8-11 花喰いスレイプニール
「ねえモーブ」
ひょいひょいと飛ぶように川沿いを先行するレミリアが、俺を振り返った。
「なかなかいないね、スレイプニール」
「ああ。どこまで行ったんだろうな」
もう三十分以上、川筋を下っている。
小川といっても湧水が流れているだけだから、幅三十センチほどで深さはないも同然だ。それでも川が流れているだけに周囲は平坦で、歩きやすかった。それだけは救いだ。スレイプニールがこっちに進んだのも、馬でも通りやすかったからだろう。
「このまま二頭が見つからなかったらどうする、モーブ。時間が……」
「わかってる。俺が決断する」
心の中で決めていた。一時間下って見つからなければ、諦めると。置いていくのはかわいそうだが、ここは食料も豊富で水だってある。ちゃんと生きていけるはずだし、後日また探しに戻ればいい。
「自分で全部背負ってくれるんだね、責任を」
「レミリアやラン、マルグレーテに比べると、俺は基本スペックが底辺だからな。役に立たない分、責任くらいは背負うさ」
「違うよ。モーブはね、スペックを超える強さがある。それに……魅力も」
戻ってくると、俺の手に指を絡め、引くように歩き出す。
「ほら、とっとと行こうよモーブ。絶対、見つけようね」
「ああ」
風に揺れる銀髪を見ながら歩くこと五分。足を速めた甲斐があったのか、あかつき号はすぐ先で見つかった。
「どうした、あかつき号」
俺の声に振り返ると、あかつき号は、嬉しそうに寄ってきた。
「よーしよしよし」
撫でてやると、俺の頬をぺろぺろ舐め始めた。
「スレイプニールはどこだ」
あかつき号は、後ろを振り返った。
「先に行ったんだな」
「見てモーブ。すぐ先で、川筋がふたつに分岐してる。あたしたちが探しに来たときに迷わないように、あかつき号は、分かれ道で待っていてくれたんだよ」
「なるほど」
スレイプニールと一緒に進むと、俺達がここで迷うからな。賢いわ、あかつき号。
「スレイプニールは、どっちに行ったのかな」
鼻面を抱くと、あかつき号の耳に、レミリアがなにかを呟いた。あかつき号が、微かに頷く。
「わかったよモーブ。左の道だって」
「よし、急ごう」
タイマーで確認したが、タイムリミットまで、あと九時間半かそこら。ランやマルグレーテが待っている場所から馬で飛ばせば、ポルト・プレイザーまで八時間。猶予は一時間半しかないが、ふたりで捜索を始めてもう三十分以上経っている。帰路を考えるなら、事実上余裕は三十分だけだ。
あかつき号の手綱を引きながら早足で進むこと二十分、スレイプニールが見つかった。窪地のようになっている広場があり、流れ込んだ小川の水で、ちょっとした泉になっている。そのほとりで、黒い馬が白い花をもしゃもしゃ食べていた。
「呑気な奴だな、スレイプニール」
頭を上げて、俺を見た。寄ってきて顔を舐める。
「花はうまかったか」
「ぶるるっ」
「そうかそうか。たくさん食べられて良かったな。悪いが戻るぞ。もう時間がない」
手綱を引いたが、頭を引いて抵抗した。
「どうした。もう飯は諦めろ。街に戻ったら、うまい飼葉を死ぬほど食わせてやる」
手綱を引いたが、いやいやと首を振る。
「どうしたんだろ」
レミリアも首を捻っている。
「テイムスキルで尋ねてみろ」
「うん……」
レミリアが首を抱こうとしたが、それを振り切って泉のほとりに進み、頭を下げて、水面に口を着けた。
「水も後で飲ませてやる」
一旦上げた頭を、また下げた。
「喉が乾いてるんじゃないのか」
俺が近づくと、また水面に口を着ける。繰り返し。
「……待てよ」
透き通った水の中。茶色の土の上に、なにか透明のものが見えている。大きなクッキーのような……。
「なんだこれ」
拾ってみた。平たい小判……というか歪んだ楕円形の板で、厚みは一センチないくらい。透明だが茶色い墨流しのような模様が入っている。
「なにかな、これ」
レミリアが覗き込んできた。
「葉っぱみたいな形」
「なんだろな」
わからん。てか、きれいなプラスチックの飾りみたいな感じよ。そんなに重くないから、宝石とか半貴石のようなものではない。天然物なのか人造物かもわからん。どちらにも思えるし、どちらにも思えない。
