栄えた国ストレア
木々が生い茂る森の中を男が一人歩いていた。
木漏れ日に照らされた彼は、その光ごと吸収してしまうかのような黒いローブを足元まで覆っていた。そのせいか、普通に歩いているはずなのに地面を滑っているように見える。
黒い服を身にまとう彼は色白で、顔から上だけが唯一の色素だった。
髪の色は濁った雨のような、青みがかかった薄鈍色で、瞳の色は踊るような炎の色。
彼は旅人だった。しかし、普通の旅人ではない。彼は魔法使いだ。
旅の目的はたったひとつだけ。母校の教師になることである。
何故、教師になるために旅をしているのか、それは彼にもわからない。
就任しようとした矢先に、上司からお前を育成するための人手が足りなさすぎるから、とりあえず一年以上は旅にでも出て経験を積んできてくれと言われる始末。なんということだろうか。憤慨よりも先に呆れが襲ってきたのは良い思い出だ。
要するに、現在進行形で体よく就職を先延ばしにされているのである。人手不足というだけで。
人手不足なんだったら早々に即戦力にして貰えれば良かったのだが、我が母校は腐っても由緒正しき魔法学校。いくら学生時代が有能であっても、然るべき育成を受けなければ難しいであろう。
無理やりとはいえ経験を積んでこいと言われたのだから、それなりの経験を積まなければ戻れない。
なにせ彼が学生時代の時から、母校には優秀だがしかし一癖も二癖もある生徒しか集まらないのだ。未熟な新任では確実に馬鹿にされ、認められないだろう。
旅に出るというのはそういう意味では良い経験にはなるはずだと最近は思い始めている。というか、思わないとやっていられない。
閑話休題。そんな彼が目指すのは森を抜けた先にある国、ストレア。かなり栄えた国らしく、さまざまな種族が集う国でもある。
〜〜〜
「ご入国の方ですか? 身分証明をお願いします」
彼は身分証明書を提示した。彼の身分証は、魔法学校を卒業した際作られたものだ。専用の装置に照らし合わされて、正常な白い光が灯る。
身分証明書は魔力で作られるものだ。冒険者協会の冒険者登録のカードとはまた少し異なるが、身分証明書は最初の登録の際に、自らの血液を媒介とし作成される。
それはとても強力なもので、一定以上の特殊な魔力で作られたものは、本人でないものがそれを使った場合、その偽物に電撃が走る、なんていうのもある。
だがそんな強力な身分証明書を作るのは、賢者や聖光などの特別職のみだ。特別職は成りすましだけでも重罪である。死刑とまではいかないが、牢から出ることはできないだろう。
しかしながら、彼のものも含めた普通の身分証明書は、偽物に成りすまされた場合、精々カードが赤く光る程度である。
入国手続きの厳しさは国によって異なるが、今回のストレアはかなり高いと言ったところだろう。
ストレアは別名、栄えた国とも呼ばれるくらい様々な種族が集まり、栄えている国だ。その上、観光地でもあり、他国からさらに人が集まる。多少時間がかかれど入国審査は厳しくせざるを得ないだろう。入国審査で本人証明が行われると、国内で犯罪が起こったときにすぐに犯人を特定できるからだ。
しかし、ストレアは観光名所として有名なため、一日の入国者は多い。あまり厳しくしすぎると入国手続きだけで一日が終わってしまう人もいるだろう。その辺は難しいものだ。
「シーラさんですね。確かに確認いたしました。ようこそ、ストレアへ!」
長かった入国審査も終わり、やっとの思いで入国する。石造りの門を抜けると、活気的な街並みが広がっていた。
話に聞いていた通り、歩いている人々は多く、種族も様々で、一般的なヒト族に、獣耳の生えた獣人や、耳の尖ったエルフ、体が鱗で覆われた蜥蜴人などなど。
ストレアの一番の観光名所は、この集まった様々な種族でもあるとされる。さすがは観光名所だ。
かなり長い間森を歩いてきたので、少し休憩しようと考え近くの喫茶店に入る。やはりというべきか混んでいた。
「いらっしゃい、ご注文はなににします?」
「紅茶を一杯お願いします」
人の好さそうな店員に案内されて窓側の席に案内される。日を浴びて、きらきら光っている海がよく見える席だ。少し待つだろうかと思ったが杞憂だったようだ。
まもなくして紅茶が運ばれてきた。紅茶を置いた後、店員が申し訳なさそうに目尻を下げて言葉を放つ。
「すみませんが、お客様。少々混雑しておりまして......ご相席いただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんかまいませんよ」
ああ良かったと言わんばかりに店員は謝礼を述べ、席を離れていった。
それにしても相席ははじめてである。変人じゃなければいいがと思っていたが、店主に案内されてシーラの目の前に座ったのは、まだ幼さの残った中性的な顔立ちの相手だった。性別は全くわからない。
しかし、おそらくだが目の前の相手は......
