8-2 「迷いの森」に踏み込む
「迷いの森って、このへんからだね、モーブ」
前方の暗い森を、ランが見通した。道が荒れてきたので、すでに一時間ほど前に馬を下りた。太い樹木の間を、俺達は徒歩で進んでいる。
「そうだな、ラン」
「だって奥から凄い魔力を感じるもん。ちょっと怖いよ」
馬四頭は、泉脇のちょうどいい空き地に放した。テイムスキルのあるマルグレーテが待つように言い聞かせたからみんな、もぐもぐのんびり草など食みつつ、何日も俺達の帰りを待ってくれるはずだ。
「ランちゃんの言うとおりね。しかもこの魔力、不気味な感じだしね」
マルグレーテが、ランの手を握った。
「どうしよう……。わたくしも、少し怖いわ。ここ……思ったより寒いし」
ここまでは、ただの密集した針葉樹林といった感じだったが、このあたりから先は、森の密度が凄い。太い針葉樹が、ボウリングのピンのように密接して立ち並び、太陽を遮っている。蔓草が木から木へと網のように広がって葉を広げているから、なおのこと暗い。
マルグレーテが言ったように、八月だというのに、ここは想像以上に涼しい。寒いと言ってもいいくらい。山に向かう麓でそこそこ標高があるのと、昼なお暗い森林地帯であるためだろう。地面を這う大木の根は苔に覆われていて滑りやすいだけでなく、苔や大木の葉の蒸散作用で気化熱が奪われているしな。
中は、ほぼ陽が通ってない。今は十五時あたりで陽が傾きつつあり、葉や太い幹で光が遮られるので、なおのことだ。これが真昼なら真上から陽が射すので、多少はましなはずだ。
「道も途切れてるしなー」
実際、ここまで辿ってきた獣道が、ここで消えている。ここから先は、獣ですら入らない、ヤバい土地ってことだ。
「森が怖いなんて、ヒューマンって不思議だね」
レミリアは、腰に手を当てている。
「ただの奥深い針葉樹林じゃん」
「そらお前は、魔力を感じ取れないからだろ。ランやマルグレーテは魔道士だからな」
「そうかもしれないけどさ……」
レミリアは、ほっと息を吐いた。
「どうせ入らないとならないんだし、入り口でビビってても仕方ないっしょ」
まあ、そりゃそうだが。
「にしてもお前、元気だなあ……」
「……どうするモーブ、ここで野営する? それならそれであたしは構わないけど。お腹空いたし」
相変わらず、食い意地が張ってやがる。
考えた。明日の朝なら疲れが取れ、万全の構えで進める。だが朝はまだ陽も低い。今とそう変わらない。といって陽が高い間の十時から十四時限定でのんびり進んでいては、期限内でのミッションクリアは望み薄で、罠によってレミリアの首が落ちてしまう。
「進もう。幸い今は夏で陽は長い。十八時まで、あと三時間進みたい。周辺の具合にもよるが、十七時を過ぎたら、野営地を値踏みしながら進む。いいところが見つかったら前進を止め、そこでビバークだ」
「ここから迷いの森でしょ、モーブ」
マルグレーテが俺の手を握ってきた。
「どう見てもそうだな」
「それなら踏み込む前に、迷いの森についてもう一度、再確認しておきましょう」
「たしかにそうだな……」
たしかに。ここから先は、言ってみれば危険な未踏地。なにがあるかわからない。情報を振り返っておくのは大事だ。
「なら昨日、冒険者ギルドや故買屋で聞いた話を振り返っておこう。みんなそこの倒木に腰を掛けろ。ついでに水分も取っておけ」
記憶を辿りながら、俺は話し始めた。
「迷いの森」は、なにしろ高密度の森だけに、見通しが利かない。遠くの山を目印にするなども、当然無理だ。
それだけならただの原生林ってことだが、二十年前、突如来襲した魔族により、この森には罠が仕掛けられた。どうやら、風景がほとんど変わらない上に、一部がワープしてループ状になっているらしい。だから延々同じところを歩かさせられる。
密集した木を避けながら回り込んで進むので、そもそもまっすぐ進むのさえ難しい。まっすぐ進んでいるようでも、いつの間にか六十度ずれてたりとか……。それに加えて、このループ罠だからな。
「でも、辿り着ける道はあるって、言ってたよね。受付のお姉さん」
そう言うと、ランは革袋の水を口にした。
「馬に揺られた水っておいしいね。なんでだろ」
それは俺も感じた。前世の社畜知識だとたしか、揺れることで水分子の重合が解けてまろやかになるからだとかなんとか……。
「抜け道の件、とある冒険者パーティーからの情報だったよね」
「レミリアの言うとおりね」
ランから革袋を受け取ると、マルグレーテも水を飲んだ。
「中に連絡魔法を習得した術者が居て、ギルドに逐次連絡してきたって、言ってたわ」
ループの罠を見破りなんとか抜けて、二日ほどで古代の祈祷処に辿り着けはしたらしい。だから道が通じているのは確かだ。祈祷処の現状についても語っていたというし。
だが……。
「だが、連中はそこで消息を絶った」
「帰路の連絡は一度もなかったって……」
「そのまま、二度と戻ってこなかった」
「どうにも、気の滅入る情報ね」
マルグレーテは溜息をついている。
「まああたしに任せてよ。基本、森で迷子になることはないよ」
レミリアが胸を張った。まあ……張っても小さいけどな。
「なんたってあたし、森の子エルフだし」
「いやほんと、そこは頼むわ」
「任せて、モーブ。ほら……」
腰掛ける俺の手を引っ張った。
「そろそろ行こうよ。十八時までに距離を稼ぎたいんでしょ。みんなも充分休憩できたし」
「距離というより、森の雰囲気を感じておきたくてな。それによって今晩、また戦略を練れるし」
「さすがモーブ。頼もしいねっ。ほらあ……」
「わかったわかった。綱引きじゃないぞ。俺の腕が抜けるじゃないか」
やむなく、俺は立ち上がった。
「よし進もう。ここから先は、言ってみれば敵地だ。モンスターエンカウントがあるかもしれん。みんな気を緩めるなよ」
●ついに「迷いの森」に踏み込んだモーブ。残り時間を計算しながら森を突き進むが、突然レミリアが……。
次話「残り時間の陥穽」、明日公開!




