6-3 新たなる旅立ち
それからしばらくは、目が回るほど忙しかった。約束通りあちこちの村に顔を出しては、宴会や八月の夏祭りに出席し、ランが例の「ヤレンソーラン」民謡を歌いまくった。どこでも大受け。元が村娘だけに、村の人達とは感性がいちばん合うみたいだな。もう何度「孫の嫁に」話を聞いたかわからんわ。
狐の泉にも顔を出してみたが、洞窟への入り口は、土砂で埋まっていた。なんでも、前日に降った大雨のせいらしい。なんとか掘って狐に会い、例の鍵についていろいろ尋ねたかったが、無理とわかった。いずれ機会があれば、じっくり取り組むつもりだ。
それに移動裁判所への各種申し立て。ノイマン家領地の仮管理執行の契約。ノイマン家領地各村の代表者を集めての説明などなど。忙しい日々が続いた。
ノイマン家が人間ではなかったと聞いて、全員、腰を抜かさんばかりだったけどな。それでも中には、「そう言えば……」と、ノイマン家の奇妙な行動について語ってくれる人もいた。
あああと、絶対顔を出せないと思っていたコルンバの奴、恥知らずにも数日後、俺達が村に行っている間に、ひょっこり屋敷に顔を出したってよ。どうにか縄だけはどこかで解いてもらったようだが、ぼろぼろの山賊のような有様だったらしい。
もちろん父親に廃嫡を宣告され怒鳴られて、屋敷から叩き出された。その後、なんでも近在で物乞いして回ったというけれど、なにせあの性格だ。元より領民からの支持は全く無かったので、それこそカビたパンをひとつくらい投げられて、いいように追い払われたらしい。
今はどこでどうしているのか、誰も知らない。多分近々、どこぞの山奥で人知れず野垂れ死ぬだろう。
そしてある日、俺達は旅立ちの日を迎えた。
●
「いよいよ旅立ちか……」
水や食料を満載した馬車を前に、父親は感慨深げだ。
「なんだか寂しいな。一緒に過ごしたのは短い間とはいえ、モーブ殿もラン殿も、私の実の子供のように感じてしまったよ」
「いろいろお世話になり、ありがとうございます」
「ここからどこに向かう」
「そうですね……」
あかつき号と会話しているマルグレーテ、ブローニッドさんと田舎のパン話に興じるランを眺めながら、俺は考えた。
「決めていません。心のままに、です」
正直な気持ちだ。街道はここから二方向に伸びている。ちょっと先の街からはさらに分岐する。どの道でも、気分次第で好きなように選べばいい。
「君がうらやましいよ」
微笑んだ。
「私も若い頃はそうだった。まだ見ぬ土地を夢見て、ネズミ鳴くボロ屋敷の屋根裏部屋から、雲に隠れる遠い山々を眺めていた」
ほっと息を吐く。
「だが私には、ここが向いていたようだ。没落田舎貴族から没落田舎貴族への婿入りが」
「いえ、シェイマスさんは立派ですよ。家と土地、領民を守る――。それこそ男の仕事じゃないすか。社畜として、誇っていいことです。なかなかそんな立派な社畜、居ませんからね」
「シャチークという存在はよく知らんが、モーブ殿が認めてくれるのなら、私の人生の選択に、間違いはなかったのだろう」
手を出してきたので、ぐっと握り返した。
「楽しく暮らし給え。そして……」
真面目な瞳になった。
「娘を頼む。……あいつを泣かせないでくれ」
「誓います。幸せにすると」
「信じているぞ、モーブ」
「はい、お父さん」
初めて、俺のことを呼び捨てにしてくれた。
「おや……」
前庭の騒がしさに、皆の注目が集まった。見ると、逞しい筋肉質の黒馬が、駈歩で走り込んでくるところだ。いや、駈歩というより襲歩、つまり全力疾走に近いと言ってもいい。おそらく、特別な魔法で継続的な全力疾走を可能にしているのだろう。跨った大男は、馬上からも相手を斬れる大太刀を腰に提げて漆黒のマントを翻し、顔を黒い仮面で隠している。
「あれは……」
腰の剣に掛けた俺の手を、父親はそっと押さえた。
「敵ではない。速駆役騎士だ。君の村には来なかったのかな」
前庭に駆け込んできた男は、馬を走らせながら懐からリレーバトンほどの赤い棒状のものを取り出し、父親の前に放り投げた。そのまま転回すると、走り去ってゆく。その間、止まりもしなければ、ひとことも発しない。
「どれ……」
棒状のものを拾い上げた父親は、蓋を外した。どうやら木筒らしい。中身が手紙だったから、あれは言ってみれば速達とかの類だろう。通常の逓信便より、はるかに早く配達するシステムと思われた。
