6-12 泥沼の苦闘
俺が振ると、サイコロは緑色に輝いた。
「緑。……ってことは、十か。どれだ」
俺は地図を見上げた。マルグレーテは、十の目を何と呼んでいたっけ……。嫌な予感がする。
「ああ……」
マルグレーテが手を握り締める。
「コイン……二割ロスト。……致命的」
――十――
無慈悲な声と共に、俺達の体が持っていかれる。十番目のマスに達するまで。
ちゃりーんというコインの音がした。くそっ、この嫌味な演出、ムカつくわ。
「いくら減った」
――獲得コイン 3036438――
――オーディエンス・ファンディング 00438735――
――持ち点 95――
「くそっ! 七十六万くらい減らされたじゃないか」
たしかに致命的だ。
「でも投げ銭が二万八千程度増えてるわ」
多分、同情票だろう。
「合計して、三百四十七万と五千コインくらいね」
「歴代一位は、リオールさんだったよね」
天井を見上げると瞳を閉じ、ランが指でなにか数えるようにする。
「たしか……三百九十万と、五千八百二十四コイン」
端数まで正確に諳んじている。ラン、記憶力いいからな。なんたって千ページある魔導書、いつの間にか暗記してたくらいだし。
「つまり……またここから五十万コインも手に入れないとならないわ」
「しかもよく見たら、持ち点も三、減らされてやがる。金むしり取った上に点まで奪うとか、いやらしいマスだ」
沈黙した俺達を励ますかのように、オーディエンス・ファンディングは、止まることなく小銭を積み上げ続けている。
「大丈夫だよ、モーブ」
ランが俺の手を握ってきた。
「さっきのアンデッド戦、たった一戦で五十六万もコインをもらえたよ。ここから一戦だけ、戦えばいいんだ。ここはファイナルループだから、戦闘のご褒美コイン、もっと多いはずだよ」
「そうだな、ラン」
髪を撫でてやった。ランはいつも前向きで明るいから、励まされるわ。もちろんランの言うとおりなんだが、持ち点がな……。
アンデッド戦で持ち点は三十六も減った。大賢者ゼニスが居たというのに。今はもう、あのエロハゲじいさんはいない。しかもファイナルループだけに、相手は凶悪に強い。たとえ勝てたにせよ、戦闘の長期化は必須で、ダメージも多いはず。持ち点ゼロになったら、いくらコインを抱えていてもその瞬間にすごろく失敗で、全てのコインを失ってすごろく場フロアに強制送還されてしまう。
「悩んでいても仕方ない。サイコロを振るか」
「ゴールを引いちゃダメよ、モーブ」
マルグレーテが俺の腕を抱いてきた。
「わかってる」
ゴールすればすごろく成功だが、俺達の狙う「歴代一位」の座は、夢と消える。次に挑戦できるのは、一年後だ。
ファイナルループでは、全マスで地図が表示されるようだ。見上げると、こう書かれていた。
11 コイン二割ロスト <現在地点
12 仕掛けなし
13 ゴール
14 十進む
15 戦闘
16 戦闘
17 戦闘
18 宝箱
1 仕掛けなし
2 HPダメージ
3 アイテムショップ
4 罠
5 宝箱
6 戦闘
7 仕掛けなし
8 コイン一割ロスト
9 MP全喪失
10 六つ進む
ここは七か十二の目を出して、宝箱を開けたいところだ。十のアイテムショップでもいい。戦闘マスは踏みたくないが、いずれにしろコインを五十万稼ぐためには、最低でも一度は戦闘しないとならない。だから最悪という話ではない。
この局面で最悪なのは、むしろ二を出した場合のゴールマスと、十一の罠マスだ。罠ではコインが得られない上に、なんらかのダメージは必ず食らう。
「さっきはうまいことワープマスの目を出してくれたじゃないか。今度は七を頼む。宝箱、アイテムショップ、宝箱とかさ、奇跡の三連荘を俺達に見せてくれ……」
