6-8 ロストの探索者
「ここは……」
いつの間にか俺は、なにもない空間に立っていた。たった独りで。見回しても、ランもマルグレーテも居ない。
扉の向こうに吸い込まれ、意識がぐにゃっとしたと思ったら、もうここだ。これがやはり、第一の部屋ということだろう。
周囲は暗い。自分の手や体なんかは普通に明るく見えている。星も太陽も無く、なんの照明も無いのにも関わらず。左手に右手をかざしても、影すらできない。まるで夢の中のような、不思議な感じだった。
しゃがんでみると、地面はある。……というか、なにもない空間に浮かんでいるのに、なにか支えになるものの上に立っているというか。要はずっと続くガラスの床に立っている感じよ。
「こうしていても仕方ないな」
俺は見上げた。何もない空間に、残り時間のタイマーだけが表示されている。
――残探索時間 0:19:43――
「なにが起こるかさっぱりわからん以上、まず動かないと。時間がもったいない」
俺は歩き始めた。
五分くらい歩いたと思う。というかタイマーで確認したんだから、ガチ五分とちょいか。遠くに人影がぼうっと浮かんだ。ふたり。ランとマルグレーテだ。暗いのにはっきり見えているのは、俺の体と同じ仕組みだろう。
「ラン、マルグレーテ」
「モーブっ!」
俺に気づいたふたりが、手を振っている。そのままこっちにゆっくり歩いてくるので、俺が駆け寄った。
「なんだよ、空間が違うんじゃなかったのか」
「わたくしもそう思ったのだけれど……」
マルグレーテが首を傾げた。
「気が付いたらマルグレーテちゃんと一緒に居たんだよ、私」
「そうしたらモーブの声が聞こえてきて。……天国からの声みたいに、涼やかだった」
「そうそう。モーブ死んじゃったんだって、私思ったもん」
「俺がか」
「まあ仕方ないなって」
俺が死ぬ話をしているのに、ランの声も表情も平静だ。ノイマン家でサンドゴーレムロードに俺が首を落とされたときとは、全然違う。
「ランちゃんの言うとおり。人間って、いつか死ぬものね」
「マルグレーテ……」
俺は気づいた。マルグレーテの異変に。
「なあに、モーブ」
「お前、首はどうした」
「首?」
不思議そうに、自分の首をまさぐった。
「特におかしくはないけれど」
「エルフの治療布がないぞ」
「治療布……」
眉を寄せた。マルグレーテの首には、朝自分で貼った治療布が無い。あれは俺のキスマークを隠す目的だったはず。布があった場所には、俺のキスマークすら残っていない。
「お前、コピーし忘れただろ」
「コピー? なんのことかしら」
首を傾げる。
「ふたりとも、正体を現せ」
「えへへーっ」
ランが嘲笑った。
「思ったより早くバレちゃったね、マルグレーテちゃん」
「ええランちゃん」
「……どうする」
「それは……こうするのよっ!」
マルグレーテが魔法の杖を振り上げた。反射的に、それを「冥王の剣」で叩き切る。
「うわあーっ!」
叫び声を上げると、ランが後ろから抱き着いてきた。俺の腕に手を回してくる。偽物のくせに、ちゃんとランのいい匂いがするのがムカつく。
「早くやっちゃって、マルグレーテちゃん」
「詠唱時間は無いわね。短剣でいいかしら……」
護身用の短剣を抜いた。
「首を斬れば死ぬでしょ」
「くそっ!」
ランとマルグレーテの姿をしたものと戦いたくはないが、仕方ない。幸い、ふたりともスペックは本物に準じるようだ。力はない。
ランの腕を振りほどくと、「冥王の剣」を振り上げた。
●
「はあ……はあ……」
三分後、ふたりは俺の足元に倒れていた。この戦いはメンタルにくる。偽物とわかってはいても、どえらく辛かった。俺達だって戦闘に巻き込まれる。いつか来るかもしれない、ふたりの本当の死を目の当たりにしたら、俺は正気でいられるだろうか……。
ふたりの体から、虹色の煙が立ち始めた。戦闘でモンスターを倒したときと同じだ。煙と共に体が蒸発してゆき、全てが消えた後に、アイテムが残った。拾い上げると、鍵の形をした、金色の物体だ。
「クソ野郎。これが奇跡の鍵だろ」
天高く突き出す。
