2-3 幽霊船探索
たしかに、扉の向こうは真っ暗闇だった。ここが下層階層なためだろう。魔導トーチにぼんやり浮かび上がっているのは、広間のような大空間。中央の床にぽっかり黒く穴が開いていて、脇に小型の昇降クレーンがある。
「ここ、なんだかすごく寒いわ」
「そうだね、マルグレーテちゃん」
ランも、手で腕を抱え込んだ。
「たしかに寒い。冷蔵庫の中に入ったかのようだな」
アレギウスは頷いた。
「船倉だからじゃないの」
レミリアは呑気なもんだ。
「いや、それにしては冷え過ぎている」
「そうだな」
俺もそう思うわ。なんだろな、これ。まるで誰かがマナ召喚系魔法を撃った後であるかのようだ。
「はあー寒い。早く他の部屋に行こうよ」
珍しく、ランが弱音を吐いた。なんたって俺達、水着姿で遊んでた、あの姿まんまだからな。せいぜい上に一枚羽織った程度で。中に誰も居ないって話だったから、武器だって携帯していない。
「あの穴から、船倉に荷物を収めるのね」
「そうだな、マルグレーテ……」
暗くて他はよくわからん。
「レミリア、なんか見えるか」
獣人たるアレギウスほどではないだろうが、森を棲家にするエルフも、それなりに夜目が利く。
「左奥に、なにかが見えてるよ。ぼんやり。……なんの構造物だろ」
俺の目には、なんも見えん。トーチの光が闇に溶けているだけだ。
「あれは上り階段ですね。上階に続いているのでしょう」
アレギウスが俺を振り返った。
「ならまず上に行こう」
俺は決断した。
「上層階には操船室だの船員の船室だのがあるはず。情報はそこに集まっているはずだ」
「それに上は窓がある。明るいものね」
「探しやすいよね。幽霊船になったわけとか。それに陽に照らされてるから、きっとあったかいよ」
「ここにいたらわたくしたち、凍えちゃうものね」
手で抱えるようにして、マルグレーテは胴をこすっている。
「うーさむさむ」
「そういうことだ」
俺達は階段に進んだ。二階層ほど上ると、そこは船橋だった。四方が窓なので、やたらと明るい。もちろんトーチなど不要だ。
「最初にこの船に入った奴は、細かく調べなかったのか」
「ええモーブさん。呼びかけながらいくつかの部屋を回り、食事跡を見て恐ろしくなり、戻ったそうです」
無人を確認できたのもあると、アレギウスは続けた。
「船乗りは危険な職業。なにせ『板子一枚下は地獄』、ですからね。それだけに験を担ぐ。幽霊船なんて、一秒だって長居したくはないものです」
「なるほど」
「どうするの、モーブくん」
「はい、リーナ先生」
俺は見回した。
「中型船のためか、操舵輪がある。あのあたりを調べましょう」
「背後にテーブルもあるしね」
「なにか紙が乗ってるよ、マルグレーテちゃん」
「そうね。……海図かしら」
近寄ってみた。
操舵輪の脇に小さなポケット状の物置きがあり、飲み物の入ったカップが置かれていた。自動車で言えば、運転席カップホルダーといったところだろう。
「これは果実茶だね」
レミリアが鼻を近づけた。
「いい香り。でもこれ、もうすっかり冷えてるよ。報告だと、食事途中だったかのように飲み物も食べ物も温かったんでしょ」
「それはダイニングの話ですね」
アレギウスが答えた。
「最後に人がいたのがそこということでは……。ここ船橋は、その前に放棄されていたのかもしれません」
「飲むなよレミリア。病気とかで全滅したんだとしたら、原因は水かもしれん」
「飲むわけないでしょ。あたし、バカじゃないし」
「いやお前のことだからなあ……」
ぐうーっと、またレミリアの腹が鳴った。
「ほらな」
「いくらお腹が減ってても、飲まないよっ」ぷくーっ
おう、膨れたか。
「ねえモーブ、これ向こうの大陸よね」
テーブルに置かれた海図を調べていたマルグレーテが、俺を手招きした。
「どれ」
それは沿岸海図だった。地上には山や灯台などの目印の名称があり、海中にはところどころ海深と思しき数字が書き込まれている。