神でも悪魔でもいい。とにかく何かに祈った俺は、サイコロを振った。目は……「三」。
「『十進む』マスだよ、モーブ……」
ランの手のひらが汗ばんでくるのがわかった。
「大丈夫だ、ラン」
握り返してやったが、なんだよこれ、宝箱ふたつとアイテムショップ素通りする、意地悪マスじゃん。
「十進んだ先は、戦闘マスよっ! わたくし、詠唱に入るわ」
「私も始める」
「頼む、ふたりとも。敵がわからないから、初手は最大公約数的な魔法にしろ。敵が出た瞬間に宣言して、魔法を撃て」
ふたりが頷いた瞬間、俺達の体は前に持っていかれた。
●
「……大丈夫か」
俺は、「業物の剣」を握り締めている。強く。魔物の血が刀身を伝い、俺の拳を濡らした。温かくてぬるっとしている。そして生臭い。俺の体を包んでいた大賢者ゼニスの保護魔法は敵の執拗な攻撃に全て剥離し、すっかり効力を失っている。
戦いの前半こそ、この魔法で俺達はダメージを全く受けず敵を圧倒していたが、効果が切れてからは一気に形成が逆転した。なにしろ敵が多すぎた。ボスの随伴を何匹倒しても、次から次へと泥から顔を出してきたからな。最初に敵の全貌がわからない分、戦力の割り振りにも苦労したし。
それでもなんとか倒し切った。それは確かだろう。眼の前で、モンスターの骸が虹に消えつつあるから。もう泥からの這い出しもない。
「わたくしは……なんとか」
マルグレーテの声だ。剣を収め振り返ると、片膝を着いたマルグレーテが、よろよろ立ち上がるところだった。
「でも、ランちゃんが」
マルグレーテの脇に、ランが倒れている。きれいなドレスはもう泥まみれ、巻き毛の長い金髪が、ぬかるんだ泥に広がっていた。花びらのように。
「自分の回復を後回しにして、モーブを優先していたから」
「ランっ!」
返事はない。駆け寄った。
「手持ちのポーションを出せ、マルグレーテ。全部だ。それに毒消しも」
「すぐに」
俺とマルグレーテのポーションをあらかた振りかけるとようやく、ランは瞳を開いた。
「……モーブ」
消え入りそうな声だ。
「魔物は……倒した?」
倒れたまま、俺に微笑みかける。
「ああ。ランのおかげだ。相手は湿地帯を支配するナーガロードと、配下の蛇野郎ナーガの大群。どいつもこいつも毒を吐き飛ばしてくるから、ランが居なかったら俺、もうとっくに死んでたぞ」
ナーガロードは中ボスだ。原作ゲームではクライマックスに近いところに配置されている。そんな強ボス相手に装備品補正なしで勝ったんだから、大金星だ。心も魂も体も、俺達三人はもう強い絆で繋がっている。その信頼関係があったからこそ、なんとか勝利できたんだ。
「良かった……」
瞳が閉じかける。
「しっかりしろ、ラン」
上半身を抱え起こす。ランの体って、こんなに軽かったっけ。こんなに弱々しかったっけ。こんなに……。
「なに……泣いてるの、モーブ」
かろうじて、ランはまだ意識を保っている。
「男の子なのに、だめでしょ……」
手を伸ばし、頬を撫でてくれた。
「顔が泥で汚れちゃったね、モーブ。私が拭いてあげる」
自分がこんなにやられていても、俺の心配をしてくれるのか……。
ランの体を、俺は強く抱いた。毒蛇に咬まれ、胴を締められながらも俺に回復魔法を飛ばしてきたランの姿が、思い浮かんだ。
「ランちゃん、しっかりっ!」
泥に座り込んで、マルグレーテはランの手を握り締めている。
「傷が……」
ドレスから覗くランの肩に、蛇野郎の咬み傷がある。毒が回って、青く腫れ上がって。
「マルグレーテ、毒消しもうひとつ。あと俺のバッグに最後のポーションがある。あれもランにかけてくれ。今の一戦で、ランのMPはかなり減ったはず。MPポーションも頼む。それからお前もMPが溢れるまで回復しておけ」
「MPポーションも尽きるわよ」
「構わん」
