6-13 最後の賭け。または因果律のほころび。
「俺達を徹底的に潰す気かよ……」
MP喪失マスまで強制的に運ばれ、俺は頭がくらくらした。ランとマルグレーテは実際に、全てのMPを失ってしまったようだし。
「くそっ……」
どこまで追い込まれるんだ、このすごろく。運命の神は意地が悪すぎだろ。
「ふたりともMPポーションを使え」
「もう無いわよ、モーブ」
「私、一本だけあるよ。鞄の奥に横倒しで隠れてた。……マルグレーテちゃんと、半分ずつ使うね」
「助かる。まだ俺達にはチャンスがある。たとえアイテムを全て失っても、リスクはわずかでも減らしておきたい」
「わかった」
ふたりが従うと、足元にポーションの空き瓶が一本、ぽつんと立った。すでに三人の鞄は空。もう残されたアイテムはない。
そもそもポーション半分では、ほとんどMPなど回復できない。おそらくふたりとも初期魔法を一発撃ったら、もう終わりだろう。なにしろ今は、装備の特殊効果による回復が封印されているからな。
「どうしよう、モーブ……」
前向きで楽天的なランでさえ、不安を隠せない様子。空の瓶を見つめて、マルグレーテは黙り込んでいる。
「ふたりとも、こっちに来い」
「うん」
「はい……」
同時に抱き寄せると、キスを与えた。
「モーブ!?」
驚いて口を開いたまま、マルグレーテの言葉が途切れる。それでも瞳を閉じて大人しく、俺の唇を受け入れ始めた。
「ん……」
「ほら、ランも」
「モーブ……」
ランは俺の首に手を回してくる。代わる代わる、俺はふたりに唇を与えた。緊張していたふたりの表情が和らぐまで。
「モーブ……好き」
「わたくしも……」
「俺もだ」
ふたりの頭を撫でてやった。
「俺は勝つ。だからふたりとも、俺を信じろ」
「そう……そうよね。モーブだものね」
マルグレーテの瞳は、輝きを取り戻した。
「根拠レスの統率力が、モーブの魅力だもの。いつだって……わたくしを導いてくれる。わたくしの夜空に輝く、一番星として」
「根拠レスは酷いな」
「寝台でだって、統率力は同じよ」
くすくす笑っている。
「あんな形でするなんて、わたくし知らなかったもの」
「卒業試験でだって、最後の瞬間まで、モーブは諦めなかったもんね」
俺の首に腕を回したまま、ランはうっとりしている。
「モーブを信じてついてきて、良かった。あの日、村がガーゴイルに襲われた日から、モーブを信じているんだよ」
「ありがとうな、ラン」
「だからきっと、ここでだってモーブは勝つよ。私とマルグレーテちゃんが命を懸けて支えるもん」
「そうよモーブ。ランちゃんの言うとおり……」
マルグレーテは、俺の腰に腕を回してきた。
互いの鼓動を感じながら、俺達は抱き合っていた。
ふたりの体を撫でながら、俺はヘクトール学園長アイヴァンの言葉を思い返していた。遠泳大会で、俺達Zクラスが優勝したときの。
「彼我の戦力を考えたとき、たとえ圧倒的に不利な状況でも、細い勝ち筋は、必ずある。必死でそれを探すべき。神の一手を」――。学園長は、そう言っていた。
それに大賢者ゼニスの言葉も。居眠りじいさんは、俺がこの世界の因果律を変える駒だと言った。ってことは、俺には因果律を変える潜在力があるはず。たとえば、ここすごろくでだって。
サイコロという厳しい偶然に支配された世界でも、因果律に開いた、針一本だけ通るような小さな綻びはあるはず。奇跡の穴が。学園長言うところの「神の一手」って奴が。俺にはそれを抜ける力があるに違いない。すごろくひとつひっくり返せないようでは、そもそもこの世界の因果律なんかどうこうできるはずはないからな。
だからこそ、アルネ・サクヌッセンムも、俺を駒として使っているはずだ。
「よし……」
俺を愛してくれるふたりの体を抱き、温かな鼓動を感じるうちに、魂の奥から力が湧いてきた。
俺はやる。そして勝つ。勝って裏ボスドロップのアーティファクトを手に入れ、マルグレーテを強くしてやる。
スコアボードを見上げ、ここから先の地図を確認した。
9 MP全喪失 <現在地点
10 六つ進む
11 コイン二割ロスト
12 仕掛けなし
13 ゴール
14 十進む
15 戦闘
16 戦闘
17 戦闘
18 宝箱
1 仕掛けなし
2 HPダメージ
3 アイテムショップ
4 罠
5 宝箱
6 戦闘
7 仕掛けなし
8 コイン一割ロスト
先は厳しい。十八マスのループだが、十二面サイコロだから最高でも十二の目しか出ない。この位置から十二先までだと、今の俺達にとって致命的なマスばかりが並んでいる。中立的なマスや有利なマスは、ほとんどない。
「俺は勝つぞ、ラン、マルグレーテ」