「この海岸線は、私達の大陸のものじゃない。……少なくとも、ポルト・プレイザー周辺じゃあないわね」
リーナ先生は、海図から顔を上げた。
「アレギウスさんはご存知ですか。あちらの出身ですよね」
「いえ……。向こうの大陸としても、大型船が出入りする貿易港周辺じゃあない。もっと……田舎と思います。山の名前も聞き覚えがないし」
海図には書き込みがあった。海岸線を辿るように移動した記録が。それはとある山の脇で途切れていた。
「つまりあれか、この船は沿岸を辿って航行していた。この……地点までは少なくとも普通に。そこでなにかあったと」
「船型からしても、沿岸で運搬に使われていたと思われますね」
アレギウスは、長い鼻面を上に向け、瞳を閉じた。しばらくそうしていてから、俺を見る。
「他の部屋を調べましょう、モーブさん。あちらから……食事の香りが漂ってきます」
「よし」
「例の部屋だね。温かい料理のあった」
レミリアはうきうき声だ。いやお前、残ってても食わんぞ。
「ここか……」
アレギウスの鼻を頼りに進んだ先に、例の部屋があった。船員の多目的室と思しき部屋で、ダイニングテーブルや娯楽用のボードゲームテーブル、それにソファーなどが並んでいる。
ダイニングテーブルには、たしかに食事中の皿が残されている。
「ご飯、あるね。食べかけだけど」
「手を出すなよ」
「くどいなー、もう」
それでも名残惜しそうに、レミリアが指でツンツンする。
「もうあんまり温かくないね」
「最初の調査から時間が経ったからだろうな」
「魚のグリルね。香草を振ってある」
「そうだね、リーナ先生。焼くだけの料理だから、時間がないときにはもってこいと思うよ」
「それにしても変ねえ……」
マルグレーテは首を傾げている。
「どうした」
「だってこの料理、一人前じゃない。置かれたカトラリーもそうだし」
「そういやそうだな」
中型船とはいえ、たったひとりで操船とかは考えにくい。
「操船以外にも、乗組員は複数いるはずだもんな。アレギウス、この規模の船なら、何人くらいだ」
「そうですね、少なくとも数人。普通は十人くらいで作業するでしょう」
また鼻をひくひくさせ、なにかの香りを嗅いでいる。
「多分そのくらいは乗っていたと思います。多人数の匂いが残っているし」
「一度に居なくなるのなら、まだわからなくはないわよね。海賊に襲われて拉致されたとか、海難事故で救命船に移って本船を離れたとか……」
リーナ先生は腕を組んだ。
「でも船体に座礁や事故の跡はないし……。もう少し、船内を捜索してみましょう」
「ええ」
だが捜索を重ねても、船員不在の理由は、さっぱりわからなかった。乗組員用の簡素な船室が、いくつかあった。海側に小さな丸窓が付いているのでわずかに明かりが入り、息苦しさはない。
どれも人が居た形跡があり、合計で十人以上。多くの部屋は寝具がきれいに折り畳まれ掃除も行き届いていたが、幾つかは荒れた雰囲気。特にひとつの部屋だけは、寝具や飲み物用のコップやらなんやかやが雑に放られており、投げやりな空気が無人の部屋を支配していた。
「どういうことだ」
「この部屋だけ、なにか特別なのかな」
「ここは若い女性が居たようですよ。そんな匂いです」
「細かく捜索してみよう。なにかわかるとしたら、この部屋だ」
俺の指示で各人、寝具をひっくり返したりキャビネットの引き出しを漁ったりし始めた。捜索すること十五分――。
「モーブ、書付があるよ」
茶色い紙束のようなものを、ランが拾い上げた。文庫本くらいの大きさ。寝台と壁の隙間に落ちていたそうだ。
「なにか書いてある」
「魔導トーチの下に持って来い」
「うん」
顔を寄せ合うようにして、みんなで目を通した。
「どうやら日記ですね」
「ああ。それも……不吉な、な」
それは、とある村を襲った、呪いの記述から始まっていた。




