11話 ファミリー自動車
速くなるためには努力を惜しまない。それが俺の一途な性格だ。兎に角、一日でも早く川本の度肝を抜いてやるのが当面の目標だ。貫林道で練習するのはいいが、やっぱり昼間は危ない。川本のジープの助手席に乗って林道を飛ばしていたら山菜採りの古いセダンの老夫婦と接触してしまった。公道にも関わらず我が物顔に飛ばしていた川本に非があるのは明白だっだが、奴の言い分は、「あんたら走り方知っとんな?道の真ん中走られよったら避けられるもんも避けられんわ」
屈強ではないが、ジープに乗った男二人組を目にして、老夫婦は当たった瞬間から俺らに気後れしていた筈だ。そこに頭ごなしに汚れ口調で因縁付けられたら黙り込むほかない。
草木も眠る丑三つ時とは昔の怪談の口上だが、俺はスティールバンパーに直付けしたボッシュの100ワットドライビングランプの明かりを頼りに車一台分の幅の林道をカッ飛んだ。貫林道の始点は昭和池公園、こんな真夜中に人っ子一人居る訳ないし、途中で車と擦れ違う筈もない。思いっ切り走れる。ただ、調子に乗って運転を誤れば谷底へ真っ逆さま、この世とおさらばだ。クソクリとも知り合うことなくあの世行きだ。
春夏秋冬走り捲った。路面が凍結していても関係ない。606タイヤで掻き毟るように走った。一度だけミスって、貫山中腹の山肌側に突っ込んだ。林道に戻ろうと足掻いたが、タイヤは空しく空転するばかり。こんなときのためにいつも装備していたスコップを使ってみたが、凍結していて、乗り上げた車体の下の土を掘り起こせなかった。
仕方ない、公衆電話のある里まで下りて仲間に助けを請うしかないかと丑三つ時の林道をとぼとぼ歩き出す。暫くしてブヒブヒと豬の危険な息遣い。ヤバい!会社の先輩に聞いたことがある。豬は車にも突っ込んでくるほと気が荒い。ラジエーターを破損したと溢していた。
奴ら林道を横切ろうとしているらしい。早く消えろと願う。数匹居るらしいが、憎たらしいことに最後の一匹だけこちらを窺う仕草、俺は慌てて林道の路肩の下に隠れた。やっとのことで人里まで歩いて下りた。時刻は夜中の3時、非常識にもよくこんな時間に妻帯者のお客を呼び出せたものだと自分に感心してしまう。
呼び出したのは俺が販売した3台目のスポーツターボのオーナー、松田さんだ。二つ返事で助けにきてくれた松田さんには感謝感激雨霰だ。松田さんも俺の勧めで606を履いている。606のロードノイズは独特だ。暗闇の中、遠くからゴーという音が聞こえてきたときは無人島で船影を見たような気がした。
俺はスポーツターボの性能に有頂天だった。一人ではなく、助手席に友人・仲間・知り合い・お客を乗せても、林道・平尾台の斜面を走り捲った。先輩社員の高橋さんの紹介でお客になった永田塗装店の従業員・山本さんからジーブJ53の商談がきた。俺の思いは一つ、どうせなら北九州にスポーツターボのオーナーを一人でも二人でも増やしたい。
「山本さん、スポーツターボじゃダメなんですか?」
「いや、別にジーブに拘っとる訳じゃないけど」
「53(2700CCディーゼルターボ・J53)パワーないですよ。そいに無茶エンジン音が喧しいし…」
「そうやな。佐々木は57(2600CCガソリンジープ・J57)やし53じゃ釣り合わんよな」
山本さんは北九州の危ない地区出身だ。だから周りにも危ない仲間が集まる。特にジープJ57に乗った古場重機の社長と佐々木さんはうちの会社のクレーマーだ。ジーブに乗っている人には要注意というのが当時のうちの会社の風潮だった。