「はじめまして、お兄さん。ご相席ありがとうね」
「いいえ、とんでもない。はじめまして、私はシーラといいます。あなたは......もしかして精霊の方ですか?」
突然の問いかけに目の前の相手は驚愕し、警戒をにじませた。シーラは慌てる。
「ああ、突然申し訳ありません。えっと、私、魔法学校を卒業した者で......当時の先輩にも精霊の方がいたんです。雰囲気が似てらしたので、もしかしたらと思って訪ねたんですが......お気を悪くされたのなら申し訳ないです」
「なんだ、そうだったんだ! いきなりそんなこといってくるもんだから、てっきりボクのこと捕獲しようとしてる人なのかと思っちゃった」
パッとおどけたように話すが、瞳に残る警戒の色は消えていないようだ。それもそうだろう、初対面で数秒もしないうちに自分の正体を見抜かれたら誰だって警戒する。
しかし、シーラはどうしようもなく目の前の精霊という相手に興味をもった。
「もしよろしければ、お名前を伺っても?」
「全然いいよ! ボクの名前はフェリシア。さっきいわれた通り精霊で、今は旅の途中なの」
フェリシアは、青紫色の髪を揺らしながら答える。なるほど、まさにブルーデイジーの花のようだ。
「フェリシアさん。また突然で突拍子もないですが、私、あなたに興味があります。初対面で失礼なのは重々承知の上です。ですがここでご相席できたのも何かの縁、よければあなたの話を聞かせてください」
普段のシーラならこんなことは絶対にしない。しかし、それを覆すほどに、目の前の精霊という相手は珍しい。思えば、学生時代も当時の先輩しかあの学校に精霊はいなかった。
フェリシアは呆気にとられた様子であったがすぐに笑みを深めた。
「随分ストレートにいうね。いいよ! けどそのかわり君の話も聞きたいな、聞かせてくれるかい?」
「私の話でよろしければ。」
「君の話がいいのさ。他人との繋がりはとても大事なことだとボクは思っているからね。君の旅の目的はあるの?」
「私の旅の目的は”教師になるため“です。
話は私が魔法学校を卒業した時まで遡るんですが、全部を話すと長くなってしまうのでそれは略します。
『一年以上旅をすること』それが我が魔法学校の最終試験……という名の新任の先延ばしですね。それで旅をしているんです。
他人と関わりつつ、色んなものに触れてからじゃないと新任として認められないみたいな話をされました。理由はなんであれ、結局そこは変わらないですから理にかなってるといったらかなってるんですけどね……」
「へぇ、とっても面白そう!」
結構伝統的な学校のはずなんですが、こういうところは適当ですよと言葉をこぼす。
そんな話をフェリシアは面白そうに身を乗り出して聞いていた。案外年下なのかもしれない。警戒心はもうかなり薄れているようだ。
「ねぇお兄さんは旅が終わったらその学校で教師になるんでしょ? その学校ってどこにあるの? どんなところ? 魔法が使えれば入学できるの? その学校には多種族もいる? 教えてよ!」
「ふふ、魔法学校が気になりますか? 私は教鞭を取るはずですよ。何事もなく旅が終われば、の話ですけど」
その幼さの残る無邪気な様子に、思わず笑みが溢れる。おそらくこっちの方が素であろう。
「学校は島にあります。
大陸からそれほど離れていませんが、島丸ごと学校なので、街に出るときや島に入るときは転送魔法を使うか、ひたすら空を飛ぶか、の二択になります。なかなか良い所ですよ。学ぶための環境が整っています。
まぁでも厳かな外見に似合わず狂ってるところも多々ありますけどね。入学については色々ですけど、魔法学校ですから魔法が使えないと入学はできません」
「入学って試験とかあるの? 厳しい??」
「受験方法による、としか言えませんね。でも貴方だったら種族的にすんなり入れるかもしれませんよ。こんなこというのは失礼ですが、精霊は珍しいですから。興味があるなら学校に紹介しましょうか?」
「いいの!?」
身を乗り出して食いつくフェリシア。目は興奮を隠しきれずキラキラと輝いていた。
「ええ、もちろん。それにしても、貴方ほどの精霊でも学校で学びたいことなんてあるんですね。精霊はみな魔術に優れているとお聞きしたのですが」
「あーそれはそうだよ。でも、お兄さんの学校って『ヴィンセント魔法魔術学校』でしょ?
