8-5 ループする魔の森
「ねえモーブ」
朝九時。殿を進む俺の元に、ランが駆け寄ってきた。
「どうした、ラン」
「なんだか変な感じがする」
「変って……」
とりあえず、先頭のレミリアに声を掛け、停まらせた。朝五時、まだ暗いうちに起きて朝食を済ませ、六時には行軍を開始した。なんとしても今日、なるだけ早い時間に目的地に辿り着きたいが、三時間は歩いているから、そろそろ休憩してもいい頃合いではある。
「なんとなく変」
不安げに、周囲を見回している。
「そうか……」
考えた。ランはときどき、勘が鋭い。特に、危機に関係する方向性では。神狐の洞窟でも、祠の周辺で嫌な予感を感じたのは、ランだ。実際その直後、例の触手野郎が這い出てきた。
「どうしたの、モーブ」
マルグレーテとレミリアが戻ってきた。
「嫌な予感がするって、ランが」
「すぐ先で、モンスターでも出るのかしら」
マルグレーテは首を傾げた。
「嫌な予感じゃなくて、なんか変なの。違和感というか……」
ランは言い淀んだ。
「ということは、現在この時点でなにかおかしいということだな」
「うん、そう……」
「なにかしら」
「うーん……」
レミリアは腕を組んだ。
「特に森の異変は感じないけどね、あたし。……実際、朝からずっと、同じように安全な気配だし」
「今日はモンスターも出てきてないものね」
マルグレーテが付け加えた。
「空き地が無いからかしらね。空き地にはモンスターがポップアップするし……」
「そうだと思うけど。……ねえラン、どういう違和感なの」
「よく……わからない」
レミリアの問いに、首を振っている。
「困ったわね」
マルグレーテも眉を寄せている。
「待てよ……」
なにかが、俺の頭の隅を掠めた。
「どうしたの、モーブ」
「……なんで空き地が無いんだろう」
「そんなの、偶然でしょ」
レミリアに笑われた。
「いや、空き地の無い場所を選んだんだ。なぜなら、空き地があれば目印になるから」
「何を言ってるの」
「レミリア、お前も言ってただろ。朝からずっと、同じように安全な気配だと」
「言ったよー。安全なほうがいいでしょ。ヘンなモーブ」
「『同じような』ってのがポイントだ。魔族が罠を仕掛けるとしたらどうやる。空き地や泉といった目印のない地帯、樹々の高さや樹種なども同じような場所を選び、モンスターも出ないようにして、こちらの注意力を散漫にさせる」
「そういうことね、わかったわモーブ」
マルグレーテが頷いた。
「わたくしたち、ループの罠に嵌まってるって言いたいのね」
「そうさ」
「ああ、そういう……」
レミリアが唸った。
「そう言えばここ、ループの罠があるんだものね。名前がそもそも『迷いの森』だし」
「ラン、そういうことだろ」
「わからない……」
ランは首を振った。
「でも、そう言われてみれば、なんとなくさっきから同じような場所をくるくるしているような……」
「どうする、モーブ」
マルグレーテに見つめられた。
「ループの罠だとしたら、早く抜けないと……。普通の冒険者とは違って、わたくしたちにはタイムリミットがあるのよ」
「わかってる」
考えた。実際、ランに言われるまで……というか言われた後ですら、ここがループの森だとは思えない。それはマルグレーテも同じだろう。ランにしても、違和感がある程度で、どこがどうとは指摘できまい。つまり……。
「ここはレミリア、お前の力に懸かっている」
「あたしの……」
「ああそうさ。お前はエルフ、森の子だ。ここがループしているとしても、必ず出口は隠れている。実際、先に進んだ冒険者が居たわけだし。お前の力で、それを探しながら進んでくれ」
「そうね……」
レミリアは、先を睨んだ。森を抜ける涼しい風が、短めの銀髪を揺らした。苔のいい香りがする。
「やってみる。多分……わかると思う。進軍速度は、ずっと落ちると思うけれど」
「構わん。この仕掛けで重要なのは、『なるだけ同じ雰囲気』だ。延々何キロにも渡ってループさせたら、見た目の違う場所が出てくる。だから魔族も、極めて短い範囲だけループさせているはず。つまり――」
「ゆっくり進んでも、そう時間を掛けることなく、出口が見つかるってわけね」
「そうさ、マルグレーテ」
「モーブ……」
レミリアが俺の手を取った。ぎゅっと握り締めてくる。