俺が山本さんに志賀島の砂の坂の話をしたら三人で行こうということになり、前日の夕方から志賀島に乗り込んだ。真夏の志賀島、夜が明けるとともに浜は朝から気温がうなぎ登り。早速、斜度30度の50メートルの砂の坂に挑む。スポーツターボの俺も山本さんも軽く駆け上がれたのに佐々木さんだけは何度挑戦しても上がれない。佐々木さんは地団駄踏んで悔しがる。
「幻のジープがこれくらいの坂上がれん筈がない」
確かにガソリンジープは絶版になった。特にJ57は希少車で幻には違いないが、俺にとっては高がジープだ。オーナーから出た言葉に違和感を覚える。こんな坂も登れないのに幻のジープ?上り下りは別としてスピード競技においてノーマルのジープはパジェロの敵ではない。登れないと意地でも帰りそうもなかったので俺は奇策を弄した。J57の空気圧を1以下に落とした。これでやっと登れた。
「木村さんパジェロって凄いんな?」という山本さんの問い掛けに、「夜にもう一度来ます」
俺はにやっと不敵に笑って、「パジェロに乗って来ますよ」
俺は一番安い軽を営業車にしていた。暗くなった頃、アパートに停めたパジェロと乗り換えて山本さんの職場に向かった。山本さんの同僚を一人追加して林道に向かう。トノカバーは外してオープンにし、畳んだリヤシートを引き出した。
「山本さん、まず林道突っ走って貫山側から平尾台に入りますけん」
林道の三ヶ所の入口の内、一番短い志井から入った。山本さんの職場はこのすぐ近くだったから。パジェロは重い上にパートタイム四駆で曲がり難い。俺はラリー屋は気取らないが、ブレーキングドリフト気味にリヤタイヤを滑らせる。決して同乗者をビビらせる為ではないから二人の顔色は気にしない。マイペースで一気に貫山の麓まで駆け上がる。
ここからカルスト台地までは崩れた崖から転げ落ちたごつごつとした礫岩が行く手を阻む。車体下部からゴンゴンと接触音がするが気にしない。岩石の上を滑るように進む。スキットプレート・アンダーガード・トランスファーガードをアイバワークス製の肉厚のガードに交換しているから問題ない。
車一台分の細い舗装路からどんと台地に下りる。背の高い草で覆われたラフロードをちょっと進むと、坂の上リ口だけドライビングランプの照射域内に浮かび上がる。車中から見上げると、月明かりの下、朧気ながら坂の全容を肉眼で捉えることができる。
「もしかしてここ登るん?」
山本さんの声が震える。俺は自信満々に、「大丈夫です。もう何回も登ってますから」とは言ってはみたものの夜はちょっと不気味だ。不安は的中した。坂の中程で大径ブロックタイヤの606が空転しだす。
ヤバい!懸命にブレーキを踏む右足が若干震え気味だ。30度の急坂、視界に広がるは一面の星空。恐怖感はマックス状態だ。こんな長い坂でギヤをバックに入れてタイヤにトラクションを与えながら真っ直ぐ下るなんて今の俺には無理な注文というものだ。ブレーキを緩めながらのニュートラルバックになってしまう。窪みにタイヤをとられて車体が斜めになった途端、転がり落ちるだろう。
「ちょっとまずい状態になっちまいました」と俺の不安を煽る言葉に、「大丈夫なん?」と山本さんの言葉に怯えが宿る。
「今日はいつもと違って三人乗ってますんで登れんやったごたるです。慎重に下がりますんで安心して下さい」
やっとのことで登り口まで下りて、「でもパジェロ凄いでしょ。パジェロにしましょうよ」という俺に、「分かった。パジェロ買うわ。林道の走りは素晴らしかったわ。シープじゃあんな走りはできん」
何とか無事に下りれてほっとした俺だが、この恐怖の急坂を転げ落ちた豪の者を一人知っている。案内したのは俺だが、遊びは自己責任だ。浜や山や林道で遊び捲って調子に乗っていた俺と川本、寺島は川本の提唱でチーム606というチームを組んで活動することにした。まず手始めに俺が4×4マガジンにチーム606として投稿した。俺たちがやっている過激な遊びに付いて来れる奴はこの九州には居ないだろうといった正に挑発的な内容だった。
