4-2 ラルギュウス崖縁村と「ガイアの大穴」
「もうすぐね、モーブ」
「ああ」
馬車の手綱を取るマルグレーテの動きは、心なしか先程から速まっている。おそらく、早く村に着きたいのだ。
「焦るなよ、マルグレーテ。道は細い。しかも片方は目もくらむ高さの崖だからな。落ちたら死ぬ」
「わかってる」
いつもどおり、御者席には俺を真ん中に、左右にランとマルグレーテが陣取っている。並び方はもちろん、毎日の寝台と同じ。俺の左にラン、右がマルグレーテ。御者席は狭いので、リーナ先生とレミリアは、荷室に陣取っている。
基本はこうだが、時々配置は入れ替える。安全な平地では、俺も含め全員が手綱を取るし。チュートリアル……というか訓練のためでもあるし、ひとりが操ると当然ながら疲れさせちゃうしな。
ラルギュウス崖縁村は、俺達の着いた大規模港湾都市と、同じリージョンにあった。だから大地の大きさからしたら「ご近所」も同然なんだが、そこはそれ。大陸規模の話なんで、近所と言っても、馬車を飛ばして一週間掛かる。しかも細い山道に踏み込み、山脈に踏み込んでの話だ。
「この地図によると……」
荷室からリーナ先生が顔を覗かせた。手に地図を持っている。
「あの右に見える山をひとつ越えると、もうすぐ村が見えるはず。変な記号があって、脇にはっきり『ガイアの大穴』って書いてあるし」
「村人が呪いを掘り当てた、例の大穴だな」
「うんそう」
この山道は荒れている。道自体、崖縁村で行き止まりで、麓の村からここまで、途中にはなんの集落もない。だから一週間の間、一台の馬車すら見かけなかった。もし俺達の馬車が崖から落ちれば、運良く発見されるとしても数年後になるだろう。
「レミリア、茶をくれ」
「はい」
荷室から、レミリアが茶の入った革袋を渡してくれた。口を開けてひとくち飲み、マルグレーテの口にもあてがって飲ませてから、ランに渡した。
「もう少しだ。大丈夫とは思うが、念のため戦闘装備を身に着けておけ」
●
山の稜線を越えると、下方に視界が広がった。細い道はくねくねと、山肌を這うように続いている。はるか遠くに、海が見えた。海外線は見えない。崖で視界が遮られているからだ。
そして右手に、大きな穴が見えた。大地にぽっかり、真っ黒の口を開けている。信じられないほど大きい。東京ドームどころのサイズじゃない。遠い縁は霧に隠れているくらいだ。
その大穴の縁にしがみつくようにして、建物が多数立ち並んでいる。あれがラルギュウス崖縁村だろう。村という名前ではあるが、規模からすると立派な「街」だ。ぱっと見、最低でも数百人は住んでいるはず。ど田舎にあるからこその「村」呼称なんだろう。
この辺境にあの規模を維持できているんだ。「ファリテオのカエル」ってのは、よっぽど高く売れるんだな。
穴に近づくと、村がよく見えてきた。家々はそれぞれ大きさも様々。貧富の差というより、崖の縁での建て易さで形やサイズが制限されているようだ。中には三階建ての立派な建物すらある。この荒れ道を通して資材を運び込むとか、どえらく大変だろうに……。俺は舌を巻いた。
「人がいるよ」
ランが指差す。
たしかに。手前の家の窓から誰か、男が頭を出してこっちを見た。慌てたように引っ込めると家を飛び出る。そのまま村の中心に向けて、駆けていってしまった。俺達の馬車は、一顧だにしない。
「どうにも、あんまり歓迎されている空気じゃないな」
「山奥だからねー」
レミリアが唸った。
「辺境の住民はだいたい、排他的で猜疑心に満ちてるよ。世界中、どこでもそう」
「外から来るのは災厄や厄介事と、思われてるのよ。実際、歴史はそうでしょ。戦乱とか」
リーナ先生は溜息をついた。
「海辺だと違うんだけどね。外からの人間は交易と富をもたらすから。だから田舎の村でも、明るくて開放的な人が多いわ。もちろん例外はあるけれど」
「マルグレーテ、常歩に落とせ。敵意がないことを示すんだ」
「わかった」
のんびり、もう止まるほどの速度でゆっくり近づくと、村の向こうから何人もが現れた。年寄りや、若い奴もいる。じっとこちらを凝視している。
「よかった」
ランはほっと息を吐いた。
「とりあえず、まだ人はそれなりに残っているんだね」
「そうだな」
見たところ、武装している奴はいない。俺は帯剣ベルトを外した。余計な誤解は生みたくない。相手が実は攻撃するつもりだったとしても、こちらには二回攻撃可能な「従属のカラー」を装着したマルグレーテがいる。詠唱時間の短い魔法で攻撃させれば、初手で決着は着くはずだ。
「よし。止まったら、みんな下りるぞ。ゆっくりな。驚かさないように」
こっちは俺以外、女ばかりだ。だからそこまでは警戒されないはず。多分、行き違いでの悲劇はないだろう。だが用心に越したことはない。
「あんたら……」
馬車を下りると、中央に立つじいさんが声を掛けてきた。他の村人は、俺達と馬車を無遠慮に眺め回している。
「なんでこんな田舎に来なさった」
疑い深げに、瞳を細めた。
「ここは誰かが来るような村ではない。出荷は村人が行うし、通り抜けるルートもない」
「も、もしかして、船の件か」
堪え切れず……といった様子で、若い男が口を挟む。船というのは、例の幽霊船のことだろう。
「そうだ」
俺は頷いた。
「俺達は、ラルゲユウス号から依頼を受けてここに来た」
最大限、安全な言い方をした。船は全滅したとか初手で口にすると、俺達がやったのかと誤解されかねないからな。なに、嘘ではない。死者から日記で依頼されたというだけの話で。
「なぜ船が戻ってこない」
「使いとはなんだ」
「あれは手に入ったのか」
矢継ぎ早に、質問が飛んできた。
「今話す。長い話だ。……村の人は、あと何人残ってるんだ。例の呪いはどうなった」
「なんでそんなことを聞く」
若い男が、懐に手を入れた。短剣を抜き出す。
「襲う気だな。こっちの手勢が減ったと知って」
「モーブ……」
マルグレーテが俺の袖を摘んだ。
「まだだマルグレーテ。落ち着け」
「お、お前ら、山賊の偵察だろ」
恐怖に短剣が震えている。あれなら、咄嗟に突かれても、手で払える。前世底辺社畜とはいえ、俺だってこの世界で戦闘経験踏んだしな。
「ほ、本隊はどこに隠れてやがる」
「ひっ」
「嘘だろ……」
「こ、怖い」
村人に動揺が広がった。
「大丈夫ですよ、皆さん」
村人の背後から声が掛かった。
ひとりの女が進み出ると、村人は皆、道を開けた。
「この方々は、敵ではありません」
旅人の服の腰から、長い尾が垂れている。それに頭にはネコミミ。
「モーブ様……」
俺に向かって微笑む。その顔に、俺はもちろん見覚えがあった。あのときはバニー姿やビキニ姿だったが……。
「ミフネだな。獣人ケットシーの。……アヴァロン・ミフネ」
「ええ」
アヴァロンは頷いた。
「俺達は、尼僧エプロンを届けにきた」
村人がどよめく。
「そうですか……」
俺の言葉からなにか悟ったのか、アヴァロンの瞳が微かに陰った。
「それよりアヴァロン。お前はどうしてここに居るんだ。居るはずのないお前が」