島丸ごと使って学校なんてそうそうないもんね。ヴィンセントは世界中から色んな種族がくる学校なんでしょ? ストレアなんか比べ物にならないって聞いたよ。
僕は色んな種族から色んな話が聞きたいの! それで色んな価値観を知りたいんだよね。
だから今はとりあえずこの国にいるんだけど、学校だったら話は違うわけじゃん?
学校なら他人より少し距離が近い分話しかけやすいし、話してももらいやすいでしょ? 国と学校じゃ全然違うんだよ! だからボク、色んな種族がいる学校に行きたかったの!」
「そういう研究家思考の方は、あの学校ではいい経験を積めますよ。少しだけ、お待ちいただけますか?」
黒いローブの中から棒切れを取り出す。それは瞬く間に精巧な杖へと変わった。
それをくるりと回すとどこからともなく紙とペンが出てくる。
「物質転移です。旅のためという名目で色々魔道具を学校から借りてまして、そのうちの一つに入れてるものなんです。だから今の私なら結構簡単に出来ます」
出てきた紙にさらさらといくばかの文字を書き、空中に杖で陣を描く。
陣は形を成して、空中にはっきり浮かび上がる。その上に先程の紙を置くと、吸い込まれるようにして消えた後、後を追うように陣も消滅した。
「さっきの紙は遠くの人に送ったものなので、魔法陣を描いたりしてちょっとした工程を挟まないといけないんですよ、私だとね。今は昼休みなのですぐに返事が来るはずです」
「今の紙なんて書いて送ったの??」
「それはお楽しみ。あ、戻ってきました。いつもより早いですね」
小さな光とともに何枚かの紙がひらひら落ちてくる。どれもぴかぴかの上質そうな紙だ。
その中でも一番存在感のある漆黒の封筒を、フェリシアに差し出した。
「えっと……もしかしてこれって……!!」
「はい、ヴィンセント魔法学校の推薦状です。行く気ならば今日からでも試験を受けられますよ」
「本当にいいの? こんな道端でたまたまあっただけみたいなものなのに……」
「それについては大丈夫です。
もとより素質がありそうな子がいたら、スカウトしてきてくれって言われていますし……素質がある子はきっと学校でも喜ばれます。
自由な学校ですので、あまり平和とは言い難いかもしれませんが、魔法については生徒も教師も日々研究しています。
ですからもし入学するのであれば、貴方はかなり協力させられるかもしれません。何度もいいますし、貴方が一番分かってると思いますが、精霊は貴重ですから。
でも、それ以上に貴方にとっての収穫も多いと思います」
「そっか……じゃあ、これからお兄さんのことは先生って呼ばなくっちゃいけないね。よろしく、先生!」
「ずいぶん気が早いですね。言っちゃなんですが、ちょっと免除されるからとはいえ試験はなかなか厳しいですよ?」
「それは平気。だって、こんなチャンス無駄にするほど、ボクは馬鹿じゃないからね! 試験だってきっと合格してみせるさ。だからお兄さんが正式に先生になったら、ちゃんとボクのこと教えてよ。約束だからね」
ふわりと微笑む。いつのまにやら窓から入ってきた柔らかな風が、フェリシアの青紫色の髪を揺らした。自信に満ちた瞳が輝く様を間近で見て、精霊とはいつ見ても綺麗なものだな、なんて場違いなことを思った。
「では、楽しみにしています。いつか学校でお会いできる日を、心から」
微笑んで、一礼して、立ち去った。もちろん、お代はきちんとお支払いして。
旅は続く。彼に課せられた旅をする期間。それはとてもあやふやな一年以上という期間。
一年経ったら終わりでいいのか、それとももっと、あるいは世界を回るまで続くのか。
そしてはたして来年度には学校の人手不足もなくなってるだろうか。
少なくとも、半年と経っていない今では考えることも無駄であろう。
だから、旅を続ける。いつかそれが終わり、彼が教鞭を取るまで。それまで旅は続くのである。