私、聖女ではありませんわ
――――私、聖女ではありませんわ。
お嬢様はいつも申しわけなさそうな顔でそうおっしゃいます。
はいはいそうですね。お嬢様は“聖女”ではなく、“聖女代理”です。
たとえ全国民がお嬢様のことを“大聖女様”と呼んでいたとしても、書類上は“聖女代理”なのです。
こんなめんどくさいことになったのは全てあの聖女教会のくそった……げふんげふんっ……お馬鹿な連中がお嬢様を暗殺しようとしたことが原因です。
敵が仕掛けてきたのはお嬢様の9歳の誕生日。お嬢様の大好物の苺のパイに毒を仕込んだのです。裏切ったのは中堅の侍女でした。
お嬢様は一命をとりとめましたが、無邪気で明るかったお嬢様はすっかり人が変わってしまわれました。
いつも笑顔で、元気に庭を駆け回っていたのに、部屋の中にとじ込もっていることが多くなりました。
誰とでもすぐに仲良くなって、物怖じせずに話しかけていたのに、すっかり人見知りになってしまわれて……。
あの可愛らしい声を聞くことがほとんど無くなったと、使用人仲間も痛ましく思っていたのです。
10歳の時、王子殿下の婚約者になられてから少し笑顔が多くなりましたが、逆にひどく辛そうなお顔をなさっていることも多くなりました。
ある日、ひどく夢にうなされて、夜中に飛び起きたお嬢様は、私にしがみついて泣きながら、夢の話を打ち明けてくださいました。
毒で死にかけて以来、何度も同じ夢を見るのだと――――。未来の王子殿下とお嬢様と“本当の聖女様?”のたどる運命を、私に話して下さったのです。
お嬢様が聖女と呼ばれるようになったのは、3歳の頃。魔物の大群に襲われた小さな村を、幼いお嬢様がお父様や護衛の騎士とともに、聖属性の結界と治癒回復魔法で救ったことがきっかけでした。
それ以来、まだ聖女教会から正式に認定されてはいなくても、お嬢様は周囲から“聖女”と呼ばれるようになったのです。
でも、お嬢様の夢によると、15歳のお嬢様の前に、覚醒した“本当の聖女”が現れ、お嬢様の婚約者の王子殿下がその聖女に恋をするというのです。
嫉妬したお嬢様は聖女をいじめ、ついには闇の禁術に手を染め、聖女の魔力を封印しようとして返り討ちにあってしまうのだとか……。
いろいろと突っ込みどころ満載ですよ、お嬢様。
私はすぐに旦那様に報告いたしました。旦那様は国王陛下や側近の方たちと話し合われ、その席に私も呼ばれました。
たいへんおそれ多いことですが、かしこまってばかりではいられません。お嬢様の未来がかかっているのですから。
お嬢様の夢をただの夢として切り捨てることはできませんでした。
お嬢様は以前、まだ会ったことの無い人物の顔の特徴を言い当てたり、その日の出来事を予言したりして周りの人々を驚かせたことがあったからです。これも全て夢で見たのだとお嬢様はおっしゃいました。
ただ、お嬢様の話の中におかしな部分もいくつかあったのです。
話し合われた皆様の結論は、“闇の魔法による暗示”。お嬢様が何者かによって記憶と心理を操作されている可能性が高い――――というものでした。
闇の魔法の中に、幻聴や幻覚、思い通りの悪夢を見せることのできる“暗示”という術が有るのです。
“何者か”はおそらく“聖女教会”です。
聖女教会が最大の支援国である帝国の皇女様を聖女に認定しようとしているという噂があります。
でも、それは無理なのです。どの時代も聖女はただ1人。2人以上の聖女が同時期に現れたことなど、これまでに1度もありません。
そして私たちは、覚醒した聖女がすでにいることを知っているのです。
お嬢様はまだ小さくて、覚えておられないかもしれませんね。でも私はけっして忘れませんよ。あの日、母に抱かれて震えていた私が見た奇跡――――聖女の覚醒の瞬間を。
ですからお嬢様。あなたが新たな聖女に出会うわけが無いのです。
新しく聖女が覚醒するためには、前の聖女は死ぬか、魔力を封印されていなければならない。そして、魔力を封印されると人は永遠の眠りにつくと言われています。つまりは死ぬのです。
“新たな聖女の覚醒”
それは“お嬢様の死”を意味しているのです。
あの日、村のみんなを助けてくれたお嬢様の侍女見習いとして召し上げられてから、私なりに必死に勉強したのですよ、聖女様のことを。
