エキストラエピソード 魔王の娘「ヴェーヌス」、モーブを追う
●「12-9」魔王の影/アドミニストレータ戦の直後、魔王の娘ヴェーヌス視点の物語です。
「ふう……」
魔導通信のスイッチを切ると、ヴェーヌスは椅子に背中を預けた。
「切り捨て可能の影とはいえ……魔王たる父上が負けるなどと」
信じられない思いだった。今、目にした戦い。あのモーブとかいう男のパーティーは強かった。いやモーブ自体は、たいしたスキルを持ってはいない。ただ、取り巻く女どものスキルは一級品だった。それに……。
「それにモーブ自体、不思議な力がある」
何度倒されても立ち上がる闘志、戦いの趨勢を瞬時に読み適切な判断を下す頭脳。加えて、アルネ・サクヌッセンムとかいう謎の存在との因縁……。
「仲間を守ると決めた男の、あの瞳……」
あれだけの実力者がモーブを認め、配下についているだけの魅力は、隠しようがない。
傍らのゴブレットを手に取る。どろりと濁った血の色の茶を、ヴェーヌスは一気に煽った。
「早くこいつを殺したい……」
魔族の血、残忍な心が騒ぐ。自分の秘名を知った人間は、殺すのが掟だ。人間との戦いは正直、好きではない。弱い存在を潰してどうするという気持ちがある。強い者同士で組み合うからこそ、戦いには崇高な価値がある。だから人間は、ちょっかいを掛けてきた奴しか手に掛けてこなかった。
だがこいつはあの『迷いの森』の祈祷処で、自分を攻撃してきたわけではない。封じられた祈祷処を謎の力で起動し、自分の端末にアクセスしてきただけだ。なのになぜ、こんなに殺したいのか。自分の心が、ヴェーナスにはわからなかった。
それにそもそもの謎がある。
モーブという人間がどうにかしてあの祈祷処を起動したまでは、まだいい。どこかで情報でも得たのであろう。
だが起動後あの男は、なぜ自分にアクセスできたのか。こちらの端末には、どの拠点からも繋がらないはずなのに……。こちらから望まない限り。この謎は、結局解き明かせなかった。
「混乱することばかりだ」
自分がなぜ自ら「ヴェーヌス」という秘名を教えたのかも。後で何度も思い返したが、わからなかった。ただ……訳もなく口を衝いて出ただけだ。どこか……自分の奥底に、なにかが引っかかっている。それを言葉として形にすることはできなかった。
実際、殺したいとこうして願う一方、こいつを殺してはならないという奇妙な声が、心に響いていた。魔族の本能ではない。なにか不思議な声が。
これは一体なんだろうか。これまでの一生で、経験した試しのない気持ちとしか、説明のしようがない。直接モーブに会わなくては、この衝動の理由はわからないだろう。
「くそっ」
立ち上がると、狭い執務室を歩き回る。全世界に広がる魔族祈祷処を統括する端末だけで、この部屋はほぼいっぱいだ。
「もう蟄居も飽きたのう……」
つい、愚痴が出た。
自分が悪いのはわかっていた。素行が悪く、蟄居して各地の魔族を統括するよう父親に命じられたのだ。
自分は母の姿すら知らない。自分を産んだときの事故で亡くなった、高位魔族と聞いている。そのためか物心ついてから常に満たされない思いがあり、格闘術の訓練に励んだ。汗をかいている瞬間だけは、魂の渇望を忘れられるから。
魔王の係累なら、魔力錬成に全精力を注ぐのが普通だ。だが自分はむしろ、肉体同士が激しくぶつかり合い命の限界を試し合う格闘術のほうが、はるかに性に合っていた。赤子の頃から母親の肌を知らないだけに、接触に飢えているのかもしれない。
だが自分は魔王の娘。魔族、特に男と肌を触れ合っての格闘など許されるはずもない。型稽古ばかりの毎日にうんざりした。変装しカーミラという副名を使い、隙を見てさすらい、格闘系魔族と戦い技を磨いた。
それが魔王の知るところとなった。
結局こうして蟄居させられたわけだが、どうやら理由はそれだけではなさそうだ。
「あのアドミニストレータとかいう野郎は、あたしの命を盾に、父上に協力させていた。あの場での地脈探索に。それを懸念した父上によって、あたしはここに匿われたということか」
魔王すら脅迫できるなど、絶対に考えられない力だ。だがどうやらあいつは、この世界の開闢に、大きく関係しているようだった。
「先程、モーブも言っておったな。アドミニストレータはあの地で世界を創造し、その折、父上も創造したと」
