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俺とやっくり  作者: クスクリ
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若禿(前書きⅡ)

 俺は13歳まで長崎県の猪町にいて、親父の転勤で佐賀県の鳥巣に移った。俺の男系の親類は父方の伯父が1人、母方のおじが3人、父方の従兄弟が5人、母方の従弟が3人いるが、東京にいる2人は小さいときしか知らない。この内、禿げていたのは母方の祖父と伯父の2人、父方の従兄が1人と俺のたった4人だ。ちなみに父型の祖父が禿げていたかどうかは分からない。早死にして、そのとき俺は就学前だったから。

 ここで分からないのは、俺の家族は親父とお袋、俺と弟2人の5人だが、禿げたのは俺1人だ。親父とお袋の野郎、俺にだけ禿の遺伝子を送り込みやがった。無惨、俺は親父と弟2人の不幸を一身に背負ってやった格好だ。ここまできたら息子の不幸も背負ってやりたい。3人背負うも4人背負うも一緒だが、死んだ親父は除外して、弟2人が今から禿げても全然心は痛まない。弟たちももうジジイだから気にもしないだろうが。ちなみに息子は25歳だが、まだ禿げてない。俺と息子は一心同体だから、もし禿でもしたら俺は正に二重苦だ。悲惨の一言。


 俺は毛量が多い方だった。高校二年のとき、井上陽水のような髪型になっていた。というのも、坊主のまま伸ばしたため髪の長さが均一で、ドライヤーがうちにはなかったから、髪を洗ってそのまま自然乾燥に任せると陽水ヘヤーが出来上がる。

 高校三年のとき、豪く抜け毛が増えた。髪を洗うと手に抜け毛がこびり付く。心配になった俺がお袋に相談すると皮膚科に行って来いと言う。医者の診断は、まぁ想定内だが、異常なし。

 それが…

 何時何処で気付いたかはっきりと覚えている。二十歳の大学二年のとき、俺は母屋の四畳半の部屋から、次男の賢二が長崎大学に行ったために空いた、庭に建てたプレハブに移った。プレハブの壁に掛けた鏡で髪をかきあげて見て驚愕!額の両側が剃り上げたように見事に禿げ上がっていた。「小倉のおんちゃん(伯父)」の言ういわゆる文化禿状態だった。

 男の頭髪の生える面積が減少するパターンは大きく二つあり、ひとつは生え際から額が広くなるように禿げる。これを禿げ上がるという。特に両こめかみ上から進行する場合が多く、その生え際の形がアルファベットのMに似ていることから、俗に「M字ハゲ」と呼ばれる。正に俺の禿げ方だ。もう一つはつむじから次第に髪の密度が少なくなるように禿げ、その結果、頭頂部に地肌が出るが、後頭部と側頭部の髪は残る。この様子が河童に似ていることから俗に「カッパ禿げ」とも呼ばれる。


 周囲の残っている髪を伸ばして、禿げている箇所の上を覆うように、本来毛が生えている方向とは反対側に寝かせてジェルで固定した髪型を、毛が疎らになった隙間から肌が見えるのをバーコードに見立ててバーコード頭と言うが、これだけは勘弁して欲しかった。で、俺が取った行動は今直ぐ床屋に行って坊主にすることだった。こうすれば、少なくともバーコードヘヤーからは逃れられる。

 空手部の活動が忙しかった大学三年時はほとんど坊主にしていたが、四年になって、空手部を休部してキャンパスライフを謳歌するようになってからは文化禿を隠すように伸ばしてしまった。だが、バーコードヘヤーにはまだ早い。若くてまだ毛髪量が多かったから自然に禿が隠れてくれた。

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