「あんた凄いね。洞察力も判断力も抜群。パーティー管理すらできないブレイズとは大違いだわ。さすが、あたしのリーダーだけあるよ」
「都合のいいときだけリーダー扱いすんな」
思わず笑っちゃったよ。なんせ、人買いに捕まったときだけだからな、俺のパーティー仲間だとか言い張ったの。
「ポルト・プレイザーで青春を謳歌するって、お前は俺の馬車を降りたんじゃないか」
「それは……そうだけど」
一瞬、レミリアは瞳を落とした。それから俺を見る。
「まあいいか。とにかくあたし、ここから目を八つにして先導するから。モーブにも、あたしの凄いところを見てもらわないとね」
もう一度、俺の手をきゅっと握った。
●
まず空を見て方向を見定めると、レミリアは進み始めた。一歩一歩、確かめるように。左側の樹の幹に、短剣で切れ目を入れながら。樹皮がめくれる程度の浅い傷だ。切り口の匂いを嗅いでから進み、次の樹に移る。
「もうループしてる。……まだ十分くらいしか進んでないのに」
レミリアは、左側の大木を見上げた。はるか上、太陽に照らされた樹冠が見えている。足元はもちろん暗い。
「ほら、この樹、あたしが付けた目印があるもん」
めくれた樹皮を指差した。
「魔族も舐めた罠を作るものね」
マルグレーテは溜息をついた。
「短いほうがいいからな、連中にとって」
「そうね、モーブ」
「で、どうなんだ、レミリア。ループから抜けるとしたら、右か左に隠れた通路があるはずだ」
「左側には無かったよモーブ。ここからは右側だけ注意して進むね」
「そうしてくれ」
頷くと、レミリアはまた注意深く進み始めた。右側の樹皮だけ削り、匂いを嗅ぎながら。
「あっ」
匂いを嗅いだ瞬間、呟いた。
「どうした」
「待ってて」
二、三歩戻ると、ひとつ前の樹木の匂いを嗅ぐ。
「ここだよ。こことそこの樹の間に、なにかがある」
「ループする境目じゃないの」
マルグレーテは慎重だ。
「違うよマルグレーテ。境目じゃなくて、こことその樹の間が、切れてるんだよ」
「とにかく進んでみよう。そこの樹の間を右に行き、道を外れすぎない程度でまた左に曲がればいい。そうしてまっすぐ進んでみて、ループが切れていたら、脱出成功だ」
「わかった。モーブの判断に従うよ、あたし」
俺達を振り返る。
「みんなついてきてね。ここから少し下り坂だから、滑らないように足元注意だよ」
樹々の間のわずかな空間に、体を横にしてすっと入り込んだ。
「こっちだよ」
「ラン、続け。これまでどおり、次がマルグレーテ、最後が俺だ」
「わかった」
頷くと、ランがやはり体を横にして抜けてゆく。マルグレーテと俺も続いた。
「やったっ!」
レミリアが短剣を振り上げた。予定通り道なき道を脇にそれ、再度方向を調整して十五分ほど経った頃合いのことだ。
「もうループしてない。……少なくとも十五分の距離は。ほら見て」
今、切れ目を入れたばかりの樹皮を短剣で指した。
「いや見てと言われても、俺にはわからんが」
「大丈夫よモーブ。樹々の樹相も、色々変化が出ているしね」
マルグレーテも頷いている。
「どうだラン。まだ変な感じがするか」
「ううん」
ランは首を振った。
「……でも、嫌な予感がするよ、モーブ」
「嫌な……予感だと」
その瞬間、がさがさと樹々を揺らす音がした。
「どうした、敵襲か? 魔族なのか、それともモンスター――」
「違うよ、モーブ」
叫んだレミリアが駆け戻ってきた。
「狭いけど、なんとか戦闘フォーメーションを組んで。モーブ、あたし、ラン、マルグレーテ、一直線でいいから」
「相手はなんだよ」
「樹が大揺れしてるわ」
「でも、揺らしている敵は見えないよ」
みんなの言うとおりだ。前方の大木が数本、大地震のように枝や幹を揺らしている。どう見ても巨大モンスターが樹々の間を無理やり抜けてくる動き方だが、肝心の敵が見えない。
「透明なのかっ!」
「違うよっ」
俺のすぐ脇に陣取ると、レミリアは弓を引き絞った。
「あの大木、あれがモンスターなんだよ」
「なんだと」
「あれはククノチ。本来は森を守る樹木神だけど、魔族になにか、邪悪な魂が埋め込まれてる」
ひゅんと弦音を立てて、レミリアが矢を放った。
「生命力が桁違いだから、なかなか倒せない。掴まれたら握りつぶされるよっ!」
●巨大な樹木神との中ボス戦に挑むモーブと三人。弱点を狙うモーブの戦略は成功するのか……。
次話「ククノチ戦」明日公開!