「早く次の空間に飛ばせっ」
俺の体は、虹色の雲に包まれた。
●
「こ、こっち来ないで」
俺が次の空間に跳ばされると、ずっと先にマルグレーテが見えた。こちらに向かい、杖を突き出している。ここも、先程と同じ、真っ暗闇の空間だ。
「俺だ、マルグレーテ。本物のモーブだ」
「うそっ。ふたりめも同じこと言ったもの」
杖を突き出す腕が震えていた。
「もうこれ以上、モーブの形をしたものを倒させないで!」
どうやら、俺と同じような経験をしたようだな。
そうか……。やはりこの空間では、幻影を見せるんだな。物理でなく、メンタルを攻撃してくるってことか。
「本物だって」
どうしようか一瞬迷ったが、剣を抜いて足元に置いた。
「ほら、剣はふたつとも、ここに置いた。俺はゆっくり歩いてゆく。だから安心しろ」
両手を上げたまま、ゆっくりと歩く。マルグレーテとの距離を、十メートル、五メートルと縮めながら。頭上を見ると、例のくそったれたタイマーが見えた。
――残探索時間 0:10:12――
くそっ。あと十分しかない。
「近寄ってこないでってば!」
目を見開いて、すがるように杖を握り締めている。
焦る気持ちを押し隠して、俺はゆっくりと進んだ。マルグレーテのすぐ前まで。
「俺は本物だ。昨日、初めてお前を裏返しにしただろ、寝台で。四つん這いにさせて。……マルグレーテお前、獣のようで恥ずかしいって、逃げようとしたじゃないか」
「……馬鹿ね、あなた」
マルグレーテは杖を下ろした。
「そんな恥ずかしいことを言うのは、モーブだけ……。もしかして、本当の本当に、本物のモーブなの」
「偽物は、どこか違和感があっただろ。俺の空間にも、偽のお前達が居た」
「確かに……」
近寄ってきた。俺が攻撃してこないのを見て取ると、抱いてくる。俺の首筋に唇を当てて。
「……モーブの匂いがする」
唇が動くと、首筋がくすぐったい。
「たくましくて判断力に優れ、わたくしをいつも導いてくれるモーブの……」
顔を離した。
「好き……」
顔を寄せてくる。キスしてやると、空間が鳴動した。構わずキスを続け、それから見つめ合う。
「愛しているわ、モーブ。きっと……ヘクトールの入学試験で、初めてあなたを見かけたときから。……知らないでしょ、モーブ。わたくしはあのときから、ずっとあなたの虜になっていたのよ」
「マルグレーテ」
マルグレーテの瞳が潤んだ。
「これは……絶対にモーブ。本物……。だって……」
抱き着いてきた。
「だって、わたくしが愛した男だもの。たとえ魔物に姿を変えられていても、わたくしにはわかるわ。わたくしを……愛してくれた男ですもの……」
俺の胸に涙を落とす。
「モーブ……。わたくし、怖かった……」
「よしよし。よく頑張ったな」
「モーブと戦ったのよ、わたくし。辛くて……辛くて……」
後は言葉にならなかった。
「いいんだ。お前は頑張った」
キスをしながら強くハグしてやる。
「モーブ……。わたくしのモーブ……」
愛おしそうに、頬を擦り寄せてくる。
「心細かった。モーブもランちゃんも居ない、真っ暗な空間に独り、送られて……」
「泣くな。もう俺がついている」
「モーブ……」
「ほら……。そこにアイテムが出現したぞ」
「……本当だ」
すぐ横の床で、なにかが輝いていた。
「あれが『愛の徴』って奴だろう。向こうに置いた武器を、俺は取ってくる。それからあれを拾え。お前のアイテムだ」
「うん」
準備が終わると、マルグレーテがアイテムを拾った。
「小さな、銀貨のようなアーティファクトね。なにかしら……」
「お前の鑑定スキルでもわからないのか」
「やってみないとわからないけれど、多分……」
「試すのは後だな。先に進もう。あと十分もない」
――残探索時間 0:07:46――
ふたりでアーティファクトを天に突き出すと、俺達の体は、次の空間へと転移させられた。
ラン待ってろ。今、助けてやるからな。
●ランとの再会を果たしたモーブとマルグレーテ。だがそれだけではクリア条件にはならなかった……。
次話「魂の繋がり」、明日公開




