8-8 古代の祈祷処
「見えたっ!」
先頭のレミリアが叫んだ。鬱蒼とした樹々の先を指差している。
「もうすぐそこで、森が途切れて大きな広場になってる。そこになんか見えてて。大昔の祈祷処で間違いないよ、きっと」
「走るな!」
駆け出そうとしたレミリアを止めた。
「罠があるかもしれん」
ククノチ戦の後、ここまで罠は無かった。途中、雑魚戦が二度ほどあっただけだ。それだけに、そろそろもうひとつなにかイベントが仕組まれていても不思議ではない。魔族は狡猾だ。
「森の出口で、俺達を待て」
タイマーを確認する。
――4:02:39:19――
よし。順調だ。
俺は、ほっと息を吐いた。
あれから休みなく行軍した。昼休憩も火を起こすことなく、保存食を水とポーションで流し込むだけで、たった十五分で済ませた。その甲斐があって、今は十四時頃。ループ罠やククノチ戦でのタイムロスを取り返した上に、予定の十五時を一時間も上回っている。
「どんな感じだ」
殿の俺が追いつくと皆、最後の大木の陰から、広場を観察しているところだった。
「きれいな草原だよモーブ。低い草ばかりだから見通しも良くて。……私達のふるさとの、村外れみたい」
ランが俺を見上げた。
「ほら、小川に水車小屋がある、あのあたりの感じ」
「そうだな、ラン」
俺がこのゲーム世界に転生して、最初にランに出会った場所だからな。強烈に覚えてるわ。
「祈祷処は、いかにも古代の設えね」
目を細め、マルグレーテは建造物の細部を確認しているようだ。
「放置されて崩れかけてはいるけれど、ベージュの石積み。石にはひとつひとつ、文字が刻まれているわ。とっくの昔に使われなくなった文字よ、あれ」
「あれはね、周辺のマナを集める呪文だよ。エルフの古代文字に少し似てるから、なんとなく読めるもん」
レミリアの隣に顔を出し、俺も観察してみた。
広場は、ちょっとした野球場ほども広い。見た感じ、不自然なくらい正確な円形になっている。おそらくなんらかの魔法で、森の侵食を防いでいるのだろう。のどかな、温められた草原のいい匂いを、穏やかな風が運んでくる。
その中央に、崩れかけた建造物がある。積み木を乱雑に崩したような。だが、明らかに人造。サイズは大きめのダイニングテーブルといったところ。想像していたより、ずっと小さい。
「あの周囲のどこかに、目的の花や果実があるのよね」
「木の子もね」
「どうするモーブ。それを探す?」
俺は考えた。
「いやマルグレーテ。まずあの祈祷処に行ってみよう。魔族が仕掛けたイベントがあるとしたら、あそこだ。後々不意討ちされるくらいなら、最初にリスクを潰す」
「いい考えだね、モーブ」
レミリアが俺を見上げてきた。
「さすがはリーダーだよ。なんでも真正面から突撃するだけのブレイズとは、大違い」
レミリア、ブレイズパーティーのギスギス内輪喧嘩が嫌で逃げたからな。
「とにかく、なにがあるかわからん。みんな警戒を怠るな」
「私、みんなにダメージ軽減魔法をかけておくね」
「頼む、ラン」
「ならわたくしは、念のために範囲魔法を詠唱しておくわ」
「あたしはいつでも矢が射てるよう、心の準備をしておく」
「心強いぞ、みんな」
考えたら、モブの俺が一番頼りにならないな。基礎ステータスは底辺張り付きのはずだし、前衛職だから敵襲のときは一番前まで走り込まないとならない。その点、マルグレーテやレミリアは遠隔地から初手を出せるから早い。マルグレーテなんか、「従属のカラー」装備効果で、初手から範囲魔法の二回攻撃ができるし。
「ここからは俺が先頭に立つ。敵とのエンカウントがあれば俺がタンク役をしないとならない。一番前に居たほうが、話が早い」
「わかった」