「うん。それでこそモーブだよ」
「わたくし、信じているわ。モーブのことを」
「よし」
ランとマルグレーテがいる限り、俺は何度だって泥沼から立ち上がってやるさ。俺は前世、ドブを這いずり回っていた底辺社畜だ。このくらい、なんてこたないさ――。
魂の奥が燃えるようだ。なにかの力を、そこに感じる。それが薄れないうちにと、俺はサイコロを握った。
「振るぞっ!」
サイコロは黄色に輝いた。出た目は「九」。ここファイナルループゾーンで初めて、俺達は宝箱マスに進んだ。
●
「大きいわね、この宝箱」
「たしかに……」
部屋に置かれていたのは、大型冷蔵庫くらいの宝箱だった。
「モンスターじゃないだろうな」
「嫌なこと言わないで」
宝箱に擬態するモンスターだと、厳しい。なんせ俺達、もう持ち点二十一しかないからな。戦った瞬間に持ち点枯渇が決まったも同然だ。
「でもここダンジョンじゃなくて、すごろくの宝箱マスだからね」
ランも宝箱を見つめている。
「さすがにその手の意地悪はないんじゃないかな」
「俺もそう思うけどさ」
とりあえず、ここまでの宝箱で、モンスターが飛び出てきたり毒針の罠があるとか、そのような仕掛けはなかった。
「ほらモーブ、蓋に手を置いてみて。空くはずよね」
「ああ」
これまでそうだったからな。
「念のため、ふたりとも離れてろよ」
「うん」
「ええ」
無いとは思うが、万が一ってことがあるからな。
「よし……」
蓋は熱かった。サードループゾーンまでの宝箱では無かったことだ。それだけいいものが入っているのだろう。
――ドンッ――
轟音と共に、宝箱の蓋が開く。勢いが良すぎて、部屋にほこりが舞った。
「中身はなに」
「ポーションが何本か入ってる」
「ただのポーション? なにそれ。ここファイナルループでしょ」
マルグレーテの声が裏返る。
「でもそれだけじゃない。……まあ見てみろ」
寄ってきたランとマルグレーテが、背伸びするようにして、宝箱を覗き込んだ。
「いやだ。中にもうひとつ宝箱があるじゃない」
「ああ。このパターンは初めてだな」
素知らぬ顔で、小型冷蔵庫くらいの宝箱が、中に収められている。
「とりあえず私、ポーション出すね」
「頼む、ラン」
一ダースほどのポーションを掴み出すと、俺達は自分のバッグに分け合った。MPポーションも数本交じっていたので、割と助かる。ランとマルグレーテが、さっそくMPを補充した。
「たかがポーションだけど、枯渇した今となっては、どえらくありがたいな」
「たしかにそうね。腰のバッグが重くなっただけでも、すごく頼もしいもの」
「次の宝箱開けてよ、モーブ」
「よし、ラン」
蓋に手を当てた。外の箱より、さらに熱くなっている。
「あれ……」
蓋が開くどころか、宝箱にはなんの変化もない。
「開かないわね」
「鍵が掛かってるのかな」
「解錠スキルが必要なのかしら。……困ったわね」
俺達に解錠スキル持ちは居ない。
「最悪、ポーションだけで我慢するしかないわね」
「モーブ、ここに鍵穴があるよ」
ランが指差す先に、たしかに鍵穴っぽい穴がある。
「マジだな」
「でも、鍵なんて無いよね」
「どこか、外側の箱の中に収められてるんじゃないかしら」
背後に回るようにして、マルグレーテが探し始めた。
「どこにも無いわ。それともさっきのポーションの瓶に入っているとか」
鞄の中身をごそごそ確認し始めた。
「いや……」
俺の脳裏に、なにかの影が走った。
「思い出した。俺達、鍵持ってるぞ」
「うそ」
「ほら、これだ」
懐から、俺は鍵を取り出した。例の「三つのパニッシュメント」罠で手に入れた、「奇跡の鍵」って奴を。
「そう言えば、それ、鍵の形だよね」
「そうねランちゃん。名前でもはっきり『鍵』って言ってるし」
「試してみるか」
「お願いよ、モーブ」
「わくわくするねー、モーブ」
鍵穴に、「奇跡の鍵」を差し込んでみた。とりあえず入る。左回りには動かない。右に回すと、なにか内部を引っ掛けたような感触があった。
「回りそうだ」
しっかりした手応えで、一周回る。カチリという音がした。そのまま鍵を抜く。
「この鍵だ。間違いない」
「あっ」
また轟音を立てて、二番目の宝箱が開いた。中には何も入っていない……。というか、さらに小さな宝箱が入っていた。他にはポーションもなにもない。
「なんだよ。マトリョーシカかよ」
「プレゼントはないわね。……ただ、次の宝箱を開けろってことなのかしら」
そのとき、声が響いた。
――持ち点追加――
「えっ」
「うそっ!」
「マジか……」
スコアボードを見上げた。
――獲得コイン 3129997――