あの地で世界と同時に魔王という存在が生まれたことは子供の頃、父親自身から教わっていた。帝王学の一環として。二十年前にあの森を魔族が封じたのは、その秘密を守るためだ。あのときは「勇者が生まれる」啓示を受けたためと、父親は語っていた。生誕の謎を探られ、勇者に魔王の秘密を知られるのは防ぎたいと。
「あそこで世界と父上は生まれた。それを成し遂げたのは、アドミニストレータ……か」
モーブの言葉を、アドミニストレータは否定しなかった。……つまり奴は、言ってみれば創造神的な存在ということで、確定か……。
「それにしては、くたびれた中年のヒューマン丸出しだったが……」
そこは逆に、底知れぬ不気味さがある。この世界には、まだまだ大きな謎が隠されているようだ。
「モーブとやらはどうやら、父上ではなく世界の不条理と戦っておるのだな。先程もくどいくらいに父上に訴えておったし。自分の敵は魔王ではないと。ただ自分と仲間をほっておいてくれ、と」
もう一度煽って茶を飲み切ると、ゴブレットを壁に投げた。頑丈な魔導金属製のゴブレットが、気のパワーによって一瞬にして潰れる。自分の格闘術は、全く衰えていない。ただ……実践の機会を失ってしまっただけで。
「では赴くか。久し振りの外界に」
立ち上がると、ぐっと大きく伸びをした。
「ここで警護の魔族相手に愚痴るのも、もう飽きた」
あの村でのアドミニストレータの企みは潰えた。奴はもう「ヴェーヌス」という存在を人質に取る必要はない。外に出ても危険はない。そのことを父親もわかっているはずだ。
「それに秘名を知られたあたしは、モーブを殺さないとならない。秘名を直接教えた相手を生かしておく重大性は、父上も知っている。あたしの申し出を、認めざるを得ない」
外に出てモーブと会う。そして殺し合う――。
そう考えると、嬉しさに心が騒いだ。椅子に座り直し、もうひとつのゴブレットに茶を注ぎ、一気に飲んだ。またぶん投げる。大きな音を立てて、潰れたゴブレットが床に転がった。
「問題は、もうモーブに追跡マーカーがないことよのう……」
父親に直訴し蟄居を解いてもらうにしても、しばらく時間は掛かる。この役割を託す次の魔族への引き継ぎもあるし。その間、モーブが一箇所に留まるとは思えない。あいつは根っからの放浪者。自由を求めて好きなように移動するはずだ。殺すにせよ、そうなると居場所を掴むことから始めないとならない。
「少し羨ましいのう……、自由な暮らしは。魔王の娘に生まれたあたしには、叶わない夢だ」
いずれにしろ、あの祈祷処で画面越しにモーブに打ち込んだ追跡マーカーは、先程の一戦で消えてしまった。アドミニストレータが「依存性インジェクション実行」とかいう謎の技を放ち、モーブに掛かっていた全てのアイテム付与効果を無効化した。あのとき一緒にキャンセルされたのだ。
「あやつはどこに動くことやら……」
考えた。モーブはあの村に来た。つまりその前後は、周辺地域に滞在していたということだ。
「さて……」
眼前の端末を操作して、村周辺の情報を集めた。
「近くに、ポルト・プレイザーという貿易都市があるのう……」
大規模都市だ。冒険者ギルドもある。ならモーブのパーティーは、まず確実にあの都市に足跡を残しているはず。
「ギルドや宿、冒険者酒場で聞き込みさせるか。隠密任務に魔族を送り込むわけにもいかんから、ヒューマンの協力者だな。奴の動きさえ判明すれば、後はなるだけ早く、この幽閉部屋を飛び出すだけよ。くくっ……」
その日が待ち遠しい。モーブと直接会ったことはない。だがついに、面と向かって会話できるのだ。
「待っておれ、モーブよ」
心が逸り、ヴェーヌスは思わず立ち上がった。形のいい胸を突き出すようにして、指差した。虚空を。幻のモーブの姿に向かい。
「魔王ただひとりの娘、このヴェーヌスの存在を、忘れられないようにしてやろうぞ。黄泉の国で冥王の前に、お前が姿を晒す日まで」
ヴェーヌスは、いつまでも笑い続けた。幻のモーブに全身を晒して。
●第三部、ご愛読ありがとうございました。
これからもモーブと嫁一行の大活躍は続きます。
冒険は、ついに別大陸に。
「のぞみの神殿」で、ランやマルグレーテを待つ使命とは。
アルネ・サクヌッセンムの待つ地を、パーティーは発見できるのか。
魔王の娘、ヴェーヌスとモーブの邂逅で、なにが起こるのか。
そして「物語を見失った主人公」ブレイズが、その意外な姿を「即死モブ」モーブの前に明らかにする……。
第四部「終着の大陸」編、おたのしみにー!