「うん」
「気をつけてね、モーブ……」
ランの手を一度握ってやると、俺は森の果てから身を乗り出した。そろそろと、ゆっくり進む。足元は柔らかな草原なので、木の根這い回る森より、ずっと歩きやすい。振り返ると、みんな俺の後をついてきていた。
「さて……」
近づくと、遺跡がはっきり見えてきた。崩れた石垣のようになっていて、ところどころ、草や蔓草が覆っている。それでもなぜか上面だけは平らで、テーブルだかテレビ台だかといった感じ。高さは一メートルかそこらしかない。
「大丈夫か、みんな」
「ええ」
「うん」
「早く行こうよ」
「よし」
レミリアの奴、気が急いてるなあ。――と思った瞬間、胸が急に熱くなった。
「うおっ!」
「なに、モーブ」
「いや、なんでもない。ただ……」
ただただ、胸が熱い。装備する「ハンゾウの革鎧」の内側。ちょうどポケットのある部分だ。そこには、ククノチ戦のレアドロップ「渡り鳥の魂」を入れてある。
「見てっ!」
駆け寄ってきたレミリアが指差した。見ると、祈祷処の上の空間が揺らいでいる。湯気が出ているように。そこが次第に光り始める。
「敵襲!?」
矢を番え、弓を引き絞る。
「行動速度二十パーセントアップ」
「詠唱速度向上」
「魔力増大」
続けざまに、ランが補助魔法を起動する。レベルが上ったからか、以前よりかなり早く連発している。敵がまだわからないから、敵に向けた魔法は撃っていない。
「待てみんな」
俺は叫んだ。
「敵とはちょっと違う。多分これは……」
胸のアイテムが、さらに熱くなった。
「なにか出てくるっ!」
ランが杖を握り締めた。
その言葉どおり、輝く湯気は次第に人の姿になった。バストアップくらいの上半身。はっきり見えてはいるが、微かに背景が透けているから、あれは幻影だろう。つまりこれは……。
「あれは映像だ。攻撃するな。様子を見る」
皆、黙ったまま頷いた。
「これはこれは……」
「画面」に映った人物は、こちらを見回すような仕草をした。若い女だ。見えている限り、バニースーツのように肩の出た、黒く艶々の服。SMのボンデージスーツにも見える。長くストレートな黒髪で、真っ赤な瞳をしている。高貴な雰囲気だが、表情にどこか残忍さが感じられた。
「また、えらく張り切っておるのう……。全員、凄い殺気ではないか」
こっちを見て、苦笑いをしている。
「そこはどこだ」
ちらと横を向いて、なにかを確認する仕草をした。
「あの森か。あそこは封印されているはずだが……」
視線を俺に移した。
「お前が起動したんだな、祈祷処を」
「さあ。なんのことだか」
とりあえずとぼけておく。多分、「渡り鳥の魂」効果だ。これ、遠隔地の森との交感機能があるって話だったし。
「おい」
女は、画面外を睨んだ。
「なんでこいつがあたしと交感できている。こっちから呼ばない限り、誰もあたしとは交感できないはずだ。セキュリティーはどうなってる」
画面外で、知らない言語が飛び交った。
「わからんだと……。今すぐ調べろ」
また言葉が飛び交い、女は頷いている。それから俺に向き直った。
「まあよい。お前の名は」
「教えちゃダメだよっ!」
レミリアが、俺の袖を引いた。
「この娘、魔族だからね」
「ふん」
女は鼻を鳴らした。
「エルフの小娘風情が、生意気に」
「大丈夫?」
ランが俺の手を取った。心配そうに。
「平気だよ。ただの映像だ」
「そう言えばこの森は二十年前、魔族が封印したのよね」
マルグレーテが女を睨んだ。
「あなたがやらせたの」
「ふん……」
問いには答えず画面の向こう側で、女は身を乗り出した。
「なかなかいいバランスのパーティーだのう……。全員、特別な装備品を身に着けておるし。まあ……男はちと頼りないが」
