2話 スポーツターボ
川本は勿論結婚していて幼い一男一女の父親だ。買って貰ったのは7月、ランサーでの営業中、足立公園を通り掛かったら、ドノーマルでフルオープンにしたジープの荷台に自分の子供二人、妹の子供二人の四人を乗せて緑濃い山道を得意気に下りてくる川本を見掛けた。子供はかわいがってるようだ。
俺の会社は基本、自分の車で営業するが準社用車扱い。社用車とはお客に試乗して貰うデモカー、全車種用意するのは不可能なので、営業社員に買わせた車も試乗させる。これが準社用車。手当てが月に1万円ぽっちだが一応出る。
新車セールスマンの真骨頂は1台売ってからだ。定期的なアフター訪問により深くその家庭に入り込み、2台目3台目と販売できてやっと本懐達成だ。
俺にはジープは門外漢だった。アフター訪問を掛けても、話題をジープに振られるとシドロモドロになる。川本はできることならあまり頻繁に訪問したくない類の客だった。
川本のホテルやまなみは二車線の国道10号線に繋がる路地裏にある。普通に路駐すると離合できないのでホテルの壁にペッタリくっ付けて溝蓋に左側タイヤを載せる。時々、俺と同じ歳の妹婿の鷺山が停めているときがあって困った。
古き良きラブホテルの名残を残すコの字型の敷地に入って事務所のドアをノックする。ガチャっと解錠の音がしてドアが開く。時折、気難しい顔をしていることがあった。俺は拙いときに訪問したかなと気落ちする。
「買ったお客んところに生真面目にアフターで来てくれるんはありがたいんやが、乗用車に乗っとるもんと話しても楽しゅうないんよな」
「用があったら連絡するけ、そう初中来んでもええよ」
「まぁ木村さんがジープ買うって言うんなら話は別やが」
「足の関係でジープのクラッチは踏み難いもんで、パジェロでも良いですか?」
俺の想定外の反応に川本は呆気に取られる。
「俺は冗談のつもりで言うたんに、本気にしたんな」
「私はいつでも本気です。ちょうどランサーに飽きてたんで、踏ん切りがつきます」
これが俺の性格だ。川本の顔がぱっと明るくなる。
「そうな。一緒に走れるんならパジェロでも大歓迎や」
「そうな!そうな!」
ハードな地形を走破する車としては、長らくライセンス生産のジープとランドクルーザーしか無かったが、毛色の変わった四駆として、MB自動車はジープの派生車のパジェロを世に送り出していた。パジェロの発表は昭和57年、発表時、キャンパストップにターボモデルは無かったが、59年、ノンターボがドロップされて、新グレードがラインナップに加わった。その名もパジェロ・スポーツターボ。
今、俺が準社用車として仕事に使っているのはA175ランサーターボのGT。排気量は1800CC、この時代は国内用と輸出用はだいぶ仕様が異なっていた。輸出用は排気量が2000CCで、見た目も大型バンパーが装着され迫力が全く違った。会社のカスタマイズが好きな奴は、わざわざ輸出用の大型バンパーを取り寄せて車を決めていたが、2000CCにボアアップしている奴は居なかった。
誇らしげに、
――パジェロスポーツ・ターボ登場――
モノクロの大きなポスターが販促品としてMBから送られてきた。店頭課だった俺は何故か惹かれて持って帰り、若園の1Kの独身アパートの部屋の壁に貼った。
ランサーとは重量が違うものの、2000CCターボの威力、体験してみたいと漠然と考えていた俺だが、川本にシープを販売してから四駆が少し身近に感じられるようになっていた。
川本に販売した年の12月、これも縁か、小倉競馬場に勤務しているというお客が店頭にパジェロ・スポーツターボのカタログを貰いに来た。真剣に検討するという。
これはラッキー、俺の商談は熱を帯び、何とかそのお客を口説き落とした。それが寺島だった。
パジェロの納車待ち期間は約三ヶ月、納める前の新車の調子がおかしかったせいもあって、会社で唯一パジェロを所有していた整備課の係長・瓜生と一緒に、寺島には悪いが、ちょっ試走させて貰った。さすがシリウスG63B・2000ターボ、NAエンジンのアストロン2000を積んだジープのようなかったるさは全くない。
パジェロスポーツターボの値段は170万ぐらい、決して高い車ではなかったが、北九州では俺も含めて所有者は8人だった。3人目は下関三菱から買った宮川さん、4人目が俺の会社の曽根営業所から買った上田さん、5人目が俺の二年先輩社員から買った古庄さん、6人目が俺が売った山本さん、7人目も俺が売った松田さん。最後の8人目も俺が売ったが、業者を通したので名前は忘れた。三洋証券に勤めていたが、すぐ静岡に転勤になって新車の納車は陸送した。
俺の思考は極端だ。スポーツターボだけしか認めない。パジェロにはメタルトップワゴン、ロングもあったが、売れてもただの飯の種、スポーツターボが売れたときだけ天にも昇るほど嬉しかった。
俺は入社二・三年のぺーぺー社員だが誓って言える。パジェロ・スポーツターボを売ることができたのは俺の他にはベテラン社員の柿本と西村だけで、各一台ずつ売った。
この頃の俺の会社は見積もりも注文書も何でも手書き、全くOA化されてなかった。川本との約束通り、6月、俺は二階の業務課に上がって、カウンターの上にある発注ノートにパジェロ・スポーツターボ・赤・木村と書き込む。暫くして業務課の係長・田尻が階段をドタバタとかけ降りてきた。
「木村君、簡単に注文してきたが絶対に買えよ。キャンセルは効かんぞ。こんな車、ねまっても買う客なんか居りゃせんのやからな」
「キャンセルする気なんか全くないです。欲しいから注文したんです」
田尻が慌てるのも無理はない。当時、パジェロは滅多に売れる車ではなかった。失敗して在庫にでもなろうものなら、金利負担に喘ぐこと必定だ。