「スレイプニール、これのことか」
スレイプニールは、首を縦に振った。
「これを俺に見せたかったのか」
多分、この池の周囲で花を食べ水を飲んでいるうちに見つけたんだろう。
「ねえ、調べるのは後でもできるよ」
「そうだな」
俺とレミリアは、鑑定スキル持ってないしな。
タイマーを見た。
――0:09:03:44――
くそっ。あと九時間しかない。ラン達が待つ場所からポルト・プレイザーまで八時間。つまりあと一時間しかない。川筋を下るのに一時間近く掛かったというのに。つまりもう事実上タイムアップ。人買い事務所に着くのが早いか、レミリアの首が落ちるのが早いか、微妙だ。
「すぐ戻ろう。あかつき号に乗れ」
「うん」
俺はスレイプニールに跨った。
「よし行け、スレイプニール。常歩でいいけど、急ぎめでな」
山道とは言え、川沿いは歩きやすい。人間の足だと時速四キロがいいところだが、馬の常歩なら七キロ、少し急がせれば十キロくらいは堅い。ここまで片道四十分で着いたとして、十五分で戻れる。少しは時間に余裕ができるはず。
山道に慣れたのか、スレイプニールもあかつき号も、進みは速かった。あっという間に広場に舞い戻る。
「あっ、モーブっ!」
倒木から、ランが立ち上がった。
「遅かったね」
「わたくしも心配したわ」
「ごめんなふたりとも」
スレイプニールの鞍から降りた。
「飯は」
「わたくしとランちゃんはもう済ませたわ。モーブとレミリアちゃんのご飯は用意してある。速く食べれるように、料理は冷ましてあるわ」
「冷めてもおいしいような味付けにしたんだよ」
「ありがとうな、ふたりとも」
いやマジ気が利くわ。
「ふたりで食べていて。わたくしとランちゃんとで、スレイプニールとあかつき号の準備をする」
「頼む」
木の椀ふたつに、穀物の粥がよそわれていた。戻した干し肉が、上に盛ってある。
「レミリア食え。五分で出るぞ」
「うん」
ふたり黙ったまま、がつがつと匙を使った。木の子の出汁が利いていて香りもいい。冷めても味がぼけないように、塩味強めのバランスだ。早く食べられるよう、肉も軟らかく煮てあるし。
故郷の村では孤児の家は家事が持ち回りだったから、ランは料理が上手だ。田舎娘だから、食材知識も豊富だし。マルグレーテはお嬢様だけに最初はほとんど何もできなかったが、自頭が良くて勘が鋭い。だからランに色々教わりながら、かなり短期間で料理の腕を上げつつある。
「ごちそうさま」
「わあ。早いねー、モーブ」
あかつき号の鞍を直していたランが、振り返った。
「うまかったからさ。ありがとうな、ラン。それにマルグレーテ」
「へへっ。ほめられちゃった」
嬉しそうに微笑んでいる。
「ほんと、おいしかったよー」
レミリアの椀と匙を受け取ると、泉でざっと洗った。ついでに泉の水で乾きを癒して。食器なんかちゃんと洗うのは、戻ってからでいい。一秒でも時間が惜しい。そのまま、いかづち丸の振り分け鞄に放り込んだ。
「さあ行くぞ、みんな」
いかづち丸に跨る。全員もう鞍上の人だ。
――0:08:29:15――
ギリ、あと三十分余裕がある。
「先頭はレミリア。次はラン、マルグレーテ。ケツが俺だ」
「うん」
「わかった」
「ええ」
「レミリア、飛ばし気味で頼む」
「わかってる。……ただ下りは登りより足元が危ないんで、最初は抑え気味で行くよ。傾斜が弱まってから、遅れを取り戻す」
「それでいい。頼む」
ここで誰かが転倒したりしたら、おそらくもう時間は取り戻せない。
「あかつき号、行くよっ!」
「ぶるるるっ」
俺の気持ちを汲んだのか、あかつき号はレミリアの手綱より速く進み始めた。
ここからはただ山道を八時間下るだけ。次第に道も太くなって最後には街道になるから、往きより飛ばしても大丈夫だ。もちろん途中何度か馬を休ませないとならないし、稀にはモンスターもポップアップするだろうが。
――予定より二時間半ほど遅れたが、なんとかなる。いや、俺がなんとかする。
鞍の上で揺られていると、渡る風が、清冽な森の香りを運んできた。
●次話、第8章最終話「征伐」