過激な内容だったから四駆乗りの反感が怖かったが、連絡が来たときのために、川本のホテルを事務局にして電話番号も入れておいた。すると早速連絡が来た。福岡・糸島のマットドックという熱いハートを持った四駆クラブだった。
「九州の奴らは根性がないっち4マガに書いとったけどナメたらいけんでぇ。俺らはマッドドックっちいうチーム作って活動やんよんやけど、あんくらいの遊びもう厭きるくらいやっとんわな」
「そうなそりゃ凄いな。なんやったら4マガに書いとった俺らのホームグランドの平尾台、案内したろうか。来るな?」と電話を取った川本。
「おう行ったろうやないか」と奴らは二つ返事で乗ってくる。
待ち合わせの場所は平尾台の4×4ランドだ。ここについてはまた詳述する。リーダーはコランドーに乗って来た。コランドーおコランドーとか揶揄してバカにしていた安物の韓国車で、AMCのCJ7のライセンス生産車だ。かわいい嫁さんと子供連れだ。族風のチーム名からヤンキー掛かっているのかなと思っていたら、普通の人懐っこい奴だった。ビッグホーンに乗った仲間が一人。
4×4ランドの外周コースを軽く一周してみたリーダーだったが、テーブルトップを跳んで着地した途端、パリンと音がしてバンパーに装着してしてあったIPFのドライビングランプがショックで分解して散乱した。せっかく遠路遥々来てくれた奴らだ。ここで笑ったら気分を害して帰らないとも限らない。俺は笑いをぐっと我慢して、「そろそろ河岸を変えましょうか?」と提案する。
マッドドックの奴らは坂を見上げて、空元気か、「何、別に大したことないやん」
川本がニッと笑って、「ならよかったわ。尻込みされたら招待した意味ねぇけんな」
「ならまず俺と木村さんの後ろついて来てや」
俺と川本はいつもよりもぐっと速度を落として慎重に登って、下りた。いつもながら下りるときの恐さは尋常じゃない。前輪を坂下に向かって踏み出すとまるで絶壁に身を乗り出したかのような恐怖を覚えてしまう。
一度めは俺らに習って慎重に徹したマッドドックのリーダーだったが、二回目は調子に乗って下りる速度を早めた。急坂の中程に達したとき、不意に傾いたなと思ったら真っ逆さまに転がり落ちる。下で車を降りて展望していた俺は蒼褪め、嫁はぎゃ~と叫んで目を覆い、子供はわ~っと泣き出した。
「父ちゃんが死んだ!」
ギャラリーが一斉に駆け寄る。シープの車体は無残に歪んでいたが、救いはCJロールバーに交換していたことだった。アクション映画の車両転倒シーンが終わったスタントマンの如く、けろっとした顔でシープから這い出てきた本人に一同ほっと胸を撫で下ろす。嫁と子供は安心して地べたにへたり込む。
「いやぁ参った。死ぬかと思うたわ」と、にかみながら頭を掻く。曲がったロールバーに目をやって、「やっぱロールバーは必要やわ」と感心するリーダーに笑いが起こった。
「いやぁ来て良かったっす。こんな経験ここしかできなかったですから」と真面目に謝意を表すリーダーに俺と川本は苦笑いだった。
山本さんは中古で買った古いダブルキャブのハイラックスに乗っていた。勿論下取りに出すつもりだが、俺は値段を付けることができなかった。「back to the future」で大人気を博したハイラックストラックだが、日本は四駆人気の黎明期、まだディーラーでは10年物の四駆トラックに高額の下取りはできない。
「木村さん、八幡のファミリー自動車って知っとる?」
「もしかしてあの四駆ばっかり置いとる中古車屋ですか?」
「ああそうや。社長がうちから買うんならハイラックス百万で取ってやるって言うんよ」
