若禿(前書きⅢ)
新卒で入社した豊前屋デパート、新人研修の息抜きにと俺が提案したドライブにバケットハットを被って行ったら、2020年現在、社長候補筆頭の専務まで上り詰めた同期の桶谷が、「YMR、禿隠しか」と茶化してきたが、大して気にしなかった。俺自身、まだ文化禿が周囲の髪で自然に隠せてそうまで酷くないと自覚していたから。その証拠に、就職1年目で人生で始めての彼女もできたし。但し、デートのときは必ずバケットハットを被っていた。心ならずも発覚を恐れていた。
転職先のMBでは、俺の頭は年々、漫画「ハゲしいな!桜井くん」状態になっていく。この頃、俺はよく漫画喫茶にカレーを食いに行っていたが、そこでこの漫画を偶然見つけた。正に今の俺だ。身につまされた。余談だが、このとき「寄生獣」も知った。映画化されてブレイクしたのが三十年後とは。漫画とは一度で二度美味しい代物だとつくづく思う。
禿を自覚してからは発毛剤としてカロヤンシリーズを愛用していた。高価格の新シリーズが出ると、高ければ効き目も大きいだろうと飛び付いた。だが全く効果なし。所詮は藁をも縋る奴を騙す、ぼろ儲けのコンプレックス産業だ。カロヤンは諦めて、次に試したのが頭皮を叩くヘヤーブラシ。一緒に買わされた養毛剤を塗り込んで頭皮をブラシで軽く叩く。血行が促進されて発毛するのだと?これ、「ハゲしいな!桜井くん」で桜井くん、兄貴、親父が使っていたような。
毎日せっせと頭皮を叩いた。鏡で確かめたら、あまりに叩き過ぎて充血して赤くなっている。この現象を血行が良くなってきた証拠と捉えるバカがいたとしたら、そいつは俺以上に藁をも縋る奴だろよ。かわいそうに。だが、俺はこれにも見切りをつけざるをえなかった。発毛が全く実感できない。
雑誌で見つけた、今度こそはと期待した発毛器具は紫外線照射装置だ。研究によると、頭皮に紫外線を当てると毛母細胞が活性化して発毛するのだと。眉唾だが。この器具、正直高かった。確か5万円以上したと思う。だが、背に腹は代えられない。俺は何としても30歳までに禿と縁を切りたかった。これ、紫色の光を発する受話器のような突端を頭皮に満遍なく当てる。
豊前屋の同期入社で、俺より1年後に辞めて国税専門官に転職した高瀬、こいつも俺ほどではないが、若禿を気にしていた。アパートに遊びにきた高瀬が目を輝かせて、「おうYMRこれか!高ぇ確率で発毛するという俺らにとっての夢の発毛マシンは」
「高かったでぇ。効能見たら凄かったんや。もう俺はこれに掛けるしかねぇ」
「頼むYMR、俺にも当させてくれや」
「あぁええが、一回・二回当てたところで何の効果もないで。継続的に当てな」
「ああ分かっとるがちょっと試してみたいんや」
1年以上は生真面目に続けたと思う。三十路を来年に控えていた俺に印象的な出来事が。俺より数ヶ月前に豊前屋を止めた黒水から連絡があって俺に会いに来ると言う。黒水とは二・三ヶ月の無職期間を共有した。職安に登録しに行った俺は偶然黒水と再会した。
「おう、何ばしよっとや」と黒水。
「俺も豊前屋辞めたんや」と俺。
黒水の話では、現職時付き合っていた高校新卒入社の三村も程なく辞めて今も付き合っているとのこと。羨ましい限りだ。女好きの黒水のこと、転んでもただでは起きないということか。ちゃんと戦利品は手にしている。黒水が辞めたのは俺が転勤して行った八幡豊前屋のときで、誰から退職のことを聞いたかは忘れた。それから就職するまで三人で黒水のコスモに乗ってよく遊んだ。俺はMBに就職し、黒水はリョーユーパンに就職して大分に行った。
黒水が小倉に居れるのは数ヶ月という。リョーユーパンを手土産に、5年ぶりに俺のアパート前のスペースで会った黒水は全く変わっていなかった。変わったはの禿が目立ちだした俺だ。
俺は誓う。後一年、後一年で必ず禿とはオサラバだと。