調査の結果、やはりお嬢様には“闇の魔法による暗示”がかけられていました。 聖女教会の攻撃は2段階に分けられていたのです。毒殺に失敗した時には、闇の魔法の暗示によって自殺に追い込もうとしていたのでしょう。
お嬢様は治療師や王宮魔術師たちによって闇魔法を解除され、悪夢を見ることはなくなりましたが、植え付けられた(自分は偽物の聖女)という思い込みが、お嬢様の中から消えることは無かったのです。
でもね、お嬢様。もっと周りを見てくださいよ。
苺のパイで毒殺されかけてから甘い物が食べられなくなったお嬢様のために、料理人が四苦八苦と用意した甘くない新作のお菓子。それをお嬢様が召し上がる時の、つんとした表情で取り繕った嬉しそうな顔。それを見た殿下や使用人たちの幸せそうな様子。
魔力が大きいせいで小さな動物に怯えられ、悲しいのをこらえて涙目でにらんだような顔になるお嬢様をはらはらと見守っているみんなの表情。
殿下から大きな魔力も恐れない魔馬を贈られ、お嬢様が幸せそうに魔馬の世話をしている様子をとろけそうな顔で見守っている殿下の顔。
愛されてますよお嬢様。もう、いつどこからピンクの髪の“本当の聖女”が出てきても、絶対に負けませんよ、お嬢様。
“ピンク色の髪の本当の聖女様”
そうなんです。お嬢様の夢のお話で一番の突っ込みどころが“そこ”なんですよ。
お嬢様は「本当の聖女様はとても目立つピンク色の髪をしているから、見ればすぐにわかるわ。ほら、私に苺のパイをくれたお友達にそっくりのピンク色よ」――――とおっしゃる。
ですが、私はお嬢様が3歳の時からずっと側におりますが、ピンクの髪のお友達なんて見たことも無いのですよ。
あの苺のパイの事件の時も、ピンクの髪の少女なんていませんでした。
つまり、お嬢様の過去の記憶も闇の魔法の暗示で改変されている可能性がある――――ということのようなのです。
いや、そもそもピンクって……。私、生まれてから1度もピンクの髪の人になんて会ったこと無いですよ。染めるにしてもピンクって……無いわー。
魔法学院の卒業の時、陛下がお嬢様に頭を下げられました。
「そなたの言う“本当の聖女”がいつか現れるなら、それまでで良い、“聖女代理”として民のために尽くしてはもらえぬだろうか」と――――。
お嬢様は“聖女代理”を引き受けられました。
この頃には、聖女教会は、ほぼ解体されて求心力を失っていました。
誰がやったのかって?
私のような一介の侍女にそんなこと、わかるわけが無いじゃないですか?
ああそうそう、「ピンクの髪なんて」って言ってましたけど――いましたよ、ピンクの髪。
なんと、帝国の皇女様です。例の聖女候補ですよ。
なんでも、皇帝の庶子で、我が国で平民として暮らしていたところを、たまたま帝国の外交官が発見して連れて帰ったのだとか……。
なぜか学院の卒業パーティーに帝国の外交官枠を使って来賓として出席して来たのです。
美しいというより可愛らしい感じの皇女様で、清純で淑やかな女性に見えたのですが――――被っていた猫はすぐに脱げました。
殿下にエスコートされるお嬢様を見たとたんに、激しくののしってきたのです。
――――なんであんたが聖女なのよ!
――――聖女は私よ、偽物聖女!
――――面倒なこと全部すっ飛ばして、2作目の帝国ルートに入っちゃったのがいけないの?
――――私は悪くないわよっ。だって本物の皇女様だし。本物の聖女だもの!
皇女様は騎士たちによって丁重に御退場いただき、すぐに帝国に送り返されました。
以後、2度とピンクの髪を目にすることはありませんでした。
さて、ここからは王子殿下に頑張ってもらわないといけませんね。
大丈夫ですよ、殿下。みんな殿下の味方です。
ただし、もしもお嬢様を泣かせるようなことが有ったら――――わかってますよね殿下?
野暮かな? と思ったのですが、書いてみました。
誤字報告助かりました。
ピンクの髪の本当の聖女の唐突な出現についてのご指摘、ありがとうございます。
少しでもわかりやすくしようと頑張ってみました。
私の文章も、突っ込みどころが満載ですね。
ちょこちょこなおしていこうと思います。
これからもよろしくお願いいたします。