1話 川本真一
この物語のキーパーソンは川本敬一、彼抜きでこの物語は語れない。
俺は自動車販売会社に勤めており川本は俺の大事な顧客だ。モーテルを経営している。今までジープ・ミラージュ・エメロード・パジェロ・ミニカと5台の車を買ってくれた上に、親戚にパジェロ2台、従業員の娘にミニカ1台と計3台の車を紹介してくれた。こうなるともう、お客というよりその付き合いは家族ぐるみだ。俺に川本にはお客という感覚はなかった。
川本と初めて知り合ったのは昭和58年、その頃俺は25才、MB自動車飯販売に転職して二年目で、店頭販売三課に配属されていた。店に車を見にきた客を追いかけて売り込むのが俺の仕事だ。川本もそんな店頭客の一人でジープを見に来た。川本が乗って来た車はスバルのレックスの四ドア、店にジープの現車なんてある訳ない。川本に言われるままジープのカタログを渡すと、彼は俺に何の説明も求めることなく店を後にした。
俺はほっとしていた。カー雑誌を読み漁って、普通の乗用車なら、誤魔かしながらでも何とか説明できるようにはなっていたものの、ジープなんて全く分からない。ぼろが出ずにラッキーとでもそのときの俺は思っていたのかもしれない。
俺はいつものように、川本が乗って来たレックスの登録番号を控えて、業務課に住所と名前を調べて貰った。ほとんど言葉を交わさなかったが、一応形だけでも追跡しなければならない。それが俺が課のマネージャー、次長の田尻に課せられた職務だったから。
車検証の住所は小倉との境界辺りの苅田町だった。建物はコの字型、道路に面して事務所らしき物、客室が中央の広場の三方を取り巻く。一階が駐車場で、客はシャッターを下ろして二階の部屋に入って行く。
俺は広場側のドアをノックして二・三回呼び掛けた。
「何な!」
ドアが開いて川本が物憂そうに顔を出す。
「あんた誰な?」
「この前ご来店いただいたMB自動車の木村といいます。」
俺が車屋だと分かった川本は、気まずそうに事務所の奥のほうに一度眼をやって戸を閉め、広場に出てきた。
「ここじゃ拙いんじゃ。ちょっと来てくれ」と川本は俺を事務所に面した道路に連れ出す。
「あんたようここが分かったな」
「はい、登録番号で分かるもんですから」
「まぁええや。俺が車ば見に行ったって親父にばれたら拙いんじゃ」
「はぁ…」
俺は曖昧な反応になる。
「ほんとはデリカが欲しいんやが高ぇやろ、ジープやったら150万くらいしかせんけん、これなら俺にも手が届くかもしれんな思て見に行っただけなんじゃ。用があったらまた行くけ、もう来んでくれるか」
「はい、分かりました」と俺は簡単に引き下がる。
俺には川本の意向などどうでも良かった。ただ、職務で一度は訪ねねばならなかっただけだから。
1年も経っただろうか。俺に電話が掛かって来た。
「お待たせしました木村です」
「あぁ木村さんな。川本ですが」
完全に忘れていた俺は川本と名乗られても何も思い当たらない。しどろもどろで口籠る。業を煮やした川本がヒントを与えてくれた。
「1年前にジープのカタログを貰いにいったホテルやまなみの川本やけど」
俺はやっと思い出した。
「あっ川本さんお久しぶりです」
「ジープを真剣に考えようと思うんやけど、来てくれんかの」
「えっほんとですか!」
俺は脱兎の如くショールームを飛び出して、ホテルやまなみに向かった。
この頃の俺のセールス活動には、これといった特徴とか、車に対する独特の拘りとか全くなかった。ただ車が売れればよかった。お客が買うと言うから売る。その程度だった。
車は好きだったが、思い入れはない。だから、川本に、三種類のエンジンを載せたジープのどれを選んだらいいかアドバイスを求められても、一般的に答えるだけだった。
1年前の冷淡な玄関払いとは打って変わった歓待だ。家の中に招き入れてくれて、コーヒーメーカーでレギュラーコーヒーも入れてくれた。
川本はまず1年前の冷たい応対を詫びてくれた。
「1年前はすまんやったな。あの頃は親父が生きとって、俺は親父の丁稚奉公のような存在やったけ、金も時間も自由にならんやった。このホテルの裏のアパートに住んどって、ここに通いよったんじゃ」
川本はにやっと笑って、「半年前に親父が死んだけ、もう俺の思いのままじゃ」
ジープのカタログを前にして、「俺はディーゼルは嫌なんよ。力ねぇしな。ガソリンにしてぇんやけど、2000と2600で迷いよるんよねぇ。木村さんやったらどうすんな?」
俺は迷わず応える。
「私やったら2000にします。2600は燃費悪そうですから」
「そうよな。2000で十分よなぁ」
無知とは恐ろしいものだ。川本も、ジープのド素人をセールスマンに選ばねばならなかったことは、不幸だったかもしれない。と言っても、当時は四駆に造詣の深いセールスマンなんか皆無だったから、誰から買っても同じだったかもしれないが。
四駆全盛期はまだ5年くらい先だった。当時MBが提供する、アメリカのアメリカンモーターカンパニー、通称AMCが商標権を持つジープには三種類のエンジン(4DR5・2400CCディーゼル、G63B・2000CCガソリン、G54B・2600CCガソリン)があり、三タイプのボディ(ショートの幌、ハーフメタルドア、ロングメタル)を持っていた。通常一般に売れるのはショートの幌だ。
その頃、乗用車のガソリンの2000CC越えは即3ナンバー、自動車税が80000円に跳ね上がるため、一般人は3ナンバーに言いようもない怖れを抱いていた。こんな大排気量に乗れるのは、金持ちか医者かヤクザだけという観念があって、これが俺と川本にもあったのは否めない。
その後、二人で四駆にのめり込み、遠賀町の4WDショップ小野に入り浸るようになった。そこで店のおやじの愛車、2600CCのJ57の驚愕のパワーを目の当たりにして、自分たちの無知を相当後悔することになる。
何と言っても、車両価格が2000CCのJ59と数万しか違わなかったのだから。おまけに昭和63年、ガソリンジープは愛好家に有無も言わせず絶版となった。これによって、市場にあまり出回ってない希少車のJ57は幻のジープと呼ばれるようになった。