余計なお世話だ。てか俺達の能力とか装備品まで、ひと目でわかるのか、こいつ。
「そっちこそ名乗れ。お前、魔族だろ。魔族は人間より礼儀に劣るってのか」
ムカつくから言ってやったわ。
「普通はな、まず自分から名乗るもんだ。礼儀を知っていればな」
「あたしか……」
真紅の瞳で、俺を見つめてくる。瞳の奥、そのまた奥まで暴かれるような気がした。直接会っているわけでもなんでもなく、ただ画面越しなだけだってのに……。なんだこいつ、ヤバいぞ。
「面白いな。不思議な魂をしている。ただのヒューマンではないだろう、お前。その弱さでリーダーを務めているだけの理由は、ちゃんとあるわけか……」
そのまま黙った。じっと俺を見つめ続けている。
「ならまあいいか、教えても」
ほっと息を吐くと、女は続けた。
「どうせ……あたしの名前を聞いたヒューマンは、みな死ぬし。蟄居退屈しのぎの慰み物くらいにはなるだろ」
「いや、それならいいわ。俺達はほっといてくれ。魔族だろうが運営だろうが、俺は戦いは嫌いだ。平和に隅っこ暮らししていたいだけで――」
「あたしはヴェーヌス。カーミラでもいいぞ。どちらでも同じだ。覚えておけ」
ああ……。言っちゃったよ、この女。
「聞いたからには、覚悟しておけ」
俺を見て、唇の端を曲げて笑う。
「お前とは、いずれ相見えることになるであろうぞ。あたしの秘名を知ったことで、ふたりの運命が絡んだからな。それまでせいぜい、死なずにおれ。あたしが殺すまでは」
女がなにか腕を動かすと、画面がぷちっと消えた。もうただの遺跡を、風が吹き渡っているだけだ。
「なんだよ、あいつ……」
言いたいこと一方的に言って速攻消えるとか、マルグレーテの「お兄様」コルンバの上位互換かよ。
「モーブ……」
ランが抱き着いてきた。
「心配するな。ただの脅しだ。……誰か、ヴェーヌスとかカーミラっての、聞いたことがあるか」
「ううん」
「全然……」
みんな首を振った。後で冒険者ギルドででもリサーチしておくか。
「あれかなー。アドミニストレータの新たな依代かもな、あれ。どこかでまた罠を張って、あの姿で中ボス戦を挑んでくるのかも」
原作ゲームで出会ったことがないからな、なにしろ。その意味でもアドミニストレータの仕掛けっぽいというか。
「でも、モーブを見たの初めてっぽかったけれど」
「マルグレーテちゃんの言うとおりだよ、モーブ。アドミニストレータなら、モーブのこと知らないはずないもの」
「それもそうか……」
ランやマルグレーテの言うとおりだ。
てことはあいつ、ただの魔族か。それにしてもボス感、半端なかった。画面越しであの迫力ってことは、中ボスでもかなり上位な気がする。魔王が俺のこと追い始めてるというし、もう余計な敵は作りたくないんだけどな……。
めんどくさいわー、マジ。運営も魔王もこのなんとかいう奴も、俺のことはほっとけっての。リゾート都市ポルト・プレイザーで、ランやマルグレーテとせっかく楽しく遊んでるってのに。
「アドミニストレータって、なに。魔王の一味?」
「ああいや、レミリア。なんかしつこい中ボスだよ。俺のこと狙ってるみたいなんだ」
レミリアはそりゃ、アドミンなんて知らないよな。話してもいないし。
「とにかく、あの女が何言おうが、当面関係ない。ほっときゃいいんだ。それよりアイテムを探そう」
「お花に木の子に果物だよね」
「そうだよ、ラン。十年に一度しか収穫できないとかいう奴な」
まあどれもこれも、ロクなもんじゃないけどな。なんせ名前が「絶倫茸」とかだし。
「採取したらとっとと人買い事務所に戻って、レミリアを解放したいからな」
全員、頷いた。