「すぐやる」
効果が表れると、ランはようやく立ち上がることができた。肩の傷が痛々しいが、これはすごろくを出れば即座に完治するはず。あくまでここは亜空間だからな。
「モーブが勝ったんだよね」
「いやラン。俺とラン、マルグレーテが勝ったんだ」
「スコアは」
「まあまあだ」
「良かった……」
まだふらふらしながら、俺に抱き着いてきた。
「疲れた……。少しこうしていて、いい?」
「いつまででも構わん」
ぐったりしたランを抱き、マルグレーテの手を握りながら、俺はスコアボードを再確認した。ランにはああ言ったが、実は厳しい。
――獲得コイン 3129997――
――オーディエンス・ファンディング 00482155――
――持ち点 21――
コインは思ったより増えなかった。十万も変わらない。リッチー率いるアンデッド戦では、五十六万も稼いだのに。
戦闘でのコイン増は、いかに相手を圧倒するかに掛かっているようだ。だから大賢者ゼニスの初手一発、こちらノーダメで倒したときなどは、極端に増える。だが今回のような苦戦して負けるかもしれない状況からの辛勝だと、コインという面ではたいしたことはないんだろう。
歴代一位のリオール・ソールキンは、その一族にしか継承されていない特殊な魔法を使って、全戦闘で圧勝したというし。だからこその奇跡のスコアだったわけだから、考えてみれば当然か。
投げ銭はまた増えたが、合計でも三百六十一万ほど。歴代一位に逆転され、三十万も離されたままだ。
「モーブ……」
マルグレーテが、俺の目を見た。言いたいことはわかっている。持ち点だ。今の一戦で七十四も減った。残二十一では、もう戦闘はできない。戦えばたとえ勝てても、持ち点枯渇でゲームオーバーは確実だから。
しかも俺達はすでに回復ポーション全てを使い切ってしまった。今後はランの回復魔法に頼るしかない。それだけでも、モンスター戦で厳しい縛りがあるのは明白だ。
おまけにMPポーションも在庫ゼロ。マルグレーテもランも、魔法を使えば二度と補充はできない。装備効果が封印されているから、時間と共にMPが回復することもない。減るだけの一方通行だ。今あるMPを、大事に大事に使っていかねばならないだろう。
いずれにしろ、戦闘はもうできない。なのにコインを三十万も増やさないとならない。どうやって……。三十万って、歴代二位記録十一万の、トリプルスコアだぞ。
「……くそっ」
唯一思い付くのは、このまま無戦闘のまま、有利なマスばかりを踏み抜きながら、ぐるぐる周回を続けることだ。アイテムショップに停まれば、ポーションは補充できる。宝箱を開ければ、レアアイテム入手以外に、プラスの効果が付与されることもある。
そうして何時間も周回を重ね、投げ銭増加でコイン突破を狙う。……だが、ファーストループからファイナルループまで、ここまでの投げ銭を全部合わせた総額でも、四十八万。ここからさらに三十万投げてもらうには、相当な周回が必要だ。ここに立っているだけでは、小銭がちゃりんちゃりんするだけ。イベントをこなさないと、大幅な増額は期待できない。
それにもちろん、そううまくいくはずはない。有利なサイコロばかり引きながら、嫌なマスやゴールマスに停まらずに何時間も周回するとか、机上の空論。どう考えても不可能だ。だって今の俺達を見ろ。ファイナルループゾーンに入って、まだ二周目だぞ。それで既にこれだけ、ぼろぼろなんだからな。
どうすればいい……。
俺は、どうしたらいいんだ。リーダーとして……。
だが、ここで悩んでいても始まらない。ランの回復を待つと、俺はサイコロを振った。出た目は「三」。停まったのは、MP全喪失マスだった……。
●次話「最後の賭け」。すごろく編クライマックス一挙五千五百字公開




