝説では、アルネ・サクヌッセンム自ら『コーパルの鍵』というアイテムを探しておったらしい。世界開闢のときに失われたアイテムとして」
「マジか」
「おそらく『迷いの森』で世界が始まったときに『コーパルの鍵』は失われ、長い間地中に埋まっておったのだ。多分……『祈祷処』の周囲に。あの祈祷処はそもそも、開闢が始まったまさにその地点に設けられたと聞いておるしのう」
「それから何百年だか何千年だかが経ち、雨風や大木の根で侵食されて、『コーパルの鍵』は地上に出たんだな」
そして大雨の折にでも流され、スレイプニールが発見するまで、あの泉で眠っていたってわけか。
「モーブ、あたしはアルネ・サクヌッセンムという奴に会ってみたい。この世界の謎を知るために。それにモーブ、お前の読みでは……」
俺の顔を、じっと見つめた。
「アドミニストレータはあたしの命を盾に、父上を脅してあの坑道を掘り進めさせた。アルネ・サクヌッセンムの実存からお前の情報を吸い上げるために」
「俺はそう推理している。アドミニストレータも否定しなかったし、おそらく真実だ」
「つまりアドミニストレータは、あたしら魔族の敵。そしてアルネ・サクヌッセンムは、アドミニストレータの敵。……敵の敵は味方だ」
「俺と同じ考えだな、それは」
「あたしはアルネと話をしたい。そもそもあたしは、人間と戦うのは好かん。魔族の中では変わり者だ。……なぜかはわからんが、生まれつきそうなのだ」
言い切ると、ヴェーヌスは続けた。そもそも魔族が人間を滅ぼす理由などない。それは国家間の争いと同じである。領地を巡り戦うことはあっても、それだけの話。……なのになぜ、魔族には「人間を滅ぼす」という、本能にも近い使命感があるのか。そのことをアルネ・サクヌッセンムから聞き出したい――と。
「だからモーブ、お前を殺すのはお預けだ」
近づいてきた。息が掛かるほどにも。それで気がついたけど、俺より背が低いんだな。というかマルグレーテやランより小さい。レミリアより少し背が高い程度だ。圧倒的な威圧感があるから、もっと大きいと思い込んでたわ。
「どうだ、あたしを仲間にしろ。どちらにしろこの先は厳しい道程だ。魔王の娘なら、戦闘力に不満はあるまい」
「そうだな……」
俺は考えた。たしかに、今のパーティーだと前衛が薄い欠点はある。前衛は俺だけ。状況に応じ前にも出る中衛が、レミリアとリーナ先生。後衛に回復魔道士のラン。最後衛が攻撃魔道士のマルグレーテだ。
俺はモブだしファイターであって、重戦士のような分厚いタンク役は苦しい。ヴェーヌスは前衛をこなせるため、バーティーバランスは圧倒的に良くなる。それに格闘士系だからバリエーションという意味でも、俺といいコンビになる。加えて実力は圧倒的だし。
だから悪い条件ではない。……一点を除けばだが。
「殺し合いはどうするんだよ、ヴェーヌス。お預けってことは、いずれ再燃する問題だ。秘名を知られた状態を続けると、魔族としてはまずいんだろ」
「それは……」
迷うように、ヴェーヌスの瞳が揺れた。
「わからん」
「わからんって……」
「あたしにも、自分の心がわからんのだ。……こんなことは初めてだ。なにかがあたしの心をふたつに分断している。だが……」
俺の手を取った。格闘士というジョブから想像できないほど手は柔らかく、温かかった。
「希望はあると信じたい……。殺し合いは、あたしたちがアルネ・サクヌッセンムに会ってから。そのときまたふたりで考えよう。命を取り合うのか、あるいは誰も知らなかったもうひとつの道があるのか」
「そうか……」
考えた。断るのは容易い。だがそうすれば、今ここで決闘だ。おそらく俺は殺される。話に乗ればアルネと会うまで、ヴェーヌスとの戦闘は避けられる。
最悪でも、その時点での勝負。つまり今と同じということになる。なら乗ったほうが、利点は大きい。道中の賢者とかアルネが、なにかいい解決策を持っているかもしれないしな。それこそ「のぞみの神殿」の巫女母だっているし。
それに最悪いずれ戦うにしても、道々観察すれば、こいつの弱点なりを見つけられるかもしれん。なんなら決戦前に寝首を掻くとか毒を飲ませるとかも可能だ。卑怯な手段を取りたくはないが、死ぬよりはマシだ。俺はランやマルグレーテ、それにみんなを幸せにしたいしな。
まあ……魔王の娘にこうした姑息な手段が通じるかは、やや疑問だが。対呪耐性のある魔族、それも上位層相手に、少なくとも毒は効きそうもないしなあ……。いずれにしろそれだって、道中で判明するかもだし。
「よし、ヴェーヌス。お前の提案を受けよう。……裏切るなよ」
「あたしは嘘はつかん。魔王の娘という看板を背負っておるしのう」
初めて、俺に笑いかけてきた。意外なほど無邪気な笑顔で。
「では対戦フィールドを消してやる。モーブ頼むぞ。攻撃態勢を解除するよう、仲間に言っておいてくれ。……ここにおっても、恐ろしいほどの殺気が伝わってくる。モーブお前、好かれておるのう。リーダーとしてだけかは知らんが……」
苦笑いしている。
「少々うらやましく感じるわい」