――オーディエンス・ファンディング 00490776――
――持ち点 121――
「持ち点が百増えた。ぴったり百。……嘘じゃないよな、これ」
「凄い……。これなら、あと一戦は戦えるわよ」
「そうだねマルグレーテちゃん。あと一戦戦えば、コインも獲得できるよ」
「良かったな、ラン」
そうは言ったのもの、俺はまだ懐疑的だ。ナーガロード戦で獲得できたコインは十万かそこら。このペースで三十万回復するには、三戦必要だ。持ち点百二十一では、まだどう考えても足りない。
「要するにこの宝箱、鍵が無ければ最初のポーションだけしかもらえないのね」
「そういうことだな、マルグレーテ。あの『ロストの探索者』とかいう謎空間でアイテムを集めたプレイヤーだけが、追加の宝を手に入れられるってことなんだろう」
「最初の空間しかクリアできなかったプレイヤーなら、ここで打ち止めだよね」
「そうだな、ラン」
「でもわたくしたちは、三つのアイテムを全て集めた。この宝箱はおそらく、二つ目のアイテムで開くはずだわ」
「そういうことだろうな、マルグレーテ。お前の持っている『愛の徴』、あれが鍵なんだろう」
「ここが凹んでるよ」
ランが指差したのは、円形に凹んでいる部分だ。
「ちょうど、このコインくらいの大きさよね」
マルグレーテが「愛の徴」を取り出した。銀色の硬貨らしき宝を。
「嵌めればいいのかしら……」
嵌めるように当てて、取り外す。しばらくあって、蓋が跳ね上がった。中にはさらに宝箱。他にはなにも入っていない。
「やっぱり」
「今度は何かな」
――装備特殊効果の無効化解除――
「やった!」
思わず叫んじゃったよ。だってこれで、ランのHPMP無限回復を始め、俺のHP吸収だとかマルグレーテの魔力増大効果が戻ってくる。戦闘力が上がるから苦戦率が下がり、それは戦闘後の獲得コイン増に直結する。
つまり、三度の戦闘じゃなくて、二度の戦闘で済むかもしれないってことさ。おまけに苦戦率が下がれば持ち点もそれほど減らなくなる。二度くらいの戦闘なら、枯渇は防げるはず。
「歴代一位再奪還の可能性が見えてきたぞ」
「ランちゃん、次の宝箱を開けてみて」
「今出すね、『魂の繋がり』を」
ランがアイテムを当てると、宝箱の蓋が開いた。
「あっ。中にコインがあるよ」
「たしかに」
赤い天鵞絨引きの宝箱の中には、小さなコインが三つ収められていた。どれも銀色で、ランやマルグレーテのコインにそっくりだ。もう中には追加の宝箱は無い。
「宝箱はもう無い。……つまり、これが最後の賞品なのね」
「三つかあ……。なんに使うコインかな」
ランは首を捻っている。
「私やマルグレーテちゃんのコインにそっくりだよね」
「ならやっぱり、なにかの鍵なんじゃないか」
「ファイナルループには、もうひとつ宝箱があるわよ」
「そっちの鍵なのかもな」
マルグレーテの言うとおり、もうひとつ宝箱がある。このすごろく場の宝箱は一度開けたら、それまで。二周目に同じマスに停まっても、宝箱は開放済みで、なにも起こらない。てことは、もうひとつの宝箱の鍵である可能性は高い。
「いずれにしろ、この宝箱で使ったのは、ちょうど探索で見つけた鍵の分だけだわ。あの罰、厳しい内容だったけれど、ちゃんと罰は消せるようになっていたのね」
「ああ。ここファイナルループまで進み、運良くこの宝箱マスに停まればだけどな」
その意味で、プレイヤーの運が試される仕組みなのは確かだ。
「ここで打ち止めか……」
「最後の宝箱だけ、あっさりしてたね。次に続く……みたいで」
「そうだな、ラン」
ポーション、持ち点追加、装備効果復活と、徐々にいい報奨になっていったんだから、もうひと押しありそうなもんだけどな。このコイン、それだけ価値があるってことなんだろうか……。
そのとき、期待もしていなかった例の声が響いた。
――賽の目、自由選択権付与――
「あっ。コイン以外にも、まだあったんだ」
「賽の目……だと」
「これって……」
マルグレーテが瞳を見開いた。
「ああ。俺が好きなサイコロの目を出せるってことだろう。今後ずっと」
●明日公開の次話からは、新章「第七章 売られた娘」に入ります。
すごろくを完全制覇しカジノに凱旋したモーブとラン、マルグレーテ。コイン一億枚を使い念願の賞品「従属のカラー」を手に入れるが、カジノで待っているはずの居眠りじいさんは、なぜかそこには居なかった……。居眠りじいさんの行方を探るモーブの前に、意外すぎる人物が姿を現す。人買い業者と共に。
すごろく大攻略で一躍リゾートの英雄になったモーブが、新たな試練に挑みます。ご期待下さい。