まずい!ここで鳶に油揚げ拐われる訳にはいかない。黙っていたらファミリーの社長は福岡MBに話を持っていくに違いない。福岡MBは俺の会社のグループ会社だが商売仇だ。人的交流は全くない。
「山下さん、私社長に会ってきます」
ファミリー自動車は八幡西区の則松の3号線沿線にある。福岡MBは目と鼻の先だ。俺の所課のマネージャー、南里部長に聞いてみたら、昔うちの黒崎営業所が板金を外注していたらしい。全く関わりがない訳では無かった。本名は永浦だ。三階建ての社屋を真ん中に展示場が二ヶ所あって、福岡側に四駆、小倉側に一般車を並べている。特に四駆展示場の出入口にでんと置かれたフルオープンにした赤いCJ7が来店客の目を惹く。
セールスマンになって数年経ったとはいえ、さすがに一癖も二癖も有りそうな初対面の中古車のオヤジへの直談判は気後れする。上背は小野のオヤジの方があるが、体型が似ている。二人とも四駆ブームで儲かって、いい物食って酒かっ食らってでっぷりと腹が飛び出す。四駆好きだろうから、パジェロに乗っているということを全面に押し出して、先ずは気に入られなくては話にならない。
名刺を渡して、小倉の車売りが何売り込みに来やがったんかと眉唾顔の社長に、「唐突なんですが山本さんの件で来ました。是非うちから車を引いて頂けないでしょうか?」
「その件か、俺んところは福岡MBと取引しよるけん無理やな。どうしても売りたかったらお前んところが百万で下取りすりゃよかろうが」とニベもない。
「それが難しいもんで今日は社長にお願いに参りました」
「そりゃ虫がいいな。俺んところも百万でハイラックス抱えないかんのやけんな。お前んところから車取って何か俺にメリットあるんか?」
「社長に金銭的なメリットはないです」
「俺は商売人やでぇ。儲からんとに何でお前と取引せなならんのや?」
「山本さんが買われるスポーツターボってご存じですか?」
「知らん。パジェロはパジェロやろうもん」
「パジェロでも全く別物です。今までワゴンにはターボ仕様があったのに幌のバンにはなかったんです。それが満を持してターボ積んで来ました。重量が軽いのでその加速力はとても重たい四駆ちゃ思えませんよ」
ふ~んという表情の社長に、勝負はここか!
「社長、実は私、スポーツターボに惚れ込んで買っちまいました」
「ほう買うたんか。惚れた車ば手に入れるっちゃセールスマンにゃ大事なことやでぇ」と社長は俺の話に興味を示す。
「山本さん最初はジープが欲しいって言よったんですが私がスポーツターボ勧めたんです。その良さを分かって貰うために貫山の林道、ラリー車並にかっ飛んで平尾台の30度ある百メートルの坂ぶち登って度肝抜いてやりました」
「ラリー車並?」
「あのかったるいパジェロでか?」
「スポーツターボってそげん凄いんか?」
「貫山の抜かるんだ林道ば私が毎夜走って10Rのブロックタイヤで轍掻き毟ってやってますから、ラリー車じゃ腹がつかえて走れないと思いますよ」と俺は不適ににやっと笑う。
「ところで社長、志賀島に行ったことはありますか?」
「ないな。専ら波津の浜ばっかりや」
「まぁ志賀島って言っても正確には奈多の浜なんですが、波津の数倍の広大な浜に小高い砂丘が広がってまるで日本とは思えない景色です。そこに斜度30度の50メートルの砂の坂があるんですが、スポーツターボは軽々と登りますけんね」
「そうか、50メートルの砂の坂か?」
「初めて知ったわ。是非行ってみたいな」
「俺のCJじゃ無理か?」
「やってみないとわかりません」
「松林に隠れて分かり難いんで私が案内しますよ」
「分かった。福岡MBには今回は泣いて貰う。山本のスポーツターボはお前から引くわ」
「社長、ありがとうございます」