無色透明
私の世界に、指を入れないで。
快楽が好きだ。
快楽に身を委ねている時、私は私であることを忘れられるから。
自分が何者であるとか、何のために産まれてきたとか、将来への不安とか、そういう瑣末なことを忘れて、曖昧になる肉体と世界の境界線を漂うことができるから。
極彩色の電飾が怪しく照らす部屋の中で、私はただ自分の身を駆け巡る荒々しい快楽を貪る。そこには承認欲求も、恋慕も、醜く蕩けた情愛もない。あるのはどこまでも透明で純粋な、渇きにも似た欲求だけだ。
ーー全身を貫いた真白な波がようやく落ち着き、溶けていた肉体の感覚が戻ってくる。世界に帰ってきた感覚に一抹の寂しさを感じながら、私はポーチから煙草を取り出し、火をつけた。清涼感を伴った冷気が喉を灼く感覚に快楽の名残を感じていると、先ほどまで一心不乱に腰を振っていた男が頓狂な声をあげた。
「煙草、吸うんだね」
その語尾には、「女の子なのに」という気持ちの悪い含みが込められていた。
「うん、たまに吸いたくなるんです」
気だるげな気持ちを堪えて馬鹿そうな女を振る舞うと、男は気を良くしたのか口角を持ち上げた。
「彼氏の影響?」
「違いますよぉ、興味あっただけです」
「へぇそうなんだ」
一回り近く歳上の男がパーソナルスペースに土足で踏み込んでくることに吐き気を覚えていると、男はそれに気づく様子もなく続けた。
「それにしてもすごく上手かったけど、随分遊んでるんだね?」
「遊んでないですよぉ」
遊んでる。
「嘘だぁ、経験人数めちゃくちゃいるでしょ?」
めちゃくちゃいるに決まってる。
「全然いないですって! 動画とか見て覚えただけで、こういうのも今回が初めてです…」
「えぇ〜、なんか得した気分だな」
本当に気分だけ。こう言うとなぜか大抵の男は有頂天になる。本当に簡単で面白いくらいだ。
身体を一度重ねただけなのに、よくこういう男がいる。きっとこういう男は、身体を重ねただけで自分が特別な「何者か」になれたと思い込んでいるんだろう。
勝手に自分が認められたと勘違いして、そこに何かしらの「関係」ができたのだと盲信してその後を期待するこういう輩は、それだけで反吐が出るほど嫌いだ。私が受け入れたのはあなたの足の付け根であって、あなたではない。
私は相手を「道具」としてしか見ていないのに、相手は私を「人間」だと思ってる。そうなったら関係は終わり。
「〜〜〜」
なにかしらのキザな言葉を吐いた男がシャワーに向かう背中を見届けて、すっかり平常に戻った私は脱ぎ散らかした服を身につけた。
ベッド横のサイドテーブルの上に部屋代の半額を放り投げて、男の上機嫌な鼻歌とシャワーの音を尻目に部屋を出た。二度と会うことはないだろう。
ホテルを出ると、初秋の風が心地よく頰を撫ぜた。
男の汗が身体に纏わりつく、粘度を孕んだ気持ち悪さを振り切るように、私はその場を後にした。
私が快楽を求めるのは、それ自体が愛おしいからだ。渇いて止まない欲求の深奥を埋めてくれる行為自体が好きで、そこにそれ以外の何も求めていない。
好きじゃなくても身体は重なるし。
愛しくなくても愛の言葉だって吐ける。
そこには、何もいらない。
「私」も、「あなた」も。
無色透明な、「それ」だけでいいの。