若禿(スナックメルローズⅠ)
夕方、パチンコ屋の駐車場まで戻って来た俺ら、このまま解散するのが無性に虚しくなる。俺は一計を案じた。
「盛り上がるんはまだまだこれからやで。名倉、メルローズのママとももえちゃんにこの前一緒に行ってくれたお礼言いに行こうや」
お礼と言うのはこういうことだ。俺らのツーリングは助手席には必ず女子を乗せるのが鉄則だ。じゃないと一人の奴は何も楽しめない、行く気も失せる。名倉と奈美ちゃんを志賀島に招待するためには、後二人、女子を調達する必要があった。で、古庄さんがメルローズのママとももえちゃんに頼んで来て貰ったという次第だ。
モモエちゃんに関しては、ちょっと書いておきたい。俺は当時の彼女の顔を今でもはっきりと覚えている。小倉北区の黄金町の市営住宅に住んでいた。当時、彼女は40歳前後ではなかっただろうか、俺は31か2だったと思う。クリスマスイブ当日だったか前だったかははっきり覚えていないが、クリボッチの俺と宮川さんはメルローズに飲みに行った。宮川さんは俺の10歳上だから、40か41だ。
世間はクリスマスで浮かれていた。飲み屋街も例外ではない。そんな男女の聖なる夜に独り身男二人、寂しく飲んでいることに同情してくれたももえちゃん、店が終わって自宅に招待してくれ、料理も作ってくれた。ほとんど自炊してなかった俺は、ももえちゃん、どんな料理を作ってくれるのだろうと期待感いっぱいだ。すると彼女、電子レンジを最大限に利用した、結構な品数の料理で俺と宮川さんをもてなしてくれた。
まだ女として十分通用する年齢のももえちゃんの家に男二人、どうして変な気を起こさなかったのか不思議だ。あれから30年以上、これを書いている俺は還暦過ぎ。今なら許容範囲、間違いなく襲い掛かっていただろう(笑
何時までももえちゃんの家にお邪魔していたかは全く記憶にない。酒も飲んだだろう。でも、ちゃんとお暇して帰ったことだけは完璧に覚えている。俺にとって、十前後年上女子は恋愛対象外だったのだろう。その上、俺の心の中には名倉が居たし。
ももえちゃん、あのまま独身で歳を重ねていったのだろうか?それとも誰が良い相手を見つけたのだろうか?まだ生きているとしたら70は過ぎている。幸せに老後を送ってくれていることを願うのみだ。
一つ後悔してもしきれないことが。志賀島ツーリングの写真、「写るんです」でばちばち撮り捲っていた。そこにはメルローズのママも、モモエちゃんも、名倉も、奈美ちゃんも、廣井さんも、古庄さんも、ちゃんと写っていたのに、俺はその写真の全てを廃棄せざるを得なかった。宮川さんとは今も親交があるからいいが、他の7人とは切れてしまっている。
廃棄した理由、嫁の存在だ。
俺は物持ちがいいし、それが自慢でもあることは他の記事で書いている。中学一年のときの増本先生との交換学習ノート、高校三年のときの卒業文集に、井本が書いた文集・スターシア。
写真も一枚残らずアルバムに保管していた。そのアルバムを嫁が見た。結婚したばかりの俺はまだ嫁をコントロールできておらず、まだお袋さんの洗脳が解けてなかった。気にくわないことがあると物凄い癇癪を起こして手が付けられなかった。
一つ例を挙げれば、高校の卒業記念に製作して灰皿として大事に使っていたコーヒーカップ、賃貸マンション玄関の鉄扉に投げ付けて無惨に打ち砕いてくれた。
あるとき、俺のアルバムを見た嫁が声を荒げて、「結婚して私っていう妻が居るんに何でまだ女の写真があるとね」と癇癪を起こした。こうなると手に負えない。俺が何らかの手段を取るまでは収まらない。仕方なく、俺は女が写り込む写真をアルバムから全部剥がして嫁の眼前でびりびりに破くしかなかった。
余談をもう一つ。今書いておかなければ機会を逸する気がするから。
俺の客にシングルマザーの山中さんというお客がいた。知ったきっかけは俺のマネージャーだった南里部長の紹介だ。彼女は明治生命保険の外交員をしていて八幡町に住んでいた。女の子二人の母親だ。歳は俺の三つ下、嫁と同い年だ。最初に売ったのは三代目ミラージュの黒。車を買って貰ったときはまだ旦那が居たと思う。
俺のことだから、車を買って貰う交換条件として、安い何の保証も付いてない死亡保険金が500万だけの生命保険に入ってやったのではないか。ほとぼりが冷めたら直ぐ解約するつもりで。俺の常套手段だ。
契約しては解約したこと、二度は完璧に覚えている。亡くなった石田さんの日本生命と、どこの保険会社だったかは忘れたが、離婚して保険の外交員になった小野さん(独身のときミニカのH11V、高崎さんと結婚してRVR、そして四代目バジェロロングガソリン3000の5MT、離婚して中古のエアトレックに新車のEKワゴンH82W、そして息子にRVR二台の、大のお得意さんだった)だ。
俺は一台目の車を買って貰ったら二台目も勿論俺から買って貰おうと徹底的に追い掛ける。その後、離婚してシングルマザーになった彼女、明治生命を辞めて、娘二人と黄金町の市営住宅に転居した。俺は大丈夫だろうかと心配になり、本人から聞いた北方の職場を訪ねた。少し窶れた印象を受けた。ミラージュでは維持費が掛かるから軽にしたいという要望を受け、H21Aのミニカの赤を販売した。
この頃、娘二人はまだ小学生ではなかったろうか。黄金町の自宅も何度か訪ねたが、独身だった俺は、下の娘が作ったカレーを美味しそうに食べたらしい。このことが本人とよく話のネタになった。
水商売を始めた彼女に飲みに来ないかと誘われた俺は、独身で寂しかったせいもあり、いそいそと出掛けた。そのとき、カウンターの中の彼女から吐かれた言葉が、「エッチしよ」
ソープ通いは頻繁にやっていたものの、素人女とヤることに免疫のなかった俺だ。言葉に窮して返事を返さなかったことで有耶無耶になってしまった。
今思えば、彼女のあの目は本気だった。このとき彼女、30くらいじゃなかったか?だったら俺は33。五体満足だったら、その美味しい身体、ありがたく頂いていたかも。ヤるだけなんだから。
ふと俺の脳裏に浮かんだのが、どこでヤるんだろうかということ。もしかして、ときどきお邪魔していたあの市営住宅で?娘たちが居ない時間を狙ってとか、妄想を働かせた俺だ。
ソープの女には恥ずかし気もなく切断した左足を晒せた俺だったが、素人女にはそんな自信がなかった。
その内彼女、常連のトラック運転手、村上さんと懇ろになって結婚した。結婚する前、彼女に紹介された村上さんにパジェロを販売していた。家族四人となった後も、上の娘にトッポを売り込むために何回か黄金町の市営住宅を訪ねて、一家の主となった村上さんと商談した。
その後、夫婦は二人の間に生まれた長男を連れて島根県に転居した。村上さんがここを本拠地に運送会社を始めたから。娘たち二人は小倉に残って、上の娘は結婚したが、トッポに乗っていたのでときどき携帯に電話を入れたりしていたが、中々直接会う機会には恵まれなかった。
あっそう、トッポを買う見返りに、上の娘が勤める会社を通してドコモの携帯電話に加入させられた。確か、当時は携帯電話が高いからと、俺はPHSを使っていた筈だ。