「モーブ殿、君にだ」
ざっと目を通した父親が、俺に手紙を渡してくれた。
「モーブ……」
ランとマルグレーテが駆け寄ってきた。
「なんだろな、これ……」
見ると、ヘクトール学園長の筆跡だった。署名もある。これだけ急いで送ってきたというのに、本文は短かかった。
モーブよ
海岸都市ポルト・プレイザーにてリーナが待つ
そこに向かえ
王立冒険者学園ヘクトール学園長
アイヴァン拝
「学園長先生からだね。なんだか懐かしい」
ランが頬を緩めた。
「マルグレーテ、ポルト・プレイザーってなんだ」
念のため確認しておく。
「大陸南端にある、海岸都市ね。貿易で潤っていて豊かな街。一年中温暖で、高級ビーチリゾートとしても有名だわ」
やっぱりか。間違いない。原作ゲームで中盤頃に訪れる街だ。いろいろあって自分が勇者の末裔と知ったブレイズが、新たな情報を求めて新大陸に旅立つときに訪れる場所。言ってみれば大きな章変わりの節目の街ってところ。
とはいえヘクトールを卒業して、俺もブレイズもまだ数か月。少なくともまだブレイズがあの街を訪れる頃合いではないはずだ。あいつはまだ「初級冒険者編」のシナリオを、順次こなしているところだろうからな。
「なにか大事件かな」
「いやラン。それなら事情を書くだろうし、『急げ』くらいは指示があるだろ。事件というより、なにかリーナさんと話をさせたいとかじゃないか」
「そうね。わたくしもそう思う」
「養護教諭のリーナさんには、すんごくお世話になったし。できれば会いたいねー、モーブ」
「そうだな、ラン」
十八歳の、初々しい女子大新入生然としたリーナさんの笑顔が、脳裏をよぎった。
「どうする、モーブ……」
マルグレーテとランに見つめられた。ふたりは俺の決断を待っている。
「よし、向かってみよう」
俺は心を決めた。
「どうせ心のままに進む旅だ。いつものように寄り道しながら面白おかしく旅しようじゃないか。真冬だろうが水着で遊べる街なんて、期待できそうだしな。俺達の旅先にぴったりだ」
「いいねー。素敵……」
「わたくしも、ちょっと楽しみかも。ランちゃんやモーブとビーチリゾート……」
甘えるように、マルグレーテが指を絡めてきた。
「新婚……旅行みたい」
言ってから、みるみる頬が赤くなった。
「やだっ! い、今の忘れてっ!」
ぱっと頬に手を当てる。後ろを向いちゃったか……。
「楽しみだねーモーブ。また水着で遊べるよ、三人で」
「おう」
ランを抱え上げ、馬車に乗せる。続いて、まだ真っ赤に発熱しているマルグレーテを抱き上げる。俺の首に腕を回してきたマルグレーテも、御者席に座らせた。ふたりの間に、俺は陣取る。
「お父様、旅先から手紙を書くわ、わたくし」
馬車の席から、マルグレーテが振り返った。顔が熱いのか、扇子でぱたぱたやっている。
「待っているぞ、マルグレーテ。……かわいい我が娘よ」
「モーブさん、娘をお願いしますね」
「わかっています、マレードさん……お母さん」
「そう呼んでくれて、嬉しいわ」
微笑んでいる。
「ここをふるさとと思ってね。今は無い、あなたとランちゃんのふるさとの代わりに」
「みなさんもお元気で」
「モーブさん」
「モーブ様」
「モーブ殿」
両親とブローニッドさん、ヨーゼフさんが手を振って見送ってくれる中、俺達の馬車は、ゆっくりと街道を歩み始めた。新たな目的地に向かって。
からっからに明るい八月の朝日が、俺達の未来を祝福するかのように輝いている。目的地は……海岸歓楽都市ポルト・プレイザー。
●第二部ご愛読ありがとうございました。明日公開の次話は、第二部愛読感謝のエキストラエピソード「養護教諭リーナの夢。もしくは枷。もしくは世界の裏側」。ヘクトールから解放された後の彼女が「羽持ち」の謎を調べて回る、リーナさん視点のSS。4500字と二話分の大ボリュームを一挙公開!
●その後の予定
明後日朝、第三部予告公開。その日の夜に第三部第一話公開開始。
第三部の舞台は海岸歓楽都市ポルト・プレイザー。「第一章 甘くとろける真夏の日々」「第二章 行き倒れエルフ」「第三章 リゾートの水着跡」「第四章 アルネ・サクヌッセンムの影」「第五章 カジノ攻略クエスト」(以下続章)と、続きます。もちろん毎日連続公開です!




